引きこもり一家
その家が建ったのは、今から五十年ちかく前であった。
平屋の一軒家、民家と面した周囲をブロック塀で囲み、通りに面した部分は細葉の植え込みで目隠しをしている。
外からほとんど見えないその作りは家主の性格を象徴しているのか、この家の人々はあまり近所と付き合いがない。
この息子、十七の時、高校を中退してから今日までの三十年間、いわゆる引きこもりで、一度も就労したことがない。
現在、この家は社会問題となっている8050問題を抱えていた。
玄関から中にかけて、ごちゃごちゃと古い物から新しい物と渾然一体に置かれており薄暗い。掃除を全くしてないので、埃にまみれ、空気が淀んでいる。
玄関を上がると正面にトイレがあり、右手に台所、左に行くと居間や寝室がある。
家の奥は恐ろしく暗く、その家の廊下をモゾモゾと動く黒い影が一つあった。その影が奥の部屋の襖を震える手で開けて、中を覗き込んだ。
中から、漏れてくるテレビの光が、老人の顔を浮かび上がらせる。
ボサボサの白い髪が爆発したような髪型をしており、ところどころにクレーターのようなシミが出来ている。目がギョロリと大きく、口を開けると歯はなくて、ダルダルになったシャツの隙間から見える胸板は骨と皮だけだ。
もぐもぐと口を動かしながら、中に向かって話かける。
「……昌隆、ワシはメシを食べたか?」
「……」
昌隆はテレビ画面に向かって身じろぎもせず、ひたすら手元だけを動かしている。
画面ではキャラクターが走ったり、剣を振るったりしている。
「ワシは今日、メシを食べたかな?」
達治はもう一度訊いた。
昌隆はまた無視をする。聞こえてないわけではない、ただ、相手をしたくないだけだ。
すると画面のキャラクターが敵にやられて、画面が暗くなった。
「ああっ、もう、うるせーな、あっち行ってろ」
項垂れてから振り返った昌隆は、達治を若くしたような顔をしており、目がぎょろりと大きく、白髪が混じった黒髪は爆発したようだ。肌が白く、生気のない病的な顔をしていて、年齢より老けて見える。
再びテレビ画面に向かって、ゲームを再開する。
昌隆の周りにはペットボトルが散乱しており、コンビニ弁当の空き箱やファストフードの紙袋などがそこかしこに置かれている。
『フリーザーワールド』というソシャゲーをやりだすと止まらなくなり、いい年をして、徹夜もいとわない。
達治は何か言いたげに口をもごもごしていたが、襖を閉じて消えた。
いくらゲームに熱中していても、腹も減るし、日常のことはしなくてはならない。
近頃、達治がめっきりと歳を取り、動きも鈍くなってきたので家事全般、買い物などを昌隆が一応やるようになった。といっても、総菜などの出来合いの物を買ってくるだけし、洗濯は適当にやって、汚れがひどくなると捨ててしまう。
ゴミ捨てもほとんど行かず、台所にうずたかく積まれたゴミ袋の山には蠅がうるさく飛び交っている。
達治は痴呆が始まったようで、自分がご飯を食べたか覚えていないし、風呂も自分から入ろうとしない。本当は介護が必要なのだが昌隆がそんな手続きをするはずもなく、放っておいている。
しかし、まったく考えてないわけではなく、日夜憂いてはいた。だが、その憂いも翌日、杞憂に終わることとなる。
風呂を沸かし、久しぶりに達治が入り、昌隆はいつものように夕食が済んだあと自室に籠り、ゲームを始めた。
五時間近く経ってひと段落して、さあ風呂に入ろうと浴室に行ってみると電気がついていた。風呂のドアを開けてみると、湯船に入ったまま達治が眠っていた。
「いつまで入っているつもりだ?」
あきれ顔でいってから、浴室の中の達治に手を掛けると、口をあんぐりと開けて、達治が息絶えていた。
「うあっ」
思わず、悲鳴を上げ、しばらく達治を見つめていた昌隆。何を思ったか、いきなり風呂の栓を抜いて水を流した。
そして、その日はそのままにして翌日、風呂桶から達治を抱きかかえると外に出した。固まった達治を抱え上げ、寝室まで連れていくと、そこに置いてあった布団の上に寝かせる。
ちゃんと北枕にしてあり、頭の上に線香とお酒、ロウソクなど即席の仏壇のようなものが用意してある。
用意してあった浴衣を着せて、ロウソクにマッチで火をつけ、ロウソクから線香に火を移して、線香立てに立てた。手を合わせ、しばらくそうしていたが、徐に立ち上がり部屋を出ていく。
