呪われた自転車




 住宅街から少し離れたさほど広くない公園の植え込みに、立てかけるように自転車が放置されていた。

 もう何日もその状態で、誰も気にも留めることはない。

 タイヤのサイズ16インチの、前輪の上に大きな籠がついた小さなママチャリで、白い塗料が土埃で薄汚れており、雨ざらしからか、ところどころ錆びついている。サドルも綻びており、タイヤの空気圧もゆるく、乗れば恐らくぺちゃんこになるだろう。

 ハンドル前の籠には、謎のスーパーの白いビニール袋と、ゴミ箱代わりに缶やゴミ葛が入っている。後ろのタイヤとチェーンカバーとの隙間にビニール傘が差しこんであり、雨が降っても、対応できる使用になっている。

 持ち主は、どこへ行ったのだろうか?

 片田舎の郊外に位置するこの公園のどこを見回してみても、それらしい人物の姿はない。

 数か月前から、これに似た自転車を運転している老人のホームレスのような人物がいたという証言があったが、誰もきちんと記憶した者はない。

 恐らく、その人が持っている身体以外の唯一の財産がこの自転車なのではないだろうか。そんな大事なものを放っておいて、どこへ行ったのであろうか?

 もしかしたら、よんどころのない事情があり止む無く、この場所に隠すように止めておいたのかもしれない。

 誰にも気づかれないように祈る気持ちで、植え込みに隠すように立てかけておいたのかもしれない。

 だが、その祈りが通じることなく、自転車はあっけなくその存在を知られることになる。しかも、見つけたのは警察官であった。

 警官が自転車の前にしゃがみ込み、登録番号を調べるために、自転車をこねくり回す。最近、この付近で自転車の盗難が増えている為であった。

 そして、見つけた登録番号を照会して驚くべき事実が判明した。

 この自転車、五年前に起きた資産家老女殺人事件で被害者女性が所持していた自転車だったのだ。

 五年前、資産家の老婦人が自宅で何者かに殺害され、貯めこんでいたタンス預金数百万円の現金と婦人愛用の白い自転車が消えていた。

 それがこの日、警官の放置自転車の照合で明るみになった。

 警察は、その自転車を公園から県警の科捜研に持っていき、指紋や物証、その他を調べるため、解体して出てきたモノが以下の通りである。

 自転車本体 

 籠の中に入っていたスーパーのビニール袋と中に黄色のハンドタオル

 500mlのビールの飲みかけ

 某ファストフード店のハンバーガーとポテトの紙の包み

 サドルの下に巻いてあった布(後にハンカチの一部とわかる)

