ビックヘンの話




 ビックヘンというお笑い芸人がいる。

 今年四十三歳で芸歴は二十五年だが、タレント名鑑にも一度も載ったことのなく、アルバイトしながら何とか生計を立てている。もちろん独身であった。

見た目は、日本人の平均身長くらいで細身、一見イケメン風だが、どこか近寄りがたく独特の雰囲気をしている。

 ピン芸人で、芸風は奇抜なことをして人を笑わせる、というより驚かせるというものであった。

 いくつかのネタを紹介すると、

 生きたドジョウをどれだけ飲み込めるか、とボールの中に泳いでいる大量のドジョウを飲む。

 激辛のスープのお風呂に入る。

 虫だけを食べて一か月間生活をする。

 一言も喋らずに北海道から沖縄までのヒッチハイクができるかを検証して、結局、ほとんど歩いて旅を終える。

 などと、とにかく無茶な事をして注目を浴びるという芸風である。

 そんな彼だが、人生に一度だけスポットライトを浴びたことがあった。

 それは、人気芸人のアナホリーズの番組で、芸人をドッキリに掛けるという企画。

ビックヘンが仕掛け人となり、事務所の先輩であるリアクション芸人の入山哲二いりやまてつじをドッキリに仕掛けるという。

 内容はこうだ。

 ニセ番組で、後輩であるビックヘンのバイクにニケツさせてもらい、二人で山中にツーリングに出かける。

 途中、入山が走行中のバイクから落下してしまい、動かなくなるというドッキリを仕掛ける。

(実はバイクから落ちたのは入山ではなくスタントマンで、道に落ちたところでうまく入れ替わる。)

 だが、このドッキリは入山をダマすための罠であり、本線は、ビックヘンは落ちた入山に気づかずにどんどん先へ行ってしまい、追いかけていった先で、今度は山道で倒れているビックヘンが発見されるという逆ドッキリであった。

 ビックヘンになぜ白羽の矢が立ったのかといえば、入山の後輩ということと、彼は昔からオフロードバイクの趣味があって、山道の運転が出来たからだ。

 本番当日、ビックヘンは自分の愛車、HONDA のXLR80R1987年モデルに乗って現れた。

「年季が入っているね」

 司会のアナホリズの三無一武みなしかずたけがバイクを見ながら嬉しそうにいった。

「やることは分かっているよね?」

「はい」

 カメラの前で、人気芸人と並んだビックヘンは緊張気味だ。

「じゃあ、宜しくね」

 三無がバンに乗り込んで、撮影が始まった。

 待ち合わせ場所の山間の道の駅に、HONDA XLR80Rに乗ったビックヘンがやってきたのを、先に駐車場で待っていた入山が迎える。

「よー、ビック。待ちくたびれたよ」

 手を挙げて近づいてきたのは、身長160㎝くらいの小さな体だが、態度がデカい最近テレビでよく見かける芸人、入山哲二であった。

「すみません」

 一方、ビックヘンはビックと名がつくが、身長170ちょいとそれほど大きくはないし、身体も細く全体的に雰囲気は冴えない感じで頼りない。

「どうした、なに、緊張しているの?」

「いや……久しぶりのテレビだもので……」

 ビックは顔を引きつらせながら微笑んだ。

「大丈夫かな?」

 待ち合わせ場所の駐車場に、バンの車内に隠れてモニタリングしている三無が、画面の中のビックを見てつぶやいた。

「コースはこの山中を一周してもらって、途中の滝に立ち寄り、山頂に公園がゴールということで……」

 ディレクターが地図を見せながら、説明をするのを二人はうなずきながら聞いている。

「それでは、入山さん。このメットを被ってください」

 とスタッフがフルフェイスのヘルメットを手渡した。

「普通に考えれば、タレントにロケでフルフェイスのメット渡さないでしょう。そこでまずおかしいと思うけどね」

 三無がモニターを見ながらいった。

「それではお願いします」

 スタッフの掛け声で撮影が始まり、ビックヘンがハンドルを握るバイクの後部シートに入山が跨ると見せかけて、後ろの車の陰に隠れていたスタントマンの男と入れ替わって乗る。

