2話 国枝國士
「ねえ、ねえ。ここから、こういって、両手を回して、左、右、ジャンプ……回って、チョン。その後なんだっけ?」
「だから、後ろにステップしてクルリ。はい、クルリ、はいっ、移動しながら、クルリ。……はい、クルリ。よぉ」
「そうだ。で、サビに入るから、最初の繰り返しだよね?」
大きな姿見を見ながら、ダンスの振付を
因みに鈴の身長は165㎝で大人びていて、優月は152㎝で童顔と、本当にどちらが年上か分からない。
レッスンスタジオの隅では、入念なストレッチをしている
鋭い眼光をした美少女だ。無口で、メンバーともあまり話さない16歳。足の指さきを曲げて、顔をしかめた。
この日、Bメンのメンバーの学生組は、ライブ前のレッスンのために集まっていた。
そこへ、ドアを激しく開けて水元公佳が入ってきた。
「ビックニュース、宇部さんが行方不明だったんだって」
「え~、マジで?」
向田が振り返り、本当に驚いた顔をする。
「さっき、運営の人たちが話しているのを聞いちゃった」
「で、で、どうなった?見つかったの?」
「うん、何でも病院に入院しているんだって」
「マジでぇ~ヤバいでしょ、それって……」
二人して顔を突き合わせているのを天音はただ見ている。
「あんたたち」
そこへ、大手が近づいてくる。
「そんなこと大声で話すもんじゃないって。誰が聞いてるか分かんないでしょ」
「あっ」
水元と向田が反射的に口を手で覆う。
「ただでさえあの騒動なんだからさ、これ以上、良くない噂が広がったらどうなるか……」
「聞いちゃった、聞いちゃった」
大手の言葉に被せるように、ドアから入ってきた二人の少女が近づてきた。
ニコニコしながら入ってきた二人に、向田と鈴が直立になり一礼する。
「おはようございます」
前を歩くのはツインテールで、身長は向田とあまり変わらない童顔の
「その話、もっと詳しく聞かせてよ?」
璃々は公佳に顔を近づけてが嬉しそうに言った。
* * * *
宇部のマネージャーに貸してもらった手鏡で自分の顔を確認する。
鏡に映るのは、間違いなく宇部理紗である。
自分の意思で表情が連動する、作り物ではない、100%正真正銘の宇部理紗であった。
――目を覚ました瞬間、目の前にオッサン(担当の医師)の顔があった。
そのおっさんは俺に対し、名前を訊いてきた。
素直に答えてもなぜか納得せず、様々な事を根掘り葉掘りと訊いてきた。翌朝には、たくさんの医師を連れてきて同じ質問を繰り返す。
バカにしていると思っていたところに、あの女が入ってきた。そして、俺を宇部理紗といった。
コイツ、頭が大丈夫か?と本気で思っていたところ、自分の身体でないことが分かった。
「信じらんねぇ……」
鏡の中の頬を触ってみる。いつも触っている自分の肌と違い、とても柔らかく、すべすべしている。
俺(宇部理紗)が歌舞伎町のど真ん中で倒れていたのを、誰かが119番通報してくれて、この病院に搬送されたらしい。
なぜ、そこで倒れていたのか記憶がない。
あるのはバイトが休みの日で、『CRハポン47 目指せカワイイの世界制覇』を新宿まで打ちにいって、生まれて初めて信じられないくらい大勝した記憶だ。
こんなに勝ったら、帰りに何かあるんじゃないかと内心思っていたら、このザマだ。
今も体は泥のように疲れており、頭はボオっとしているし、声もガラガラで上手く発声できない。
これは悪性の何かなのかもしれない。
宇部理紗と手書きで書かれたドアのプレートの前で、マネージャーの畠山と佐藤が話をしていた。
「記憶喪失?」
「そうみたい」
「で、お医者さんは治るって?」
畠山は首を横に振る。
「分からない……けど、怪我はないみたい。この後、脳の検査をして問題なければ退院できるって」
「いいんですか、そんなんで退院させて?」
心配そうに佐藤は訊いた。
「それも本人に決めさせようと思うの。私たちだって決断できないじゃない?」
「ご家族の方は?」
「お母さんが来たわ。来たんだけど、無事とわかるとすぐに帰ってしまった」
畠山は吐息、混じりにいった。
「まあ、あの母親ですからね」
そこに、エレベーターのドアが開き、三十代後半の爽やかな黒のジャケットを着た長身の男が病棟に現れた。病室の前の二人に気づき、近づいていく。
「容態は?」
「ああ、部長」
驚く佐藤。
「葛城さん……身体は何ともないだけど、記憶の方がまだね」
畠山が答える。
「話せる?」
「ええ……まあ」
「そう……じゃあ、とりあえず会って、どんなものか見てみようか」
と病室のドアに手を掛ける葛城を畠山が止める。
「一つ注意しておくけど、頭を打ったからかなんだか分からないけど、自分を男だと思っているの。ホント、気持ち悪いったらないわ」
「……マジっすか?」
佐藤が思わず、つぶやいた。