陽が沈み、夜になり、深夜になった頃、襖をあけて昌隆が入ってきた。大きな白い布筒を小脇に抱え、それを達治の横に置いた。そして、筒を回して布を出すと、達治の身体をぐるぐる巻きにした。まるでミイラのように綺麗に布で覆うと、旅行用の大型のトランクを持ってきて、その中に達治を押し込めて、その周りにありったけのコットンを詰め込んで、隙間をなくした後、鍵を閉めた。
さらにその上から用意してあった大型のラップで旅行鞄をぐるぐる巻きにした。
汗を額ににじませ、ステテコとTシャツ姿で数時間の作業を終えた昌隆は「フーッ」と大きな息をついたのだった。
* * *
薄暗い部屋の中で、『フリーザーワールド』に熱中している昌隆。
部屋は以前より、更にゴミに溢れ、飲みかけの炭酸が入ったペットボトルが畳に散乱しており、その他に、謎の液体が入っているペットボトルが整然と並べられている。
蠅がそこら中に飛んでいて、ファストフードの食べかけに蛆が湧いている。
しかし、昌隆は気にせず、ゲームに熱中していた。
「……昌隆」
不意に後ろから声が聴こえてきた。昌隆は気づかずにゲームに熱中している。
「……昌隆っ」
今度ははっきり聞こえた。画面の中ではキャラが敵にやられて死亡した。
「ああっん」
苛立ちを声にして振り返ると、そこに父親が立っていた。
ギョッとする昌隆。
「……いつまでもそんなことをしていないで、将来のことをちゃんと考えたらどうだ?」
何百回、何千回と聞かされてきた言葉を幽霊になった達治は言ってきた。
「わしが死んだら、どうするつもりだ?いい歳をしていつまでも遊んでいて、困るのはお前だぞ。いざ就職をしようとしても、どこも雇ってくれないし、結婚だって出来んぞ。誰にも相手にされず一人で生きていくつもりか?」
「フッ、これは夢か?」
昌隆は父親の幽霊を鼻で嗤った。
「将来、困るのは目に見えているぞ。一度も就職してない奴を一体、誰が雇うというんだ?もう少し、真剣に将来のことを考えてみたら……」
「るせーよ」
昌隆は叫んだ。
「死んでからも、べらべら説教しに出てくるんじゃねーっつうの。親父は死んだんだぞ。もう死んだの。ボケてそんなことも分からないのか?俺のことを心配してる暇があったら、自分のことを心配しろよ。もう出てくるな」
だが、朧げな姿をした達治は、虚ろな目で昌隆を見つめる。
「昌隆、ワシとアイツはお前の育て方を間違えてしまった。一人息子だからと、体が弱いからと甘やかしすぎてしまったようだ。病弱で産まれてきて、ただ生きていてさえくれたらいい。後はどんなことでもやってやろうと、その思いが結果、お前を生きることから遠ざけてしまったようだ……」
「なに、ごちゃごちゃうるさいこと言ってんだよ。今更、何を言ってももう遅いんだよ、手遅れだ。こんなんじゃあ、どうしようもないだろう。就職なんてしたくないし、今のままがいいんだよ、後はどうなろうと知っちゃいない。今が一番幸せなんだからいいの。幽霊になってまで、説教しに出てきて、いい加減にしろよ。この世は生きている者の世界なんだ。死んでまで、もう構うなよ」
一気に捲し立てた昌隆は息を切らし、父親を睨んだ。
悲しそうな眼をしていた達治が、ふと何かに気づいたように後ろを振り返った。すると、玄関のチャイムが鳴る。
「何なんだ、もう」
いらただし気に、つぶやく昌隆。
「甲山さーん、……甲山さーん?」
三回目のチャイムを鳴らし、玄関のすりガラスに二つのシルエットが浮かぶ。
昌隆は足早に玄関に降りて、鍵を開けた。引き戸を開けると、警察官二人が立っていた。
「甲山さんの息子さんですか?」
自分より背が高く、体格の良い若い警官が訊いてきた。
「……ハイ、なんでしょう?」
昌隆は眩しそうに警官を見て、小声で答える。
「近所の方から通報がありましてね。近頃、親御の姿を見かけないということなんですが、ご在宅ですか?」
「……い、やぁあ、今、入院していまして」
警官が顔を覗かせ、漂ってくる臭いに顔をしかめた。
「どこの病院ですか?」
「……」
昌隆は明らかに動揺して、家の中を一旦見て、警官に視線を戻した。
「どこの病院ですか?」
警官がもう一度、訊いた。
「す、すみません。嘘です、両親は家で亡くなりました……」
力なく項垂れる昌隆。すると、警官の一人が外に顔を向け、胸の無線を使って連絡を入れる。
「パトカーで、詳しく事情を聴けますか?」
警官に連れられて行く息子の姿を、家の中から小さな父親と、その傍らに、さらに小さな母親が心配そうに見つめていた。
🈡
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます