第42話 四日目 馬車はもう走れません! そして乗れません!

「お客さんたち、大丈夫か? ケガはしていないか!」


御者台に座っていた御者のおじさんの気遣う声があたりに響く。


「ぼくは大丈夫です! アリア、大丈夫か? みんなは大丈夫?」


「耀太くん、心配してくれてありがとう。私は大丈夫だよ!」


「あたしもケガはしてないから! でも我が弟が姉の心配を後回しにしたことで、すごく心が傷付いたかも!」


「わ、わ、分かったから! ヨーハ、余計な報告はしなくていいから!」


耀葉に文句を言いつつ、他のメンバーの反応を待つ。


「ヨータ、オレも平気だ! 事故じこの後はちゃんと報告しないとな! これが本当の『事後報告じごほうこく』ってやつだな」



ケーマのやつ、ダジャレを言うだけの元気はあるみたいだな。



「ぼくの魔法のタイミングが遅れたせいで事故になったちゃった!」



だからナーロ、おまえは最初から魔法が遣えないだろうが!



「新卒の教師が事故に逢うのは、人生で一度きりって決まっているのに!」



誰がそんなルールを決めたんですか! ていうか、おれだってこんな経験は一度きりでいいです! とにかくクミッキー先生も大丈夫みたいだ。



「バスガイドを本気で怒らせたみたいね! 次に会ったらもう容赦しないから!」



そこのバスガイドさん、怒りたい気持ちは分かりますが、それは後にしてください!



「全員無事みたいで良かった。馬車もギリギリ崖の手前で停まったし、とりあえずひと安心ってところかな」


馬車から降りた耀太は崖まで1メートルもないところで停まった馬車の車輪を見て、胸をホッと撫で下ろした。


「いや、ひとつだけ無事じゃないものがあるみたいだ」


馬車の下に体を突っ込んで何やら調べていた御者のおじさんが頭を左右に振りながら這い出てきた。


「もしかして馬車に異常でも――」


「ああ、急ブレーキを掛けた衝撃で車軸がひん曲がっちまったみたいだ。ちきしょう、おれの大事な馬車を台無しにしやがって!」


「それじゃ、この馬車を走らせることは出来ないんですか?」


「無理に走らせることも出来なくはないが、もしもどこかのタイミングで車軸がポッキリイッちまって、しかもそのとき馬車がまた崖に近い場所を走っていたら、今度こそ崖から落ちることになるだろうな」


「いや、それはさすがに勘弁して欲しいです」


「そうなると残された道はあとひとつだな。わたしがこの馬に乗って、カスビサイドに急いで戻って、新しい馬車を運んでくるしかないな。悪いんだが、その間、お客さんたちはこの場で待機してもらうことになるが、それでいいかな?」 


「えっ、ぼくたちだけでですか? いや、ぼくたちはこの国を旅するのは初めてなんですが……」


「そんなに心配はいらないよ。ここで待っていてくれればいいだけのことだから」


「ねえねえ、運転手さん。ちょっと聞いてもいい?」


御者のことを気軽に運転手と呼ぶ人間はこの中にひとりしかいない。


「何かな? こういう事態だから、分からないことは何でも聞いてくれ」


「この路線を走る馬車は最終便まであと何本あるのかなって思って」


「今の時間が三時だから、最終便を入れたらあと三便はあるよ。最終便はカスビサイドを午後5時に出るんだ」


「そういうことなら、例えば他の便の馬車にここから途中乗車すればいいんじゃない? それなら新しい馬車を用意しなくてもいいし。高速バスなんかだと、サービスエリアで乗り遅れたお客を次の便のバスに乗せることがあるんだけどね」


現役のバスガイドならではの知識である。


「ああ、その手があったか! それでも構わないよ! わたしの手間も省けるし一石二鳥だ! どうかな? わたしが新しい馬車を運んでくるのを待つか、それとも次のマハテーター行きの馬車に途中乗車するか?」


御者のおじさんが耀太に最終確認を求めてくる。耀太のことをリーダーと思っているらしい。


「えっ、それをぼくが決めるんですか?」


「あんたがリーダーなんだから当然でしょうが!」


姉はどんなときでも弟に命令してくるのだった。


「どう思う、アリア?」


「新しい馬車を用意するのにはどれくらいの時間が掛かりますか?」


さすがアリアは冷静沈着に合理的に話を進めてくれる。弟任せのどこかの無責任な姉とは大違いである。


「わたしたちが今いるのはマハテーターまでの道のりの中間を過ぎたあたりだから、ここからカスビサイドに戻るとなると一時間半は掛かるかな。そこで新しい馬車を調達して、運行の準備をして、出発するまでに一時間。そして、こっちに向かうのにやっぱり一時間半。合計で4時間は掛かるかな」


