拾ったもの負け




 例えば、道端に落ちているモノを財布だと思い拾い上げたら、中身のない使い古された定期入れだとわかって「なんだ」と、それをまた道に戻す行為。

 犯罪ではないがなんだかやりづらい。

 だから、仕方なく人目の付かないところに持っていって、捨てる。

 無視していればゴミは誰のものでもないが、拾った瞬間、そのゴミとの関連が生まれてしまう。

 そんなお話。


 その日、立花聖人たちばなまさとは、競馬場から引き上げる道すがら、歩道の隅に封筒が落ちているのを発見した。

 長身で細身だが、どこか野暮ったく平凡な顔をしている今年二十三になる若者である。彼はパチンコや競輪、競馬などにハマっているギャンブル狂で、この日も朝から競馬場でなけなしの三万円をスッてきたのでところであった。

 北風が、ギャンブルに負けた身に染みるように吹いている中、聖人は瞬時に、それが銀行の封筒であることに気づいた。もしかして、中身が入っているからではないかと素早く拾い上げ、コートのポケットの中に仕舞った。

 少し離れてから、歩きながら早速ポケットの中身の封筒を取り出し検めてみる。

 以前も似たようなことがあり、拾った封筒の中に一万円が入っていた。場所柄か、そういうことは案外あるものだ。

 厚さから、二三万円入っているかもしれないと思い中身を取り出すと、四角いおさつ大の藁半紙のような紙が三枚入っているだけであった。

「チッ、なんだ」

 大きな舌打ちをして、ため息をつく。せめて二三千円でも入っていたら、給料日までひもじい思いをしないで済んだのにと嘆いた。

 封筒と一緒に入っていた紙を丸めて捨てようとしたが、駅へと向かう歩道には、同じように肩を落として歩く人々がいたので、思いとどまってポケットにしまう。


「おはようございます」

 バイト先の戸建ての居酒屋の引き戸を開けて中に入り、仕込みをしている店長に挨拶をする。

「なんだ、お前、バイト先に女を連れてきたのか?」

 カウンターの中から店長が、聖人を一瞥していった。

「なに言ってるすか、女って?」

 訳の分からないオヤジギャグかと思い、鼻で嗤う聖人。

「はあ?お前の後ろの彼女、知りあいじゃないのか?」

「えっ?」

 店長が真顔で指さしたので振り返ると、そこに髪の長い女が俯き加減で立っていた。

「わあぉ」

 叫び声をあげて、飛びあがる聖人。

「だ、誰?」

 次の瞬間、女は髪の間から青白いこの世のモノとも思えない顔を覗かせ、ニヤリと微笑んだ。

「ぎゃ~ぁ、て、店長。ゆ、幽霊」

「ええっ?」

 店長もカウンターの中で固まり、女を見つめる。

 すると、女がスッーと聖人に近づいくる。聖人は目を閉じて、歯を食いしばっていると、女は折り重なるようになって聖人の身体に吸い込まれるように姿を消した。

「……んあなんだ、いったい?」

 店長は怒りをぶつけるように聖人に訊いた。

「……」

 聖人は恐怖のあまり、声も出ず店長を見つめている。

「……おい、大丈夫か?」

 店長は、聖人を気遣う落ち着きを取り戻した。

「え?あ、わからないっす……ええ?今の何なんですか?いましたよね、女……で、吸い込まれて消えましたよね、今?」

 四十代の後半、女好きでスナックに入り浸り、奥さんに逃げられ、養育費だけを毎月支払わなくてはいけないとボヤいている雇われ店長が、黙ってうなずいた。

「どうしましょう?」

「よく解らん。まあ、とりあえず着替えてこい。仕事だ」

 店長は興味を失ったように仕込みに戻った。

 言われるままに茫然と更衣室に入り、コートを脱いだ時に、アッと思いだし、ポケットの中の先ほど拾った封筒を取り出して、くしゃくしゃにした紙を広げてみる。

 何やら模様が縁どられた中に梵字のような文字が印刷されているお札のようなものであった。

「なんだよ、気持ちワリいな」

 今度こそ紙を丸めてゴミ箱に捨てようとしたが、これが先ほどの幽霊の原因ではないかと思い、店長の元に行く。

「あの、店長……」

 厨房を覗きこむと先ほどの女の幽霊が、店長の横に立っていた。

「ぐあああっん」

 聖人は悲鳴を上げて、その場にへたり込んだ。


 店長の知り合いの知り合いを頼り、霊能力者を紹介してもらう。

 拾った御札おふだを手に取り、聖人の説明を聞いている霊能力者は年のころ、三十代から四十代前半のかなり丸味を帯だ女性であった。体のフォルムは優しさを感じさせるが、大きな目で、食い入るように見つめる視線が、聖人を居心地悪くしていた。

「どうでしょうか?」

 おずおずと聖人が訊いた。先ほどからジッと三枚の御札を見比べている霊能力者、名前を吉野村雨よしのむらさめといった。

「……まあ、あれからもう霊は出てきてないですし、その御札を引き取ってもらえればいいのですが、やはりお寺とかに持って行った方がいいですかね?」

「あなた、もう終わったと思っているようだけど、とんでもないわよ」

 真っ直ぐ大きな目で見つめられ、聖人は身を縮めた。

「これはね、三枚で一つの封印の御札なのよ。一枚目が霊気を抑え、二枚目が怨念を抑え、三枚目は未練を抑えるの。それをこんなに雑にしてしまったから、御札の霊力が弱まったのね」

