スナックの裏の楽しみ方
「年間、三万人だよ。日本でこれだけの人数が行方不明になっているんだ。おかしいと思わない?」
カウンターの席のサラリーマンが、熱弁しているのが店内に響き渡る。
「……まあな。でも、その中には心配性の親が警察に捜索を依頼しているケースってのもあるんじゃないのか?」
隣の同僚が、酔って熱弁を振るう男を諭すように相手をする。
「それもあるが、大部分がそうでないケースだから恐ろしいんだ。聞きたいか?俺が訊いた行方不明になる原因の数々を」
それまであまり乗り気でなかった同僚の男も、それには興味があったようで、初めて相手の方に身体を向けた。
「フッ、では話そうか……」
スナック〇ヒロは土曜ということもあり、満席に近く席が埋まっていた。その中で一番奥のボックスに、二人の男とスナックの女がひとりついている。
「ごめんなさいね、うるさくて」
ホステスのあやが愛想笑いを浮かべて、水割りを作る。
「今日は珍しく賑わっているな」
客のうちの初老の男が店内を見回し、遠慮のない口調でいった。
「おかげさまで。それにしてもセイさん、久しぶりよね。どこで浮気していたの?」
あやは、歳の頃は三十代後半くらいか、ふくよかな身体をした愛嬌のある男好きする顔をした女性である。
「でへへっ。いや、近頃、不景気だろ?こっちに金をとられて、大人しくしていたんだ」
とセイさんは右手で、何かを掴んで捻る格好をした。
「またパチンコ?勝てないんだからやめたら?」
「でへっ。でも、今日は久しぶりに調子が良かったぞ。だから、来たんだ」
「こちらは初めてサンですよね。セイさんの会社の方?」
とあやがセイさんの連れを指しいった。
「いや、そのパチンコ屋でよく会う人でさ、顔見知りってやつ。今日、初めてまともに話して意気投合したんだ」
「へえ、なんて、お呼びしたらいいですか?」
「高橋と言います」
高橋と名乗った男は四十代前半くらいか、坊主頭の、愚直そうな雰囲気をした土木作業員のように陽に焼けた顔をしている。
「なにをしている方ですか?」
「トラックの運ちゃんだ、なっ?」
「ええっ」
「あ、私がやりますから」
高橋がテーブルの上にあるボトルを手に取り、蓋を開けようとしたので、あやがボトルを受け取ってグラスを自分の元へ手繰り寄せた。
「じゃあ、仕事で遠くまで行くんですか?」
「まあ」
「この人は高給取りだよ。パチンコに湯水のようにお金を使ってるもの」
グラスの中にウィスキーを注ぎ、それをペットボトルの炭酸と割ってハイボールを作り、高橋の前に置く。
「濃さはこれくらいでいいですか?」
高橋は一口飲んで、「……ああっ」とだけ言った。
「結婚はされているんですか?」
「いえ、独身です」
「あやちゃんどうだい?彼氏いないなら、相手してもらえば?」
スケベな笑みを浮かべながら、自分の願望を人に擦り付ける。
「セイさん、酔ってきたみたいね。わたしなんてタイプじゃないでしょ?」
あやの視線に、高橋はただ笑みを浮かべるのみであった。
「あやちゃん」
そこへ、カウンターからママがあやを呼んだ。見ると、店の入口に新たなグループが来ていた。
「ちょっと、ごめんなさい」
あやが席を立つ。
「なかなかいい女だろ?」
セイさんが顔を近づけて話しかけてきた。
六十ちかい前歯のないオヤジだ。職業は左官をしているが、ちゃんと仕事をしているのか毎日のようにパチンコ屋にいた。
「ええっ、そうですね」
高橋があいまいに答える。
「おれ、ずっと狙っているだが、なかなか靡かなくてな。ママの他にもう一人この店にはいるんだが、二人はよくねえな。特にあっちにいるヨウコってのがいるんだけど、ありゃあダメだ。色気がない上に気が強くてつまらん。あっ、噂をすればだ」
「セイさーん、また私の悪口言ってたでしょう?」
見た目は四十代後半くらいで、中肉中背だが肩幅が広く、それだけでも色気がないのはすぐにわかる女がドカリとセイさんの隣に座った。
「バカヤロー、そんなこと言うわけないだろう、世話になってるんだ。ははっ、なあ?」
セイさんが誤魔化し、高橋に同意を求める。
「別にいいけど……こちら、初めてね。お名前は?」
「高橋です」
「高橋さん、いい男ね。セイさんの100倍はね」
「お前、客に向かってなんだ?バカにしやがって」
カウンター内に入って、タバコを取り出して火をつけたあやの元に、貫禄があるママが近づいてきて耳打ちする。
「どう?あのセイさんの連れてきた男?」
「トラックの運転手だって。独身で金は持ってそう。けど、不愛想でつまらないヤツ」
「めんどくさいよりマシ。上手く取り入って、ねっ」
「わかっているって」
煙を吐きながら、薄暗い奥の席に目線を送るあや。
「じゃあ、全国を回っているんですか?」
「まあ、沖縄以外は行きますよ」
