第八話 霊幻師弟

第八話 霊幻師弟〈1〉

 

 第八話 



 ――蒼い炎が風に躍った。

 光が収束してゆく。夜闇と静寂が戻ってくる。

 これまでユーリンを飛僵として〈命あるものの如くに〉付き従わせていた符咒回路は、グウェンが編み上げた法術によって大幅に書き換えられていた。宝珠から溢れた光は、ユーリンの全身に張り巡らされていた符咒による命令を新たに描き、蒼い燐光の帯となって今その身を包んでいた。

 グウェンが用いたのは、この世の理を捻じ曲げ、存在自体の在り方を書き換える究極の道術であった。

「あれは……特殊、霊魂?」

 二人の様子を見守っていた雪蓮がふと呟く。

 あの世とこの世、どちら側のルールにも囚われない絶対的な強さをもつ境界者。

 魄を中心に構成された飛僵であるユーリンに自らの魂を与えることで、あのパブリックガーデンに召喚された人造鬼と似て非なる存在をグウェンは造り出したのだ。

『……先生』

 かくして、炎のような毛並みの巨大な白狼犬がそこにいた。

 炎のような、ではない。実際に蒼白く燃ゆる炎を纏い、それが新雪のようにきらきらと輝いている。

「ユーリン」

 グウェンは手を伸ばそうとして躊躇った。

「……オレが、分かるか?」

 白狼犬は大きな翠眼を窄めてみせる。

 確かにグウェンの言葉を聞き取り、それを理解したというふうに。

『まったく。こんな姿にしてくれちゃって、どうするんですか』

 獣が発する言葉は間違いなくユーリンの声と同質で、口調までも少女と同じ。

 炎の鬣を夜風に揺らし、さほど困ってもいない涼しい顔で狼犬は――否、ユーリンは言った。

「気に入らないなら謝るがね。これでも精一杯やったんだ」

『……気に入らないだなんて言ってません。ただ自分が大きくて距離感が狂いそうなだけです。それに私、とても強くなっている』

「今のオマエは〈コウ〉という存在だ。だいぶ霊格が上がっているからな。違和感があるのは無理もないさ」

 ユーリンは僵尸の最終的な変化形態である悪獣〈爻〉として甦ったのだ。その姿は狼犬に似ているが、遙かに強靭で美しく、強大な神通力を持ち、火炎の術を操るという。

『だいたい魂魄を私に分け与えるだなんて、馬鹿もいいところだ。こんなに霊格まで上げてしまうなんて、いったいどれだけの馬鹿力なんですか……どうせまた無理をしたのでしょう!』

「だからそんなに怒るなって。こちとら一か八かの賭けだったんだ」

『一か八かってそんな……うまくいったからいいようなものの、先生まで危なかったんじゃないですか』

「正直、だいぶ消耗はしたがね。オマエが約束の一つも守らねえから悪いんだ。それにオマエは命ひとつで、オレは半分。こっちはまだ借りも返せてねェよ」

『……借りなんか、いいのに。それに……こんな大きさじゃ、私、義荘にも入れない』

「アー、そこは安心しろ。姿形だけなら後でなンとでもしてやるよ」

『ならば……私は先生を隣で見上げていられる、いつもの姿の方が落ち付きます』

「……そうかよ」

『そうです』

 あまりにも素直なユーリンの言葉に、グウェンとしては苦笑するしかない。

「おかえり、ユーリン」

 それでも手を伸ばし、真っ白な毛並みを一撫でした、その時だった。

「ユーリン、ユーリン! よかった! それに、とても……素敵ですわ! こんなにモフモフになって……!」

 雪蓮がユーリンの鼻先を抱きしめるように飛び込んできた。そのまま、彼女の手指がユーリンの顎下を撫でまわす。ユーリンは喉をごろごろと鳴らして、とても犬らしい反応をみせた。

『わふぅっ!? せっ、雪蓮ッ、そこはダメっ! んんっ、私おかしくなっちゃう!』

「あらあら、可愛い反応ですわね……?」

『あふうぅッ……今は本当にダメだってぇッ!』

「もう少し、もうすこーしだけですから、ね? ほら、おすわり。お手」

『やめて! 飼い犬みたくしないで!』

 危うく伏せて腹を見せそうになりながら、ユーリンが切実に訴える。姿形は変わっても力関係は変わらないらしい。二人の仲睦まじいやり取りは、グウェンの張り詰めた心を解きほぐす。

 ジーンによる破壊はばら撒かれ続け、危機的状況からは抜け出せていない。にも関わらず、何一つ諦める気にならないでいられるのは、仲間がいるおかげだろう。

 グウェンは顔を上げると、港湾沿いの街を打ち壊しながら進んでいく竜を見据えた。

 その視線の動きを読み取ったユーリンが、静かに口を開く。

『さあ、雪蓮……本当にそろそろ離れて。これから私は先生と、あいつを……ジーンを倒しに行かねばならないんだ。今の私ならば先生を乗せて奴のところまで飛ぶことができる』