部屋のドアを開け、またしても知らない奴らが入ってきた。後ろにいるのは、確か宇部理紗のマネージャー、畠山だっけ。
年齢は二十代後半から三十代前半。髪はセミロングを後ろで纏めており、スーツスタイルだ。一見して、やり手のキャリアウーマン風である。
顔は少しキツメだが彫りの深い美人だ。
「理紗ちゃん、どう?体の方は?」
若い男の方が訊いてきた。
「ああ、まあ、気分は前より良くなったよ、けど、まだ本調子じゃないな」
男は後ろを振り返り、畠山と目を合わせた。
今まで廊下で俺のことを話していて、「本当だ、おかしい」と同意をしたみたいな、そんな感じだ。
最前の男はベッドの傍らにあるパイプ椅子に腰かけて、俺をジッと見つめた。如何にもやり手で自信家といった感じの苦手なタイプだ。
「元気そうで安心した」
男はニッコリと微笑んだ。人を安心させる笑顔であった。
「……それで、この後のことなんだけど、理紗、君はどうしたい?入院を続けるか、それとも退院してマンションから通院するか?」
「退院するよ。退院して、自分の身体を探す」
俺は即答した。
「……自分の身体?自分の身体って、どういう事だ?」
驚いた顔をして、男が訊いた。
「俺の身体、国枝國士の身体だよ。俺は宇部理紗じゃない、国枝國士。静岡県出身の二十二歳、フリーター。国枝國士というれっきとした日本人が、この国には存在しているんだ」
後ろの二人はまるで、バケモノを見るような目で俺を見つめる。分からなくはないが、人からそんな目で見られた者はショックだ。
だが、俺は続けた。
「わかるよ、あんたらがそんなリアクションするのはさ。けど、これは事実なんだ。なんでか分からないけど、俺の魂が宇部理紗の身体に入っちゃたんだよ。ほら、よくドラマとか映画であるだろう?そういうシチュエーションだと思ってくれていい。だからさ、俺の身体を探してくれ。そうすれば、多分、理紗の魂が元の身体に戻るはずなんだ。な、俺を探してくれ、国枝國士、国枝國士を頼む、探してくれ。……国枝は日本国の国、枝は木の枝、國士の國は……」
突然、ものすごい笑い声が病室内に響き渡った。
目の前の男が腹を抱えて笑っていた。俺の顔が、かあっと赤くなる。
「そうか、なるほど、そういうことか。いやあ、騙されるところだった。さすがは名女優。本当に上手いな」
「う、嘘じゃないって」
「そうはいかない。お前がそんな風に装っても、誤魔化されないぞ、勝手にフェードアウトはさせないから」
「えっ?どういうこと?」
畠山が訊いた。
「畠山さん、これは彼女の作戦なんですよ。このまま病気を理由に芸能界をフェードアウトしようとしている、そういうことだろう?」
「そうなの?」
怪訝な顔で畠山が見つめる。
「ち、違うって。何ヘンな風に取ってんだよ。俺が宇部理紗じゃあないってことは、話し方から振る舞いでわかるだろう?だいたい、どこから国枝國士って名が出てきたんだよ?それに芸能界を辞めたいなら、辞めるって言えばいいんじゃん?それを自分は男ですって言って引退なんて、単なるバカじゃん」
「……まあ、そこら辺は君なりに何か計算があるんだろう。君は頭がいい子だ。例のスキャンダルにしたって何かを考えているって、社長や夏生先生も言ってたし。だから、そんなお芝居通じないよ」
「だからぁ……」
「それとも本当におかしくなっちゃったのか?……まあ、今日のところは答えは保留にしておこう。このことは社長や夏生先生にも伝えておくから。もう少し、考えを変えた方がいい」
男は、俺を憐れむような目で見て、立ち上がった。
畠山は何か言いたげに俺を見つめていたが、無言で病室を出ていった。
病室を出て、エレベーターに乗り込んだ畠山は「フーッ」と大きく吐息をついた後、葛城に向かって訊いた。
「理紗は本当に、芸能界をやめたくてあんなことを言っているというんですか?」
「それは、僕にも分かりません」
葛城は打って変わって、表情を硬くしていた。
「じゃあ、さっきのは?」
驚き、畠山が訊く。
「よく判らないが、ウソをついているようにも見えない。本当に解らないから、あんな風に返したんですが。……おかしくなったって、理紗が、自分が男なんて言います?」
畠山が首を横に振る。
「……ちょっと調べてみますよ」
「なにを?」
「いなくなった後、理紗の身に何があったか?それと国枝國士についてです。……それと、この事は僕と畠山さんの秘密という事で。事務所の人間にも黙っていてください。佐藤もいいな?」
葛城に言われて、佐藤もうなずく。
「そうしてくれると私も助かります。この状況をどうするか考える時間が欲しいですから……」
「わかっています」
葛城は畠山にやさしく微笑んだ。
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