第35話 三日目 新たなる宿屋問題が発生
耀太たちは男女に別れて、それぞれ宿屋の部屋に案内された。低いとはいえ歩いて山越えをしてきた疲れがあったので、少し時間は早いが部屋に荷物を置いたらすぐに皆で食事を取ることにした。
「切り通しであの男に会ったときはどうなるかと思ったけど、こうして無事に宿にたどり着けてひと安心だよな」
慧真はベッドに腰を下ろしてくつろいでいる。
「ああ、そうだよな。オーリーさんのお陰でこの宿にも泊まれることになったし、今夜は何事もなく済みそうだ」
耀太としても初日、二日目と宿のトラブルが続いたので、今夜こそはゆっくりと休んで、溜まった体の疲れを取りたかった。
「さあ、ロビーに戻ろうぜ」
荷物を床に下ろして身軽になった三人はさっそく夕食を取るべき、ロビーに戻ることにした。
「どんな料理が出てくるんだろうな? ここは山に近いからやっぱり肉料理か季節の山菜料理かな?」
慧真はよほどお腹を空かしているのか、いろいろと勝手にメニューを妄想している。
「小さい村だから田舎料理とか出てきそうだけどな」
女性をひとり背負ってこの村まで歩いてきたので耀他も空腹だった。今夜は夕食を腹いっぱい食べたら、すぐにベッドに入るつもりだ。
「ええええええーーーーーーーーーーーっ! それじゃ、死んじゃうよおおおおおーーーーーーーっ!」
そのとき、ロビーの方から新卒教師の絶叫が聞こえてきた。
「おい、この大人なのになぜか子供じみた悲鳴って、クミッキー先生の声だよな?」
慧真が驚いて立ち止まる。
「またトラブルが起きたとかじゃないよな? せっかく宿屋の心配が解消されたっていうのに、今度は何なんだよ? とにかく早く確認しないと!」
耀太たちは廊下を走って、ロビ-に駆け込んだ。
ロビーにはすでに女性陣が全員来ており、その中心でなぜか組木が大声で喚いていた。
「アリア、いったいどうしたんだよ? 廊下の先の方までクミッキー先生の絶叫が聞こえてきたけど?」
「ちょっとした問題が発生したちゃったの」
アリアは冷静に答えるが、いささか困惑気味な表情をしている。
「問題……? だって一番の懸案事項だった宿屋問題は解決したはずだろう?」
「うん、たしかにこの宿に宿泊出来ることになったのはいいんだけど、もうひとつ違う問題が持ち上がったの」
「違う問題?」
「そうか! この辺鄙極まる村に突然モンスターの大群の襲来してきて――」
とりあえず菜呂の戯言はすべて無視する。
「ねえ、わたしに飢え死にしろっていうことなの? 教育委員会でも夕食はきっちり食べましょうって決まっているんだよ?」
組木が話す内容を聞いて、耀太もすぐに事態を理解した。
「ひょっとしてだけど、まさか夕食が――」
「そうなの。そのまさかみたいなの。ここは宿屋は宿屋なんだけど『素泊まり』専門の宿屋らしいの。それで夕食の準備は出来ないって言われて、そうしたら先生があの状態になって」
組木の様子を横目にしつつ、アリアの説明に耳を傾ける。
「そういう訳か……。まあ宿屋って聞いて、当然食事付きだと勘違いしたおれたちの方も悪いけどさ……」
耀太としてもさすがにそこまでは頭が回らなかった。ここは小さな村で食事用の食材を準備するのもおそらく大変だろうから、それで素泊まり専門の宿屋として経営しているのかもしれない。
「でも素泊まり専門っていうのならば、近くの食事処で夕食を食べればいいだけなんじゃないのか?」
慧真がもっともな意見を言う。
「それがね、そういうわけにもいかなくて……」
アリアの返事を聞いて、耀太はすぐにぴんときた。
「まさか、小さい村だから食事処がないんじゃ……」
「そうなの。この辺りには食事処は一軒もないらしいの」
「なるほどね。それでクミッキー先生はあれだけ駄々をこねているっていうわけか」
「手作りの食事が出来ないのならば、あたしは冷凍食品のレンチン料理でもいいんだけど。激安のヤバいビジネスホテルなんかは、冷凍食品をあたかも手作りに見せかけて出して、宿泊客を平気で騙すからね」
史華がバスガイドらしく観光業界の裏事情を教えてくれるが、今はまったく必要のない情報である。
フーミンさん、異世界にレンチン出来る冷凍食品はないですから! いや、そもそも電子レンジがないから『チン』出来ないです!
