3話 第二の矢






 合同会社HAP(ハポン アミューズ プロジェクト)の会議室では今、常務を中心に、各部の部長など十数名の幹部連中が集まって会議をしている。

「まずこの記事が事実かを知りたい」

 そういって、机上に雑誌が置いてある開いたページを顎で指して聞いたのは、常務取締役の石原智仁いしはらともひと、四十九歳であった。

 色の黒い茶髪の中年男性で、一見してうさん臭く、何をしているのか分からない男に見える。

「事実ではありません」

 末席に座って、答えたのは葛城和也だ。

 見出しには、『ハポン 宇部理紗 今度は自殺未遂で緊急搬送されていた』と出ていた。

「どの辺が事実じゃないんだ?」

「搬送されたのは本当です。しかし、原因が自殺未遂というのは完全なでっち上げです」

「じゃあ、どうして緊急搬送されたんだ?」

「それは分かりません、本人が覚えていないので」

「覚えていない?記憶喪失かなんかか?」

「はい」

「じゃあ事実かもしれない。……いずれにせよ、イメージが悪いのは必至だよね」

 そう答えたのは、四方木武よもぎたけし三十八歳。彼は宣伝部長だ。人当たりがよさそうな男で、常に半笑いである。

「いえ、未遂ではありません」

葛城は言い切る。

「では、どうするつもりだ?本人に釈明会見を開かせるか?」

 石原が四方木に訊いた。

「書面で否定だけでいいのではありませんか?そして、本人は体調不良のため長期休養として休ませる。それから間を取って、そのまま引退とした方がグループとしても本人としてもいいと思います」

「まあ、それが一番かな。何か意見があるものは?」

「いや、ちょっと待ってください」

 他の連中が黙っている中、葛城が手を挙げた。

「宇部理紗の事はとりあえず置いておいて、今話し合う問題はもっと別にあります。というのは、このネタをマスコミにリークしたのは内部の人間である可能性が極めて高いのです」

 会議室に動揺が走る。

「それは、私も気になっていたんだ。続けて」

 その中で、石原が手を差し出して促す。

「宇部が入院していたのは、三日前の深夜。記事が出たのが昨日。たった二日で記事が差し込まれたんです。内部に情報を漏らす人間がいない限りあり得ません。どこから漏れたか、それを探る方が先決です」

「だとしたら、大変なことですが、本当だろうか?我々の中にスキャンダルを好む人間がいるとは思えない。自分の首を絞めているようなものだからな」

 そう言ったのは、企画部長の利根川洋二とねがわようじだ。恰幅がいい四十代前半だが、十は年上に見える。

「これは今回に始まったことではありません。というのが、宇部とミキオとのスキャンダルも、今思えば内部でリークした者がいたと思われるフシがあります」

「つまり、グループのスキャンダルを売って利益を得ている人間がいるという事か?」

 石原の言葉に、全員がお互いの顔を疑心暗鬼で見つめる。そんな中、葛城が続けた。

「その人物を暴き出さないと、この先も同じようなことが起きるかもしれません」

「それがもし本当なら、グループの人気低迷にも繋がりかねないね。しかし、その人物を一体どうやって見つけ出すというの?君はそいつを暴き出すため、何かいい案があるのかい?」

