通りたくない道




 桜の花も散り、新緑の五月中旬。

 夜、散歩をするのもちょうどいい季節になっていた。

 昨年の暮れの健康診断でメタボと言われ、「生活改善プログラム」仰々しい名前を付けて、会社から十キロの減量を言い渡された。

 社員の健康リスクが会社に及ぼす影響を考えて、社員の健康管理が給料に響くことになった昨今、太っていることは罪悪である。

 今年四十の大台に乗った私は、そんなわけで毎晩の晩酌をやめ、毎夜、近所をウォーキングすることが日課になっていた。

 そのお陰かどうか、お腹周りもスッキリとしだし、歩くスピードも寒い頃に比べて軽やかになった気がする。

 さて、そんなウォーキングが日課になった昨今、大したことではないのだが気づいたことが二つある。

 一つは、酒を飲まずにウォーキングをすると、よく眠れて毎日調子が良く過ごせるという事。

 そしてもう一つは、私には、なんとなく通りたくない道があるという事だ。

 ウォーキングを四か月も続けていると、家の近所の道を知り尽くすほど、いろんな道を通ったのだが、昼間はいいが、夜通るのが気が引ける道があるのだ。

 一つはすぐ横を川に沿って歩く道であり、

 一つは電車の線路に沿って歩く道であり、

 一つは工場や学校など、昼間は人が多く利用しているのに、夜になるとひっそりと静まり返る場所を歩くことだ。

 理由は分からないが、在ると、なんとなく避けたくなる。

 そして、この三つが纏めてある道が存在する。

 家から三キロくらいみなみに行ったところに、川と線路に挟まれて、川を挟んで工場が建っている道である。

 そこは民家もなく、よって、夜になると車の通りも少ない。

 しかも、そこは、ちょうどいい距離のウォーキングコースになっている。

 普段は広大な工場の真ん中を突っ切る道を通り、西側に回るか、その反対を行くかだが、その日、東側にあるを通ろうと思ったのは、単なる気まぐれであった。

 人間には、気持ちが強い日と弱い日ある。

 その日はどうやら気持ちの強い日で、頭の中にある不気味に想像される道を通ってみようと思った。

 そう、しいて理由を上げるとしたら、電車の沿線側を久しく歩いてないことを思い出したからであった。

 昔はよくその電車に乗って、隣町まで働きに出たものだが会社を変えて、車通勤になってからは電車に乗ることはおろか、電車が走っている姿も見ることが少なくなった。

 そんなノスタルジーを感じたためかもしれない。

 住宅街の中を歩いていくと線路に突き当たる。単線で、丘のように盛り上がった目線の高さに線路がある。

 線路に沿って、左に曲がると川が現れる。川と言っても生活用水と雨水用にある幅十メートルもないの狭い川だ。

 線路と川に挟まれた車一台がすれ違うのにやっとの道が一キロくらい続いている。

 更に少し行くと工場地帯の裏手に出て、私が避けたい道といった線路と川を挟んだ道がしばらく続く。

 工場地帯と川、線路を挟んだ反対側は畑やハウス、工場の駐車場だったり、潰れた自動車工場などが隣接してある寂しい場所だ。

 車の通りもなく、工場の周りを取り囲む塀と川の間に土手があり、そこに桜の木が植えて、川の上に枝葉を垂れ下げている。

 今は花びらがすべてなくなり、代わりに青々とした葉っぱが街路灯にぼんやりと映し出されていた。

 更に先に進むと、道の終点は丁字路になっていて、川が斜めに道の下を潜って、その先に現れる。

 左を曲がると、工場の塀に沿って道路が続き、右手は踏切となっていて、その先に十字路があり、左に曲がり少し行ったところに駅がある。

 丁字路を渡たったほぼ正面の場所に、五階建てのアパートが建っていた。

 街路灯に照らされて、アパートの壁が青色だなと思った瞬間、白い何かが空中を飛んでいき、その青い壁に吸い込まれていくのが見えた。

 最初は鳥だと思った。

 それでも鳥にしては大きく、飛び方も違っていた。

 何かわからず、そのまま進んでいくと、またしても白い影が飛んできて青い壁の中に吸い込まれていった。最初は何かの見間違いか、目の錯覚か何かと思ったが、今度はハッキリ見えた。