 その言葉に頷き、雪蓮が最後にとびきり甘い抱擁をくれて体を離す。

「ユーリン……オレと来てくれるのか? オマエはもう戦わなくったっていい。自由に生きることだって――」

『先生ひとりであいつに勝てるとお思いですか? それに、今更ひとりでなんて行かせませんよ。なんのために私を再び造り変えたのですか』

 ユーリンは真っ直ぐに、そして勇ましく微笑む。白狼犬の横顔に、少女の笑顔が重なった。

「……なんだか、もう負ける気がしないな」

『ずっと傍にいると約束したでしょう。あの約束を守らせてください。さあ、私の背に乗って』

 白狼犬が身を屈め、その背にグウェンが跨った。〈爻〉は本来、仏神が乗り物とする悪獣である。その暴悪な本性を御して、人に害悪を与えないようにするのだという。

 グウェンとユーリン。ふたりの姿は、まるでそんな言い伝えを再現しているようであった。

「では……引き続き、私とラウ様で怪我人の手当てと誘導を続けますわ」

「ああ。下は任せた」

『雪蓮、気をつけて』

 ユーリンは一声吼えると、グウェンを乗せて夜空へと飛び立った。

「ユーリン、グウェン様……どうかご無事で」

 混沌の渦中――竜が振りまく破壊の中へと飛び去る二人を見守り、雪蓮も市街区へと踵を返す。ルオシーはずっと人々を逃がすために奔走している。

 夜明けにはまだ遠い。

 ああ――だけど、諦めることなんてなにひとつない。

 雪蓮は彼女にしかできないことをするため、再び街の中へと走り出した。


 §


 いつからだろう。こんなに何も感じなくなってしまったのは。

 人々を喰い千切り、その営みを踏みにじりながら進む。

 どこへ? どこだっていい。手当たり次第に壊せば、それですべてが終わるんだ。

 街が崩れていく。あちこちで火の手が上がる。

 警官隊が駆けてきて銃で撃ってくるが、なんの痛痒にもならない。邪魔なだけだ。一切合財を爪で斬り裂き、捻り潰して、進む。

 そうとも、おれは止まらない。止まれないんだ。

 この世は汚れ腐りきっている。もう誰にも救いようがない。ならば壊してしまえばいい。

 そうすればおれも、グウェン――おまえもあの忌々しい役目を終えられるだろう?

 でも、ああ――もうあの手はおれを掴まえてはくれないんだっけ。

 そう、あの時。

 おれの手をおまえが取ってくれていたら。

 そうしたら、少しは違う結果になったのかもしれないな。

 ……なあ、グウェン。おれはどうやって歩いていけばいい?

 どこまでひとりで歩けばいい?

 にくい。

 さびしい。

 こわい。

 むなしい。

 つらくて、かなしい。

 誰かに救って欲しかったのはおれ自身だったのかもしれない。

 誰かに――?

 ちがう。グウェン、おまえに救って欲しかったんだ。




『はァい、またまたお兄チャンの勝ちィ』

 息を切らしてあおむけに転げたグウェンの鼻先に刀を突き付け、告げる。

 もう何本目かの相対稽古。

 まだ幼い弟の剣術の腕はジーンには遠く及ばず、こうして連戦連敗を重ねていた。

 疲労困憊で横たわるグウェンはしかし諦める様子はなく、すぐに起き上がって「……もう一本」と勝負を挑む。

『あのさァ、グウェンはなんだってそんなに一生懸命なわけ? 才能も技術もおれのほうが断然上。それにどうせ霊幻道士のお役目を継ぐのは長兄のおれなんだし、きみはてきとーにやってればいいんじゃない?』

 呆れたジーンがため息交じりに首を傾げる。

『人生なんてあっちゅーま、もっとたのしーことが地上にはたくさんあるじゃん? たとえ刹那的なものであっても只人のうちにやっておきたいことやっといた方が得……だよ?』

 グウェン――愛しいおまえだけはおれのようにならないように。

 その言葉を飲み込み、立ち上がろうとする少年に手を伸べる。グウェンはジーンの手をしっかりと握り返してきた。

 泥だらけの手はしかし温かくしなやかだった。

 紺碧の瞳がまっすぐにジーンを見つめていた。

『人が人を憎しみ恨む限り、妖魔はいなくならない。だから、霊幻道士のお役目は永遠に終わらないって……この前爺ちゃんから聞いた』

『アー、そのこと……ね。グウェン、オマエはそんなん気にしなくていいって――』

『たしかに、オレは弱くて……ジーンには敵わない。実際、次の霊幻道士のお役目につくのはジーンしかいないとも思う。でも』

 グウェンは迷うことなく、そして強い眼で告げる。

 そこに宿っていたのは確かな決意だった。

『ジーンがそれを続けるというのなら、オレがジーンをずっと守るよ。だから今は早くジーンの背中くらい守れるようにならなきゃいけないんだ』

『……オマエ、なに馬鹿なこといってンのさ』

『馬鹿で悪いか。でも、おれにはこれくらいしか思い浮かばないんだよ。なんでもできるジーンに対してオレができることはずっと傍で背中を守ることだ』

 ジーンは笑うのをやめてグウェンを見た。

 ……期待してはいけない。

 自分の重荷をグウェンにまで背負わせてはいけない――そう思いながらも、縋らずにはいられなかった。

『せめて……それくらいさせろって』

 恥ずかしさからかそれとも真剣に取り合ってもらえていないと感じたのか、グウェンは結局最後にはきまり悪そうにそっぽをむいてしまった。

『グウェン~、拗ねるなってェ。お兄チャンが悪かったよ』

『……拗ねてない』

『オマエがおれの背中を守る、か。……ほんとに? ずっと?」

『ああ、ずっとだ!』

『ずっと、か』

 ああ、それならば。

 グウェンが永遠を誓ってくれるのならば。

 自分はこの先もきっと歩いていけるだろう――。

『そンなら、霊幻道士も案外悪くはないかもねェ』

『それじゃ、もう一本打ち合い頼む』

『わかった、わかった。手加減はなるべくしないよ?』

『望むところだ』

 グウェンが剣を構える。ジーンもそれに応じて、受けて立つ。

 ずっと。

 ずっと、この先もずっと――こんな時間が続けばいいと、あの頃はそれだけを願っていた。




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