第30話 三日目 リンゴ娘とリンゴの経済学
「どうしてですか? なんで売ってくれないんですか? 先週はちゃんと売ってくれたじゃないですか?」
「先週は先週だ。悪いが、今週から店の販売方式が突然変更になっちまってな」
若い店番と思われる男と、こちらも若い少女くらいの年齢の客が果物屋の店先で言い合いをしている。
「でも、この店の果物がないと、わたし困るんです……。馬車を引いて疲れて帰ってくる馬たちへのご褒美に、いつもあげているから……」
「馬のご褒美だかなんだか知らねえが、そんなのはそっちの勝手な事情だろうが! そっちに事情があるように、こっちにも事情って言うもんがあるんだよ! とにかくおまえにはこの店のリンゴは売れねえから!」
「急にそんなこと言われても……」
「どうしてもこの店頭に並んだ新鮮なリンゴが欲しいっていうのならば、分けてやらなくもないぜ」
男が感じの悪い視線で少女を見つめる。
「えっ、いいんですか?」
少女の顔に明るい表情が戻りかけたが、男の次の言葉を聞いた途端、たちまち曇っていく。
「ああ、いいぜ。しかもタダでやるよ。その代わり、オレと食事に付き合ってもらおうかな」
「それは……。だって、そもそも、わたしはあなたのことは何も知らないし……」
「そっか。出来ないのならば仕方ないな。まあ、どうしてもリンゴが欲しいっていうのなら、他をあたりな。もっとも、この周辺でこれだけ新鮮なリンゴを扱っている店はここだけだぜ!」
男ははじめから少女と強引に仲良くなるつもりで、リンゴの販売方法を変えたのだろう。しかし少女の方には当然だが、その気がまったくないのは明らかだ。
「あの……お金はちゃんと払いますから! なんとか売って貰えないでしょうか? なんだったら、いつもより少しぐらい高くても買いますから……」
それでも諦めきれないらしく少女が必死に食い下がる。
「ったく、しょうがねえな。そこまで言うのならば、このリンゴを売ってやるよ!」
「えっ……あ、あ、ありがとうございます!」
「まったく、おまえの心意気に根負けしたぜ」
そこで男は嫌らしくニヤリと口元を歪めてみせた。そして続けて――。
「リンゴ1個、1万マルでよかったら、お前に売ってやるよ!」
「えーーーっ! 1万マルなんて絶対にムリです! そんな大金、とても払えません……」
ここまでの会話の内容から二人の関係性と事情は簡単に見て取れた。
「おい、ヤンバ! さっきから黙って聞いていたが、いくらなんでもそれはひどいんじゃないのか! お前さんは最近この街に帰ってきたばかりだから知らないみたいだが、この女の子はお前さんの店で毎週10個もリンゴを買ってくれていたんだぞ! いわば常連さんなんだからな!」
さすがに見るに耐えなくなったのか、隣に店を構える中年の男性が苦言を呈する。
「悪いが、オレがオヤジからこの店を任された以上は、オレのやりかたでやらしてもらう! 隣近所の連中にいちいちこの店の商売方針について文句を言われる筋合いはないぜ!」
「ふんっ。ショウスサウでの事業に失敗して、のこのこ街に出戻ってきたくせに、何いっちょまえの商売人を気取って偉そうなことをほざいているんだか!」
「おい、そこまで言うのなら覚悟があるんだろうな!」
果物屋の男――ヤンバの目つきが途端に剣呑なものに変わった。
「この街の商売組合の組長が誰だか忘れたのか? 偶然にもオレと同じ苗字であるイデンという男が組長だったと思うけどな」
「ク、ク、クソガキが……!」
それ以上反論すると自分にも飛び火が飛んでくると考えたのか、中年の男性は悔しそうに自分の店の奥に引っ込んでしまった。
まったく、この手の話というのは現代日本も異世界も変わらないらしいな。どこにでもクズはいるっていうことか。
二人の様子を黙って見ていた耀太は胸糞が悪くなってきた。相手がどこの誰かは知らないが、このまま見過ごすことは到底出来ない。しかし、その一方で耀太たちは大事な旅の途中にある身なので、出来れば街の住人とトラブルになることは極力避けたかった。
なにか良い方法はないか? 力任せのケンカにならずに、このクズ男をぎゃふんと言わせてやるような名案が……。
耀太の頭上で閃きのランプが点る前に、いち早く行動に出た者がいた。
「わたしたち今からあそこの山を越えないといけなくて、何か糖分補給が出来る物を探していたの。それでこの美味しそうなリンゴが欲しいんだけど売ってくれる?」
耀葉が一歩前に出て、物珍し気に店頭のリンゴを指差す。