「じゃあ、行ってください」

 ビックヘンとスタントマンを乗せたバイクが、道の駅を走り出す。

 うねうねとした林道を走りがながら、どんどんと山の奥深くへと入って行く。

「ビック、この先に確か、滝へ曲がる枝道があるから」

 入山のかん高い声がインカムを通じて、ビックヘンの耳に聞こえてくる。

 実はXLR80Rに距離をとりながら、入山を後部シートに乗せた別のバイクが後からついて来ていた。

「わかりました」

 道はやがてヘアピンカーブに差し掛かり、減速した瞬間、段どり通りバイクからスタントマンが振り落とされた。

「ああっ、痛い」

 インカムから入山の下手な演技の声が聴こえてくる。

 そして、これも段取り通り、ビックヘンは気づかずにそのままバイクを走らせて行ってしまう。

 だが、一つだけ段取りと違ったのは、ビックヘンはアクセルをふかし、スピードを上げて瞬く間に林道を上がって行ってしまった。

 少し遅れて、後続の入山がヘアピンカーブに到着してバイクを降りて、坂道を見上げる。

「あれ?行っちゃったよ。気づいてない?」

 入山がインカムを外して、スタッフに確認する。

「どうするの?」

「インカムはもう圏外なので、連絡のしようがないですね」

「ええっ?なに?じゃあ、ドッキリ失敗?」

 嘆く入山。


 林道を気持ちよく走行していたビックヘンは、どこまで行ってもスタッフが現れないので、バイクを止めた。

 本来なら、林道にスタッフがスタンバイしていて、倒れる場所の指示と血のりなどを用意してくれてあり、それを塗って入山を乗せたバイクが到着するのを待つのが段取りであった。

 ビックヘンはどうしようかと迷ったが、打ち合わせ通りにバイクを道の先に倒し、自分は地面に寝転がって倒れたフリをした。

 しかし、十分待っても、二十分待ってもスタッフはじめ、入山もだれ一人現れない。

 そうこうしていると、辺りが暗くなってきた。

「マジか……これはどう解釈すればいいのかな?」

 ビックヘンは起き上がり、いろいろと頭を巡らせた。そして、最終的にこれはドッキリのドッキリの、そのまたドッキリだという結論に達した。

 つまり、入山がドッキリの仕掛人として、ビックヘンをだまそうとして逆ドッキリに掛かるという筋書きだと思っていたが、本当は入山を逆ドッキリに掛けようとしたビックヘンの方をドッキリに掛けるという筋書きではないのだろうかと。

 それにしても、何時まで経ってもネタバラシに来ない。

「……ということは、俺が動かないといけないのか?」

 ビックヘンはバイクに乗って山を降りることにした。

 途中、何か仕掛けられていないか緊張しながら、それでも演者として、しっかりとドッキリに引っかからなければという芸人根性を抱きながら山を降り、町を抜け、アパートに戻った。

 が、何も起こらなかった。

「なんなんだ、いったい」

 流石の能天気で鈍いビックヘンも、これには少々アタマにきた。

「バカにしてやがる、クソ入山。クソアナホリーズがぁ……」

 悪態をつきながら、入山の携帯に電話を入れてみるが通じない。所属事務所に電話をかけても、番組を制作しているテレビ局に電話をかけてもどこも通じなかった。

「もしかして、これって、壮大なドッキリか?」

 狐につままれたようだったが、翌日、ビックヘンは実家に戻ることになっていた。


 ビックヘンこと、駒田裕司こまだゆうじは静岡県浜松市天竜区の生まれで、生家はたくさんの山を持ち、茶畑を営む資産家の家であった。

 陽が沈んだ頃、バイクで実家についたビックヘンの目の前に現れたのは、白と黒の垂れ幕と、喪服姿の参列客の列であった。

「三男坊として生まれ、自由気ままに生きてきた代償がこれか」

 ビックヘンを老けさせ、真面目にした雰囲気の丸坊主の白髪頭の老人が親族席でつぶやいた。

「この度はご愁傷さまで……」

 三無、テレビ局のディレクターが喪服姿で、お通夜に参列している。

「こんなことになるなんてよお~、ビックぅ」

 焼香を済ませた入山が、ビックヘンの遺影を見つめながら涙を流している。

 その様子をビックヘンが仏間の入口に立って、茫然と見つめていた。


 ――あの時、ビックヘンは調子に乗って、スピードを上げて山道を登っていった。

 やがてスタッフが待っているというカーブへ差し掛かった時、スピードを上げたまま滑るようにカーブを曲がってやろうと頭の中に浮かんだ。

 それは、ビックヘンの名前が示すように、自分は他人とは違うおかしな人間という矜持が頭をもたげた行動であった。

 どこかに仕掛けられた隠しカメラにその様子が映され、「ビック、スゲー」と言われるのではないかという、自意識過剰さもあった。

 カーブを滑るように曲がった瞬間、タイヤが道に落ちている漬物石大の石に乗り上げてハンドルが取られ、カーブを曲がり切れずにそのまま勢いよく道の幅を越えていった。

 その先にはガードレールなどなく、急な斜面になっており、バイクに乗ったままビックは落ちていく。ハンドルを握りしめ、何とか立て直そうと崖のような斜面を必死にバランスを取りながら落ちていったビックだったが、バイクもろとも数十メートル下の林道に叩きつけられたのだった……。


「俺が死んだ……」

 ビックはつぶやきながら、自分の遺影へと近づいて行く。

「俺が死んだ……」

 弔問客の中には中学や高校の同級生や芸人仲間、業界の関係者などの姿もあった。

「俺が死んだ……」

「死人が出たんだ、このご時世、番組は終了、アナホリーズや入山の責任も追及されるかもよ。お仕舞さ」

 業界人らしき二人が囁いているのが耳に入ってきた。

 突然、棺桶の蓋が開き、ビックヘンが起き上がり叫んだ。

「そんなバカなぁ~」

 そして、ビックヘンは伝説となった。


                                     🈡

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