トイレの住人 後編




「トイレの中に人が住んでいる?なんですか、それは?」

 昼休み、食堂で同席した青木が小馬鹿にしたように聞き返してきたので、英明は話したことを後悔した。

「いや、先日飲んだでしょう。そのとき……」

 仕方なく、先日の体験を青木に話した。

「ハハハハハ、トイレに住んでいる人ですか。……それってもしかして、外開きのトイレじゃないですか?」

 英明は、その時はじめて公衆トイレに内開きと外開きがあることを知った。

「誰もいなくても閉まっているんですよ」

「いや、そうじゃないんです。口ではうまく説明できないけど、人の気配がするんですよね?」

 恥ずかしくなって、言い訳がましく早口になる。

「人の気配ですか?じゃあ、やっぱりホームレスじゃないですか」

「実は、飲み会の時だけではないんです。ほかにもそういう光景を見たんですよ」

 英明はサービスエリアでも同じような光景があったことを話した。

 負け惜しみのように言っていると聞こえたのか、青木は白けたように立ち上がった。

「すみません、これから工場の方へ行かなくてはならないんです。お先です」

 食べ終わったお盆を持って行ってしまった。

 英明は胸の中のモヤモヤが晴れるどころか、よけい広がったような嫌な気分になった。

「こないだはご馳走様でした」

 青木と入れ替わるように、田沢翔子が席に座ってきた。

「すみません、なかなかお礼を言うタイミングがなくて……」

「いえ……」

「青木さんと何を話していたんですか?」

 田沢は英明の顔を覗き込むように近づいてきた。

「別に……」

 英明はそれを避けるように身を引く。

「男同士の秘密ですか?」

「そういうわけじゃあないですよ。ほんと、くだらないこと」

「フーン」

 田沢はまじまじと英明を見つめ、徐にいった。

「今夜、開いてますか?」

「えっ?」

「飲みに行きません?」

「……結構、強引なんだね?」

 苦笑いで英明は返した。

「肉食系ですから」

 田沢翔子は微笑んだ。



  *       *       *



 リビングのドアを開け、電気をつけるとソファーに人の頭があった。

「ワァッ」

 驚いて、思わず大きな声を上げる英明。

 振り返って、佐江がこちらを見た。

「なんだ、帰ってたのか」

 思わず、苛立ちを含んだ言葉を投げかけた。

「遅かったわね、飲んできたの?」

「……会社の付き合いだよ。たまにはいいだろ」

「別に悪いなんて言ってないわよ。どうしたの?やけに突っかかるわね?」

 探るような目が、英明に突き刺さる。

「突っかかる?……そうか?酔っているからだろう?それより、帰るなら連絡をくれてもいいだろう?」

「いろいろ取り繕う準備をしないといけないから?」

「なにっ?」

「外で酔いを醒まして来たら?そして、二度と帰ってこないで」

「な、なに言ってるんだ?」

 すると、佐江はスマホを自分の頭の上にかざした。

「?」

「GPS。あなたの今夜の行動、全部わかっているのよ」

「なっ……お前、まさか、そんなものを仕込んでいたのか?」

「別に白なら問題ないじゃない?それより一人で、ラブホで二時間休憩してたって言うの?」

「……」

 言葉が出てこない英明。

「出てって、早くぅ」

 佐江のヒステリックな声に急き立てられるように、英明は家を出た。

 そして、近所の公園へ向かいながら、この事態をどう切り抜けようと頭を巡らせた。

 つい誘惑に負けて田沢翔子を抱いてしまった。

 あの女が意味深な目つきで見つめなければ、俺だってホテルに誘うことなどなかった。

 まるで、ホテルに誘わないことがマナー違反であるかのような雰囲気で来られては、男なら誰だって抗えないだろう。

 俺は悪くない、悪くないんだ……。

 自己弁護が頭の中に渦巻きながら、公園のトイレで、溜まっていたものを勢いよく出した。

「くそっ、臭いんだよ、ったく」

 苛立ちのあまり、思わず叫ぶ。

 振り返ると、またしても一つだけ閉まった個室のドア。トイレは静まり返り、人の気配はない。

 しかし、妙にトイレの中が気になる。

 英明は酔いと苛立ちから、今宵こそ幽霊の正体を確かめるべくドアの前に近づいて行って、思い切ってドアをノックした。

「……」

 三回ドアを叩くが中から返事はない。

 試しにドアを押してみると、ドアはゆっくりと内側に開いていった。

「フッ……フハハハハハッ」

 笑い声がトイレに響き渡る。

 ――馬鹿馬鹿しい。

 結局、ひとり相撲をしていたわけだ。

 どうかしている、最近の俺は。

 ……ホント、どうかしている。

 家に帰ろう……帰って、佐江に謝っ……

 押したドアが、半分くらいの位置でで止まった。まるで、ドアの後ろに誰かが隠れているかのように……。

「……」

 ドアと蝶番の隙間から中が見える。英明は重心を傾けて、隙間に目線を持って行った。

 誰もいない。

 しかし、何かある。

 タイルから一メートルくらいの高さが影になっている。人ではない、何か四角い物体だ。

 英明は個室の中に一歩踏み込んで、ドアを片手で掴んで個室の中を覗き込んだ。そこには大型のキャリーバッグが置かれていた。

「旅行鞄か?なんで、こんなところに?」

 意味が解らなかった。

 だが、次の瞬間、ある想像が浮かんだ。もしかして、この中に死体が入っているのでは?

「ハハッ、なんだ」

 だが、すぐに先日の夜、トイレから出てきたホームレスを思い出した。この旅行鞄はあのホームレスの荷物で、この個室は荷物置き場なのだ。

「ホントバカだ」

 つぶやいて、行こうとしたそのとき、旅行鞄が小さな音がしたので、英明はビクッと体を震わせて、鞄を凝視する。

 よく見ると、鞄はジッパー式になっていて、ジッパーが少し開いていて、持ち手の穴の部分に紐がつけられていた。

 それがゆっくり引っ張られ、徐々に閉まっていく。

「……」

 さらによく見ると、ジッパーに長い白髪が挟まっていた。おそらく、慌てて入ったから、髪が引っかかったのだろう。

 鞄の中から、「ピューピュー」と息が漏れる音が聞こえてきた。




  *        *        *




「……その後、男はどうなったんです?」

 若い記者が生田に訊いた。

「ん?どっちがだ?」

 生田は煙草の煙を吐きながら聞き返した。

「もちろん、カバンを見たサラリーマンです」

「別にどうもせん。ホラー映画じゃあるまいし」

 当たり前だと言わんばかり生田は答える。

「で、では、カバンの中にいた者は結局なんだってんです?」

「おそらくホームレスだろ。閉所を好むものは案外多い。閉所恐怖症の逆だな」

「はあ……」

 判然としないように返事をした。

「この話の恐ろしさをよくわかってないようだね。話にも出てきたが、他のトイレでも同じような人間がいるということなんだ。そういう風にしか生きられない人間が、他にもたくさんいるということだ。恐ろしいと思わんか?しかも、ずっと昔からだ」

「……そうですね。でも、あくまで都市伝説でしょう?」

「民間伝承だ」

 インタビューを終えた男が、廊下に出て、小用に向かった。

 長い廊下を庭園を眺めながら進むと、洒落たトイレに突き当たった。

 男が小便器で用を足していると、ふと隣の個室のドアが開いているのに気づいた。

 何気に見ると、中に大きなカメが置いてあり、木の蓋がわずかにずれていた。

 男は用を足しながら、何気にカメの方を見ていたら、突然、その蓋がずずっと動いて隙間を閉じた。



 終

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