「ええ、もちろんですよ! 美しいお嬢さん、お目が高い! うちのリンゴは最高品質のものばかりを集めています! とても新鮮で美味しいリンゴですよ! それで何個、お買い上げですか?」
ヤンバは愛想の良い店員の顔に一瞬で戻ると、耀葉相手に陽気に接客を始める。
「そうね、20個ほど貰えるかしら?」
明らかに耀太たち七人には多すぎるリンゴの量である。
「20個も購入してくださるんですか? 10個しか買わない、どこぞの貧乏者とは大違いですね! それではすぐに紙袋にいれますので!」
「ねえ耀太、代金を払っておいてくれる?」
「ああ、分かったよ」
耀太は文句も言わずに素直に姉の指示に従った。双子の姉が何を考えて、このような行動に出たのか、瞬間的に分かった。
「1個200マルなので、合計で4千マルになります!」
さっきは1個1万マルとほざいていたのに、ほんのわずかな間でリンゴの価格は大暴落したらしい。
「4千ちょうど、たしかに払ったぜ」
「どうもありがとうございます!」
紙幣と引き換えにリンゴの入った紙袋を受け取った耀太は、その紙袋を耀葉に手渡した。
「たしかあなたが欲しがっていたリンゴは10個って聞こえたけど」
耀葉が口に出して数えながら、リンゴを紙袋から取り出していく。
「7、8、9――はい、これでちょうど10個ね!」
両手いっぱいにリンゴを抱え込んだところで、それを当然のように少女の方に差し出す。
「このリンゴ、全部あなたにあげるから!」
「えっ、わたしにですか……? でも、なんで……そんなに親切にしてくれるんですか……?」
「わたしたち、今ローカル路線馬車に乗ってこの国を旅しているの。それで馬にもお世話になっているから。それだけのことよ」
姉らしいスマートで押し付けがましくない言い方である。
「おい、ちょっと待てよ! なんでこの女にオレの店の大事なリンゴをくれてやるんだよ! それは出来ねえからな!」
当然のようにヤンバがものすごい勢いでイチャもんをつけてきた。
「どうして? だって購入した以上、このリンゴはわたしのものでしょ?」
姉はどこにもおかしな点はないという風にしらばっくれる。
「それはそうだが……。この女にはオレの店のリンゴは売らないっていうことになっているんだよ! だから勝手に渡されちゃ、こっちが困るんだよ!」
ヤンバが言いがかりにしか聞こえない商売理論を振りかざしてくる。
「あなたがこのリンゴをこっちの女の子に渡すなって言うのなら、わたしからこのリンゴを買い戻してくれる? そうすればわたしはこの女の子にリンゴをあげられなくなるから」
「けっ、分かったよ! そういうことなら、そのリンゴは全部今すぐオレが買い戻す! ほら、さっき受け取った4千マルだ! そのまま返してやるよ!」
ヤンバが4千マルの紙幣を乱暴に差し出してくる。
「はあ? なに寝ぼけたこと言ってんの? 誰が4千マルの激安価格でこのリンゴを売るなんて言った? あんた、商売のしょの字も知らないみたいね? それでよく偉そうに店頭に立っていられるわね? ねえヨータ、わたし、このリンゴを4千マルで売るなんて一言でも言ったかしら?」
「さあね。おれはそんなこと聞いた覚えはないけどな」
ここは白々しく姉の芝居に付き合うことにする。
「おれの記憶が正しければ、このあんちゃんはさっきリンゴ1個1万マルで売るって言っていたような気がするけど」
「それじゃ、リンゴ1個、1万マル――ううん、わたしへの手数料が発生するから、リンゴ1個、2万マルよ!」
姉の策略で今度はいきなりリンゴの価格が大暴騰する。
「2万マルだって! おい、ふざけんなよっ!」
「だって、本当はこれっぽっちも売りたくないんだけど、あんたがどうしても買い戻したいって言うから売ってあげるんだから、この価格は妥当でしょうが! リンゴ20個で合計40万マルで売ってあげる!」
「40万マルもあったら、馬車が一台買えちまう値段だぞっ! このクソアマが勝手なことをほざきやがって!」
ヤンバが性根丸出しの雑言を吐き捨てる。
「ねえ、クミッキー先生、わたしのリンゴの価格設定はどう思います? 理に適っていると思うんですが?」
耀葉は眉間に皺を寄せて激高しているヤンバのことなどきれいさっぱり無視して組木の方に目を向ける。
「耀葉ちゃん、新卒の数学教師として、その価格は適正だと思うわよ!」
組木がご機嫌な様子で耀葉の芝居にのってくる。
ていうか、クミッキー先生、いつから数学の教師になったんですか!