 更に丁字路に近づいていく。

 アパートは独身用の五階建て、一棟二十部屋のモダンな造りのアパートのようであった。

 道からは玄関部が見え、住人がどれくらい住んでいるのか分からないが、部屋の前に自転車等が置かれて、生活感が出ている。

 暗くてよく解らないが作りから見て、建って数十年は経っていそうだ。

 その時、頭上を例の白いものがスッと横切っていった。

 その瞬間、私はゾゾっと鳥肌が立った。

 幽霊である。

 二度の予備知識があったので、なんとなく予感はしていたが、はっきりと見えた。

 幽霊だ。

 私には霊感はない。そんなものは信じたこともないし、そういった類のものはバカバカしいと思っていた。

 それが今、はっきりと見てしまった。しかも性別まで分かった。女の幽霊だ。

 それでも怖いという感じはなく、どちらかというと、やっぱいるんだ、という驚きといや、これは何か別の現象ではないのかという疑いの方が勝っていた。

 白い長じゅばんのようなものを着ていたのも、コントの幽霊を連想させたのかもしれない。

 次の瞬間、「ああっ」と妙な納得があった。

 というのが、幽霊が飛んできた方向に老人ホームと隣接した大きな病院があったからだ。

 もしかして、ここは幽霊の通り道と言うヤツかもしれない。

 私は家に帰り、このことを妻に話して聞かせた。すると、妻はこんな話をした。

「ああ、あのアパート。幽霊が出るって有名よ」

「本当に?」

 驚く私。

「何でも四階の東側にある四号室は事故物件としても有名で、あそこには一ヶ月も暮らしていられないって噂になっているのよ」

「へえー、知らなかった。本当にあるんだな、そういう部屋って」

「そうよ、世の中には理解できない不思議な事や怖いことはたくさんあるんだから」

 物知り顔で妻が言う。

「じゃあ、そんな部屋に暮らしていけるヤツがいたら、よっぽど鈍感なんだな」

「でも、あなた。そうとわかったら、二度とそんな場所には近づかないでね。幽霊を連れて帰るかもしれないわよ」

 妻は笑ってはいるが、本心でそういって言るとわかった。

「わかっているって」

 と返事はしたが、その日から、私は面白くなって、幽霊が通過するアパートを見に、定期的に、その道をウォーキングコースに加えた。

 そのたびに、必ず一回は幽霊を見ることになり、あまりに頻繁に見るので何の感動も無くなっていった。

 それと、例の四階の四号室について分かったことがあった。

 404号室はもう五年間、同じ住人が暮らしているというのだ。三十代後半の独身男性で、新聞配達員をしているという。


 それから一か月が経ったある日、404号室の住民は警察に逮捕された。

 罪状は、三人の女性を殺害した罪であった。

 男の部屋から被害者女性の遺留品と、指紋、血液などが発見された。

 男の名は小森恵一こもりけいいち三十八歳。新聞配達員。

 低身長で小太り、ボサボサ頭で、銀縁メガネをかけた冴えない容姿がテレビの報道で流れた。

 取調べに対し、小森は容疑を否認。

 しかし、事件当時、何をしていたのか記憶はなく、アリバイもないことから容疑は晴れず、検察は証拠を固め、小森を起訴に持って行った。

 ところが一部のマスコミからは、小森が犯人ではないのではと言われている。

 というのが、小森は知能が低く、死体を隠すほどの知恵はないというのと、なにより、彼は車を持っていない。

 被害者の三人の女性は、別々の場所で発見された。

 第一被害者は、流れのはやい川に遺棄され、河口付近で発見された。

 第二被害者は、鉄道の線路上に置かれて、証拠隠滅のために列車に轢かせようとした。

 第三被害者は、自動車の廃棄工場で廃棄予定の車の中から見つかった。

 いずれも犯行を隠すために、死体を処理しようとする残虐なところに同情の余地なしと断罪されたが、どうやって、死体を運んだという謎は残ったままであった。

 しかし、検察はアパートで見つかった数々の証拠を武器に裁判を戦い、求刑通り、小森に死刑判決が下ったのだった。

 彼は今、拘置所で刑の執行を待っている。


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