 村雨はそう言いながら、御札を盆の上に置いて、盆を畳の上に滑らせて聖人の方に押しやった。

「あの……それで?」

「あなた、このままいくとその女に取殺されるわよ」

「トリコロサレル?」

「そうなりたくなければ、このお札を作った人を探し出し、新しい御札を作ってもらい、その御札に改めてその女を封印するべきね」

「そんなぁ……」

 聖人は心底嫌そうな顔をした。

 しかし、村雨の言うことを信じる気になったのは、自分が霊のことを男か女か言ってなかったことと、という時に、村雨は必ず自分の背後に視線を向けていたからであった。

「で、その、御札を作った人をどうやって探せばいいのですか?」

 聖人はすがる思いで訊いた。すると、村雨は目を閉じ、ゆっくりと鼻息を吐いた。

千川三目せんかわみつめという僧侶を訪ねな」


 ネットで調べたところ、千川三目という僧侶はすぐに見つかった。

 三十年以上前、テレビ番組で心霊番組などに出ていたタレント僧侶であった。現在は奥羽の山奥の寺にいるというので、聖人はわざわざ千川三目を訪ねて奥羽の山奥に向かった。

 コンクリートの階段を上がり、『路鳥寺』と書かれた四脚門を潜ると狭い境内の先に本堂がある。

「来るな」

 境内をキョロキョロと落ち着きなく歩いている聖人に、浴びせるような大声が響いてきた。

 聖人は驚き、声の方を見ると、箒を持った作務衣姿のお坊さんが、ものすごい形相で睨んでいた。

「あ、あの、千川、さんですか?ボ、ボクは……」

「今すぐ立ちされぇ」

「あの……」

「去れ、この寺から立ち去れ」

 箒を振り回し追い立てるように近づいてくるのは、丸坊主で小太りの達磨のような顔をした老人であった。

「あ……」

「去れぇ」

 有無も言わさない態度に、聖人は追い立てられるように境内から出ていく。

 門を出て、石段を下りていくとき頭上から門が閉まる音が響いてきた。

「……なんなんだ?」

 振り返る聖人の背後に例の女が、ピタリとついていた。


 聖人は再び吉野村雨の元を訪ねた。

 借金までして、村雨に二十万円というお布施を払ったのだ。という思いが後押ししていた。

 だが、村雨の祈祷所『村雨の宿』は閉まっていた。

 チャイムを鳴らしても応答はないが、あの体系だから滅多に外へ出ないだろうと思い、『村雨の宿』の庭の方へと回ってみる。

 かなり凝った造りの日本庭園に入って行くと、庭の池を渡る橋の上に吉野村雨が立っていた。

「アッ……勝手に入って、すみません」

 警戒されないように、丁寧に頭を下げて近づいて行く。

「あれから千川三目という人のお寺に言ったんですけど、訳も分からず追い返されてしまったんです。誰か、他にいませんか?」

 すると、村雨はくるりと首だけを聖人の方を向けて、例の丸く大きな目は斜め上のあらぬ方へと向けている。

「あんたのせいよ」

 村雨がつぶやいた。

「えっ?」

「あんたが変なのを連れてきたから、あれから大変なことになったの」

「どういった……?」

「拾ってはダメなの、拾ったものには関わり合いができるのよ……お仕舞だ」

 すると、村雨は倒れこむように池の中に落ちていった。

 物凄い水しぶきが上がり、水面が大きく揺れて波紋が広がっていく。茫然と見つめていた聖人は、しばらくしてハッと我に返り、村雨が落ちた橋の上に向かった。

 しかし、橋の上から見た池の中に、村雨の姿はない。

 決して広くない池、深さだって知れていそうだが、どこを探しても村雨はおらず、それどころか、波紋もいつの間にか消え、池には鯉が優雅に泳いでいる。

 池を茫然と見つめていると、水面に奇妙な文様が浮かび上がる。

「?」

 目を凝らして、文様を見つめていると、文様がくっきりとした形となり、それが白い手だと気づいたとき、聖人は身を引いてのけ反った。と同時に水面から手が伸びてきて、聖人の身体を掴んで池の中に引きずりこんだ。



   *       *        *



 パチンコ屋を出た瞬間、高峰明子たかみねあきこ六十歳は思わず身震いした。

 それは決して、暖房が効いた店内から外へ出たばかりではない。この日の負けた五万円という金額を思い出したからだ。

 今月の負けが三十万に到達して、旦那に内緒で作った消費者金融にも百数十万の借金があった。

「こんな店、さっさと潰れればいいんだよ」

 忌々しそうにつぶやきながら、肩をすくめ繁華街を歩いていると、ふと路上に銀行の封筒が落ちていることに気づいた。

 明子は一瞬躊躇したが、さりげなさを装って封筒を拾い上げる。

 少し行って、コンビニの路地に入り封筒を開いてみると、そこにはお札ではなく、五枚の御札が入っていた。

「チッ、何だい……」

 その場に捨てようとしたが、コンビニから出てきた客の手前、捨てずにハンドバッグに入れて持って帰るのであった。



                                     🈡








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