 後輪とチェーンカバーの隙間に挟んであったビニール傘

 ハンドルにぐるぐる巻きにされたテープ

 ハンドルのグリップを取って、ハンドルの筒の中に一片のレシートが入っていた。

 自転車はメイドインチャイナで、二十年前に量販店で発売されたもので登録番号からも資産家の老女が乗っていたもので間違いなかった。


 殺された老女は、初台はつだいとねといい事件当時、八十六歳で年齢の割に健康で、いつもその自転車に乗って買い物に出かけたりしていた。

 隣町に息子夫婦が暮らしており、日本家屋の広い一軒家に一人で暮らしていた。

 近所でも有名な資産家であったが、人当たりが良く交友関係も広かった。十年前に連れ合いを亡くし、それから一人で暮らしていたが、近所の人が面倒をよく見ていたという。

 事件の第一発見者は、隣に暮らす中年の婦人で、いつものようにとねの元を訪ねてみたところ、玄関が開いており、廊下でとねが血を流して死亡しているのを発見した。

 とねは玄関から数メートル入った居間の前で、後頭部を一撃され、死亡していた。

 凶器は棒状のもので、現在まで発見されていない。死後半日が経っており、昨夜九時ごろから未明にかけての犯行とみられた。

 その後の調べで、とねの家から無くなっている物が、先ほど述べた現金数百万円ととね愛用の自転車がそれであった。

 五年が経った今も、犯人の手がかりは掴めておらず、自転車の行方も分かっていなかったが、こんな形で発見されて、警察は俄かに色めきだった。

 自転車の分析と共に、自転車に乗っていたと証言があった年齢不詳の老人のホームレスの行方が捜査対象に上がった。

 幾つかの証言により、一年前から老人のホームレスがこの界隈で見かけられたが、詳しく知る者はなく、またどこへ行ったのかも分かっていない。

 ちょうど、自転車が放置されたころから、そのホームレスの行方も分からなくなっていた。

 さて、まもなく自転車から出てきたモノを分析した結果が出た。


 自転車の籠に入っていたビニール袋は公園の近くにあるスーパーの物で、中に入っていた物は使われたタオルであった。

 ビニール袋からは何種類かの指紋が採取できた。

 ビールの缶からも指紋が検出され、ビールの淵についた口唇紋も採取した。分析の結果、中身に特別変わったものは入ってなかった。

 某ファストフード店の袋にも指紋が検出された。

 タイヤとチェーンカバーの間にあった傘からも指紋が検出されたし、ハンドルのテープからも指紋が検出された。

 そして、テープを剥がして調べてみると血液反応があり、それを初台とねの血液と照合してみると一致した。

 最後にレシートにも指紋が採取されて、全部で十八個の鮮明な指紋が採取され、複数人の指紋の可能性があった。

 レシートは印字がかなり擦れ、消えかかっていたが解析に回して判明したのが以下の通りである。

 ・ツナおにぎり

 ・はまちの刺身

 ・広島風お好み焼き

 ・日本酒200ml

 ・500mlのビール2本

 ・500mlのストロング系の缶チューハイ2本

 ・直径12mmのナイロンロープ

 ・カッターナイフ

 ・ハンカチ

 ・懐中電灯

 ・単一電池2本

 計3,639円


 放置自転車が発見され、その自転車が資産家老女殺人事件の重要な証拠だと判明して、捜査本部は色めき立ち、消えたホームレスの似顔絵を作り、ローラー作戦で行方を追ったが、ついにホームレスを発見することが出来なかった。

 指紋からも犯人に結び付くこともなく、レシートを発行したスーパーの防犯カメラも解析が行われたが、レシートの時間に買い物をしているのが映っていたのは主婦だけであった。

 捜査は完全に暗礁に乗り上げ、それからしばらく経ってからのことであった。

 公園から少し離れた林の中から、少年三人が木の幹に寝転がるように倒れた白骨死体を発見して、110番通報した。

 一番近い交番から警官が来て、現場の保存に当たる。そこへ鑑識と刑事が二名パトカーで到着した。

「お疲れ様です」

 規制線の前に立って敬礼で挨拶するのは、事件現場からほど近い交番の立川晴喜たちかわはるき巡査部長、二十八歳であった。

 私服警官二人と鑑識官五名が規制線を越えて中に入って行く。

「久しぶりだな」

 最後尾の刑事が立川に声を掛けた。

「お久しぶりです」

 爽やかな笑顔で、返す立川。

 中年の如何にも刑事と言った風貌の男がニヤリと微笑み、規制線の中に入っていった。

 鑑識が付近を捜索したところ、木の枝にナイロンロープが巻き付けてあり、どうやら首つりしたこととなった。

 遺体は収容され、検死解剖に搬送される。

「年齢は老人ぽいし、身なりからホームレスだな」

「あのロープ、真新しいですね。近くのホームセンターで売っているような物ですね」

「もしかしたら、資産家老婆の殺人に容疑で探していた容疑者かもしれないぞ」

 鑑識の責任者と話しながら、再び、規制線に戻ってきた刑事。

「もっとよく、付近を調べてみます」

 鑑識の責任者が現場に戻っていく。規制線を潜って、刑事が立川に近づく。

「刑事を希望しているんだって?」

「えっ?知っているんですか?」

 驚く立川。近所でも若くて爽やかなお巡りさんとして親しまれている。

「君のような優秀な人間が、刑事に異動を希望しているなら大歓迎だ」

「ありがとうございます」

「あの交番に勤務して何年だ?」

「ちょうど五年目です」

「そうだ、ちょうど、資産家老婆の事件の時だものな。……ここの仏さん、もしかしたら、資産家のホシかもしれんぞ」

 刑事が後ろを指さして、訳知り顔でいった。

「本当ですか?」

「ああ、これは俺の勘だがな、その可能性はあるよ。……間接的だが、キミが事件解決に寄与したみたいだな。例の自転車も君が発見したんだろう?」

「いえ、ただの偶然です。職務の一環であります」

「いや、キミは持っているよ。持っている人間がいてくれる方が警察も大いに助かる。期待しているよ」

「ありがとうございます」

 敬礼で、刑事を見送る立川であった。

 その後の調べで、林の中で死亡していた男は資産家殺人の容疑者として処理された。



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