御者のおじさんは腕組みをして、難しそうな表情で考えこんでいる。


「耀太くん、ここは途中乗車を頼む方がいいみたいだね」


アリアの返答を聞くまでもなく、耀太もその手しかないと考えていた。4時間はさすがに長すぎる。


「ぼくらはここで次のマハテーター行きの路線馬車に乗らせてもらうことにします」


「そう言ってもらえるとありがたい。そうと決まったら、さっそくわたしはカスビサイドに舞い戻ることにしよう。今回の件も報告してくるよ。後続の馬車には君たちの事を話しておいて、スムーズに途中乗車が出来るようにしておくから。無論、わたしもこの馬車のことがあるから今日中に修理道具を持って、ここに戻ってくるつもりだけどね」


御者のおじさんがさっそく馬と馬車との連結を外す作業に入る。


「そうだ! 大事なことを聞き忘れていた! このあたりではモンスターとか危険な連中は出現しないですよね?」


「……も、も、もちろん、大丈夫だよ!」


「いや、今一瞬、答えるまで間がありましたよね? なんかあるんですか? あるのなら言ってください! ぼくら、武器とか持っていないんですけど!」


「おっと、こうしちゃいられん。わたしはすぐに戻らないと!」


御者のおじさんは颯爽と馬に飛び乗ると、パッカパッカと軽快に蹄の音を立てながら、元来た街道を戻って行く。


「えーと、まさかおれたち、ここに放置されたわけじゃないよな……?」


そんな思いもしてくる。


「耀太くん、大丈夫だよ。まだこんなに明るいんだから、危険なモンスターがいたとしても出てこないよ! それに次のマハテーター行きの便に途中乗車すればいいだけだし!」


アリアが優しく励ましてくれる。


「アリアがそう言うのならいいけど」


「あっ、私も肝心なことを聞き忘れていたかも!」


珍しくアリアが慌てた様子で馬車の方に視線を飛ばすが、もはや声が届く距離ではなかった。


「次のマハテーター行きの路線馬車がカスビサイドを何時に出発するのか聞き忘れちゃった。一番大事なことなのに……。これじゃ、あと何分待てばいいのか分からないね」


「まあ、ここはじっと『待つ』しかないさ。これが本当の『後のまつり』ってやつだな!」


そう言うと、慧真は馬車の座席にごろりと横になってしまった。次の馬車が来るまで眠って待つつもりなのだろう。


「アリア、おれたちも休息タイムに入ろう。昔から言うんじゃん。『待てば海路の日和あり』って!」


滅多にないことだが、耀太の方がアリアを励ます役割をする。


「そうだね。待つのも旅には付き物だからね」


耀太とアリアは座席に座りなおした。もちろん隣同士である。


「うわっ、海がスゴクきれいに見える! まさに絶景ね! わたしが出版予定の『死ぬまでに見たい異世界の絶景』候補に入れておこう!」


これ幸いと、わざわざ崖の端まで行って、はしゃいで写真を撮る人物がいたが無論無視することにする。



それから、マハテーター行きの路線馬車が二本、耀太たちの目の前を通り過ぎていった。どちらの馬車も乗客が満員で、耀太たちは途中乗車出来なかったのである。



そして六時半過ぎに、カスビサイド発マハテーター行きの最終便である路線馬車が耀太たちの前で静かに停車した。


手綱を握って御者台に座る若い男性が耀太たち一行のことをすまなそうな目で見てくる。


「まさか……まさかですよね? そんなことないですよね?」


「――すまない。見ての通り定員が満員なんだ。きみたちのことは聞いているが、この馬車に乗せることは出来ないんだ」


御者の言う通り、馬車の座席はすべて埋まっており、さらに床には乗客の荷物がたくさん置かれていて、耀太たちが乗車できるスペースはまったくなかった。


「えーと、この場合はどうしたらいいんでしょうか?」


「今、代えの馬車を急いで準備していて、その準備が完了次第、こちらに向かってくることになっているそうだ。悪いが、それまではまだしばらく待ってもらうしかないな……」


「えっ、準備中ってことは、馬車はまだカスビサイドすら出ていないって言うことでか?」


「ああ、そういうこになるかな……」


つまり最低でもまだ一時間半以上は待たないといけない。


「本当にすまない……」


御者の若い男性は最初から最後まですまなそうな表情を一度も崩すことなく、停車したときと同様に静かに馬車を発進させた。


すでにすっかり日も落ちて、あたりは薄暗くなっている。危険な生物が現れてもおかしくはないほどに――。

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