 四方木が葛城に訊いた。

「宇部理紗を戻してみてはどうでしょう?」

「どういうことだ?そんなことをして何になる?それこそ炎上騒ぎになるぞ」

 石原が否定する。

「雑誌社から聞いてみるのはどうでしょう?私の知り合いがこの雑誌社にいるので、誰がリークしているのかを聞いてみますよ」

 利根川が雑誌を手に取り、ページをざっと捲った。

「裏切り者がいるなら、探し出した方がいいとは思うが……本当かね、私は、まだ信じられんな」

 そういったのは、音楽プロデューサーの一人、浜田英輔はまだえいすけである。

 五十代だが若々しく優しい目をしている。彼がパポンの作詞作曲を多数手がけている。

「間違いありません。入院をしっていたのは我々と、あと宇部理紗の事務所の人間だけです。向こうの人間もないとは言えませんが、口止めしましたので、考えづらいです」

「病院の関係者はどう?」

 四方木が訊いた。

「その線も消えてませんが、スキャンダルのことも合わせると可能性が薄いかと」

「あの子たちも知ってたわよ」

 初めて口を出したのは、スラっと背筋が伸びた中年の女性であった。彼女は山本広美やまもとひろみ、振付の先生だ。彼女がすべて、ハポンの振付を担当している。

「本当ですか、先生?」

 山本は「ええっ」と答えた。

「それは意外でした。という事は益々、範囲が広くなりました」

 葛城が顎に手を置いて考える。



  *       *       *       *



 レッスンスタジオ。

 一人、鏡の前でターンの練習を繰り返す大手優梨愛。

 そこへ話し声が聞こえたかと思うと、ぞろぞろとメンバーが入ってきた。

 優梨愛はステップを踏むのをやめて、汗を拭いにタオルを取りに行く。

「止めることないじゃん、ねえ?」

 岩崎怜美が振り返り、誰ともなしに同意を取った。

「誰かさんは恥ずかしがり屋さんなの、人前に出るのが苦手なのよ。アイドルなのに」

 五鈴璃々が言うと一斉に笑いが起こる。

「ダンスだけは上手いけど、それ以外はまるでダメ。そんなアイドル、逆に新しくない?」

 その言葉を無視するように優梨愛はストレッチを開始した。



  *       *       *       *



 目覚めてから三日後、脳の検査をあれこれと綿密にやって、それからさらに三日後に検査結果が出た。

「異常なし」

 じい様の医師が俺に向かって微笑んだ。

 脳に異常がないのは嬉しいが本当かどうか疑わしい。だいたい俺が宇部理紗の身体に入っているのだから。

「先生、ちょっと聞きたいんだけどさ、今まで、人の身体に別人格が入り込んだって、医学的事例ないの?例えば、事故かなんかで二人同時に気を失って、気がついたらその二人が別の身体に入ってしまったみたいなのって、ほら、ドラマとかでよくあるじゃん」

 じい様の医師は、呆けたように俺を見続ける。

「そうっ、突然、雷に打たれたりと……あああっ」

 その時、鮮明に映像が浮かんだ。

 そうだ、確かパチンコ屋から出て帰り道、雨に打たれ、急いで歌舞伎町の街の中を走っていると突然、頭上で爆発みたいな音と目の前が眩むような光に包まれて……。

「先生、俺が倒れていた場所って、歌舞伎町の花園通りの辺りじゃない?」

「場所までは知らないが、確かに歌舞伎町だと聞いた」

「じゃあその時、同じ場所にもう一人、男が、若い男が倒れてて、この病院に運ばれてこなかった?」

今まで寝ぼけていた脳が突然、目を覚ましたように早口で訊いた。

「さあ?私は救急外来じゃないからな」

「じゃあ、どこへ行けば分かる?」

 俺は病院一階の救急外来まで急いで向かった。

 入り口付近にいた看護師を捕まえて、一週間くらい前の深夜に運ばれてきた救急患者の中に若い男はいなかったかを尋ねた。

「申し訳ありませんが、ご家族の方以外に個人情報はお教えできません」

 中年の女性看護師は面倒そうに答える。

「だから、そのご家族かもしれないので訊いてるんですけど。国枝國士っていう二十代前半、ちょっと小太り、背はこのくらいの男なんですが、アッ」

 その時、俺は思いついた。

 俺がこんな風に宇部理紗の身体になっているなら、宇部理紗もまた俺の身体に入っている可能性が高い。つまり、俺と同じように訳の分からないことを口走る奴として扱われているはずだ。

「多分、自分を女だと思っている、おかしなヤツとして扱われている男なんですが分かりませんか?」

「?」

 余計なことを言ってしまったようで、看護師の女は俺に向かって、面倒な奴オーラを出している。

「いや、とにかく、一週間前の夜に救急搬送されてきた若い男がいないか、居たら、どの病棟にいるか知りたいんです?お願いします」

 俺は精一杯、誠意を見せるように頭を下げた。

 すると、看護師はめんどくさそうに「少々お待ちを」とどっかへ行ってしまった。

 どれくらい待ったか、じりじりするような時間の中で、救急外来では患者がひっきりなしに出たり入ったりしている。

 すると、ようやくさっきの看護師がやってきて俺に向かって言った。

「そういう人はいませんね」

「本当ですか?」

「間違いありません」

 断言して、背中を見せて行ってしまった。

 もしかして、別の病院に搬送されたのか?だとしたら、どうやって調べる?

 救急車か?えっ?救急車って、どこに行けば会えるんだっけ?

「ごめんなさいね」

 俺の横を、杖を突いて通過しようとしているお婆さんを呼び止めた。

「あの、ちょっとお尋ねしますが、救急車ってどこに置いてありますかね?」

「はあ?」

「いや、そうじゃなくて、救急車ってどうやったら呼べま……バカか、119番だ」

「ええっ?」

 驚くお婆さんを残して、俺は病院に備えてある公衆電話の119番緊急ダイヤルのボタンを躊躇なく押した。

「はい、救急です。火事ですか?急患ですか?」

「あのつかぬ事を聞きますが、一週間前の深夜にですね、新宿歌舞伎町で、意識を失った男性を、若い男性をですね、どこに搬送したか分かりますか?」

「緊急ではないのですか?これは緊急ダイアルです。緊急でなければ、お掛けにならないように」

 事務的な女性の声が返ってきた。

「緊急なんですよ、こっちは」

「申し訳ありませんが、そのようなことは個人情報なのでお教えできません」

 と電話を切られてしまった。

「なんだよ、クソッ」

 受話器を叩きつけるようにフックに戻す。

 思わず大きくため息をついて振り返ると、外来の待合室にいる患者たちが俺を見つめた。

「な、なんだよ?」

「いい娘さんが、汚い口をきいてはダメよ。器量もそんなにいいのに」

 品の好いお婆さんが、俺に向かって顔をしかめていた。

 俺は逃げるようにその場を去った。

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