心の中でツッコミを入れる。
「フーミンさん、さすがに異世界にはレンチン料理はないと思いますよ」
珍しく慧真が史華に異を唱える。
「そうなの? それじゃ、最悪インスタントのカップラーメンはあるよね?」
「フーミンさん、カップラーメンもないですから!」
思わず声に出してツッコんでしまった。
「えっ? ないの? だってこういう宿泊施設は万が一停電であったり、自然災害があった場合に備えて、長期間保存出来る備蓄品を準備しておくのは常識なんだけど?」
またまた観光業界の豆知識を披露してくれるが、残念ながらその情報は今はまったくもって必要としていない。
「ねえねえ、文科省の偉い役人さんも新卒の教師は一日三回しっかり食事を取らなきゃダメって言ってるんだよ!」
組木はまだ夕食を諦めきれないらしい。
「クミッキー先生、無理は言わないでください。こうして泊まる場所を確保出来ただけでも僥倖なんですだから」
たしかに夕食がないのは辛いが、泊まるところがないよりはましだというのが耀太の本音だった。
「ぐすん、ぐすん……。分かったから……。わたし、もう覚悟を決めたから……。例え、空腹で死んでも、みんなのことは絶対に恨まないから……。例え、飢え死にしたとしても、毎晩みんなの枕元に立って『鶏の唐揚げを食べさせろ』とか『あったかい牛丼を出せ』とか『アツアツの焼肉じゃなきゃ満足しない』とか絶対に言わないから……」
空腹で死んでも決して恨まないからと恨み言を言い続ける新卒の教師である。
いや、言う気満々でしょうが! ていうか、どんだけ肉料理を食べたいんですか!
くだらない感想が胸の内に沸いてきてしまう。
「クミッキー先生、私、アメとチョコレートを持っているから先生にあげますよ。だからもう泣き止んでください」
耀葉が組木を慰めるが、その様子はもはや駄菓子屋の前で駄々をこねている子供に言い聞かせているようにしか見えない。
一応、耀太も旅行に付き物のお菓子くらいはバッグに忍ばせてあるが、どれもお腹を満たすほどの種類でも量でもない。
「アメとチョコレートだけじゃ、お腹はいっぱいならないよ……。夜にチョコを食べたら虫歯の心配もあるし……」
虫歯の心配をするくらいなら、もっと他に考えないといけないことがあるでしょうが!
今や完全に幼児退行してしまっている教師にツッコミが止まらなくなる。
「でも、このチョコレートは一粒千円の『ゴデ〇バ』の高級チョコなんだけどなあ。そっか、クミッキー先生の口に合わないんじゃ、しょうがないよね。後でみんなで分けて食べることにしよう!」
「あっ、急に甘い物が欲しくなったきたかも! 口が甘い物を欲しがってる!」
「はい先生、チョコレートです。しっかり味わって食べてくださいね」
突然に心境変化した組木に耀葉が苦笑しながらチョコを手渡す。
チョコは食べるのかーい! ていうかヨーハ、なんでそんな高級チョコレートを持っているんだよ! 同じお小遣いしかもらっていないのにおかしいだろう!
変な部分に反応してしまう耀太だった。
「クミッキー先生も泣き止んだことだし、今夜はそれぞれ手持ちのお菓子で飢えを凌ぐしか他にないみたいね」
耀葉は自分でもチョコを一粒口に入れて、豪快に噛み砕く。
「こういう事態じゃ、仕方ないよな。アリアはお菓子は持っている? 良かったら、おれが持っている分を少し分けるけど――」
こういう非常事態だからこそ、逆に耀太にとってはアリアにお近づきになる絶好のチャンス到来でもあった。
「ありがとう、耀太くん。私もお菓子程度なら持っているから大丈夫だよ」
「でも、お腹が空くといけないから、たくさん食べた方が――」
「この先、どこかでまた食事に困ることになるかもしれないから、お菓子とはいえ、少し残しといた方が良いと思うよ」
「あ、うん……そうだよな。アリアの言うことももっともだよな」
耀太の『お菓子で仲良くなろう』作戦は儚くも不発に終わった。
一行が夕食を諦めて部屋にとぼとぼと戻りかけたそのとき、突然ロビーに救世主が現れた。
「皆さん、こんばんは! 少しは落ち着きましたか?」
ロビー中に響き渡るくらいの元気な声とともに姿を見せたのは――。
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