「わたしはもっと高くてもいいと思うけど。1個、5万マルでいいんじゃない? お土産は一般価格よりも少し上乗せして販売するのが常識だからね! バスガイドの経験から学んだ知識だから間違いないから!」
さらには史華までもがのってくる始末である。
フーミンさん、いくらなんでもその価格じゃ、ぼったくりもいいところですから!
悪のりしてくる二人の大人に対して、ツッコミが止まらない。
「クミッキー先生とフーミンさんの意見を参考にして、最終判断を下そうかな。――わたしが持っているこのリンゴは1個3万マルで売ることにしたから! 20個あるから合計で60万マルよ! さあ、今すぐ払ってくれるのなら、このリンゴを全部あんたに売ってあげるけど、どうするの? 買うの買わないの?」
「キ、キ、キサマ……。オレのことをバカにしやがって……」
姉にしてやられた悔しさからか、ヤンバは音が聞こえるほどの歯軋りをする。
「どうやらその様子じゃ、代金は払えないみたいね。それじゃ、わたしたちはこれで失礼するから。――さあ悪徳業者のことは忘れて、向こうの広場で美味しいリンゴでも食べようか! そうだ、あなたもわたしたちと一緒に来ない? あなたの分もあるから!」
耀葉がきょとんとした表情で成り行きを見守っていた少女のことを誘う。
「えっ、わたしのことですか……? でも、いいんですか……?」
「だって、ここにいたらまた頭ばかりか性格まで捻じ曲がった悪徳業者に難癖付けられちゃうでしょ? だったら、わたしたちと一緒にいた方が安全でしょ?」
「だけど初対面だし……名前も知らないし……」
「わたしは耀葉。こっちのわたしの半分以下しか魅力がない、ぼけーっとした顔をしているのが我が弟の耀太よ」
誰が半分以下だ! そこはせめて三分の一以下にしてくれ! いや、誰がぼけーっとしているんだ!
「あっ、あの、わたしは…オーリーといいます! オーリー・エイプルです! オーショアからリンゴの買い出しの為に来ています!」
「えっ、オーショアから来ているの? それはちょうど良かった! わたしたち今からオーショアに行くんだけど、オーショアについて教えてもらいたいことがいっぱいあって、誰かに聞こうと思っていたの! もし良かったら、あっちの広場でオーショアについていろいろ教えてくれる?」
「は、はい、はい! オーショアのことなら、なんでもわたしに聞いてください!」
耀葉はまだモジモジしているオーリーの背中にそっと手をやり、優しく前に歩くよう
に促す。
「よし! 買い出しも済んだことだし、馬車が来るまで広場で一休みすることにしようぜ!」
慧真の声を合図にして、耀太たち一行は広場に向かって歩き出した。
背後から心臓を貫かんばかりの刺すような視線を感じるが、耀葉は知らぬ存ぜぬの態度で軽やかに歩いていく。
まったく我が姉ながら、度胸の良さと口の上手さだけは天下一品だよな!
こういう事態に出くわすと、姉には一生敵わないなあと思ってしまう耀太だった。
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