「いいなあ、私、全国津々浦々を旅して周るのが夢なんですよ。一度でいいから行ってみたい」
「でも、そんないいもんじゃないよ。四六時中、車の中だし」
「運転席で寝れるようになっていて、かなり広いんでしょう?」
「まあ、二人で寝れるくらいの広さはあるけどね」
「ふふッ、二人で寝れちゃうんですか?」
意味深な目を高橋に向けてくるあや。
高橋がグラスのハイボールを飲み干したタイミングで、あやがグラスを受け取って、「まだ飲みます?」と訊いた。
高橋はかなり目が座ってきているが、うなずく。隣ではセイさんが大きなイビキをかいている。
店内は客がピークが過ぎ、ずいぶん客が減っていた。
「はい、どーぞ」
あやが高橋の前にグラスになみなみと注がれたハイボールを置いて、それを高橋は間髪入れず一口すする。
「今度、運転席見てみる?」
グラスから顔を上げ、高橋がついでのようにいった。
「良いですね」
「今夜は?」
あやはニッコリとうなずいた。
カウンターでは、片膝をついたサラリーマンが二人眠っている。
「あんたたち、どうするの?まだ飲んでく?」
ママがタバコをふかしながら、二人の若いサラリーマンを見下ろしていった。
肩肘から頭から滑らせて目覚めたのは、先ほどうるさく声を張り上げていた方だ。
「ママ……知ってる?年間、三万人だよ。日本でこれだけの人数の人が行方不明になっている……おかしいと思わない?」
寝言のように、目を閉じながら話すサラリーマン。
「そうね」
適当に答えるママ。
「その原因トップ3を教えてあげるよ。1位は……自分から失踪している。世の中には、いろんな事情で、自分からいなくなる人がいるんだ。悲しいよね……2位は誰かに連れされている。……文字通り事件性があるやつだよ。世の中には悪い奴がいるもんだ、気を付けないと……そして3位は信んじられないかもしれないけど……神隠し……」
そこまで話すと、サラリーマンが力尽き、再び眠りに落ちてしまった。
「ヨウコちゃん、この二人、裏に連れて行って」
ママに言われて、ヨウコは二人のサラリーマンを同時に力強く抱きかかえると、奥へと運んでいく。
人気のない駐車場に停められた箱型の大型トラックの運転席から、激しい息遣いと女の喘ぎ声が聞こえてくる。
フロントガラスが二人の熱気でくもっていた。
深夜、あやは尿意をもよおし目を覚ました。
隣で眠る高橋は、大きないびきをかいて起きる気配はない。
あやはトレーラーを抜け出て、コートの前を合わせた格好で寒さを堪えながら、通りを挟んだ向こうのコンビニに用を足しに道を渡ろうとした。
次の瞬間、ライトもつけず猛スピードで走ってきた車が、あやを撥ね飛ばし走り去っていく。
あやの身体は勢いよく吹っ飛ばされ、道路から一段下がった駐車場に停めてある高橋のトレーラーの屋根の上に落ちた。
あやはうなり声を上げて、一瞬、頭をもたげるが口から血を流し、事切れた。
早朝、まだ日も明けない頃、高橋はスマホのアラームで目を覚ました。
そして、空の寝床を見て思わず苦笑する。
その後、トラックを運転して仕事へと出る。屋根にあやの遺体を乗せたまま……。
トラックは銀色の荷台を光らせながら街路を走り、田舎道に通過して、やがて山道へ入って行く。
山道は急カーブが続き、そのたびに屋根の上のあやの身体は右へ傾き、左へ傾く。そしてついに急カーブであやは屋根から転がり落ち、そのまま道を外れ、奈落の底のような斜面へと転がっていく。
その下は雑木林となっており、遺体は雑木林に隠れて見えなくなってしまった。
ふと目を覚ますサラリーマン。
「ここは……?」
見覚えのない部屋。
ふと隣を見ると、見たことのないお婆さんが裸で寝息を立てている。
「はっ」
驚き、ベッドを抜け出すと自分も裸であることに気づく。
急いで部屋を見回し、壁のハンガー掛けにスーツが掛けてあるのに気づく。
急いでズボンとシャツを着て、上着を持って部屋を出ようとした時、おばあさんが目を覚ました。
目があって、蛇に睨まれた蛙のようにギョッとしたまま動かなくなるサラリーマン。
「もう行くのかい?」
それはスナック〇ヒロのママであった。
若いサラリーマンはアタフタと何を話しているのか分からない言葉を発する。
すると、ママは起き上がり、ベッドの傍らにあるタバコを取ってライターで火をつけた。煙をひと吹きして、サラリーマンに向かっていった。
「昨夜は楽しかったよ、またお願いね」
サラリーマン二人が、逃げるようにスナック〇ヒロから出ていく。
それを見送るネグリジェ姿のママとヨウコ。
「あやちゃんも上手くやったかね?」
ママがタバコを吹かしながらヨウコに訊いた。
🈡
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