第26話 二日目 汚れた英雄たち

「ひょっとしたらと危ぶんではいたんだけど、まさか本当にイヤな予感が当たるとはな……」


耀太はコップに入った炭酸水を一気に飲み干す。未成年なので酒の力で騙された憂さを晴らすことが出来ないので、ここは炭酸水で我慢する。もっとも大人二人があられもない姿ですっかり泥酔している様を見ると、自分はお酒が飲めなくて良かったなあと思わなくもなかったが。



まあ、この状況じゃ、クミッキー先生とフーミンさんがお酒を飲みたくなる気持ちになるのも分からるけど。とりあえず他のお客さんの迷惑になるような悪酔いだけはしないように注意しとかないとな。ていうか、大人二人のお酒の飲み方の心配までしないといけない学級委員長なんて、日本中探してもきっとおれだけだよな……。



耀太のぼやきは止まらない。


「これで最初の『居酒屋案』に逆戻りしたわけだよな。まあ、野宿するよりはよっぽどマシだから、ここは良しとするしかないな」


慧真は先ほどからテーブルに載った異世界料理を美味しいそうに頬張っている。この状況でも深く落ち込まないのが、前向き思考の慧真らしかった。


「ケーマ、こんなときによく呑気に物が食えるよな?」


つい親友相手にイヤミのひとつもこぼしたくもなる。


「ヨータ、それは逆だぞ。こんなときだからこそ物をたらふく食って、気を紛らわせるんだよ」


フォークに突き刺したソーセージにガブリと食らい付く慧真。


まんまと『コレコレ詐欺師』に騙されてしまった耀太たち一行は、結局史華が見付けた朝まで営業している居酒屋にやってきた。未成年の耀太たちの入店は断られるかと思ったが、幸いこちらの事情を店主に話すと快く理解してくれて、朝までの滞在を許可してくれた。居酒屋はこの時間、七割ほどの客の入りだった。


テーブルには耀太、慧真、姉の耀葉、そしてアリアの計四人が付いている。組木と史華は少し離れたテーブルにおり、二人に捕まってしまった菜呂が右往左往しながら必死に酒を注いでいる。



あの二人は酒飲みモンスターともいえるから、モンスターの出現を望んでいるナーロには良い経験になるかもしれないな。



人事だと思って、勝手にそう思い込むことにする。


「そろそろ十時になるから、さすがにこのへんで先生たちのお酒を止めた方がいいんじゃないのかな?」


聖女アリアは泥酔状態の大人二人を決して見放したりはしない清い心の持ち主である。


「そうは言うけどな、あの状態の二人をここで止めたら、かえって騒ぎ出すことになると思うぞ」


慧真の指摘ももっともだった。


組木と史華は給仕係が運んでくる酒を次から次に胃に流し込むという、底なしの飲みっぷりを見せ付けている。少し前までは居酒屋にいたたくさんの男性客も一緒に飲んでいたのだが、二人の豪快な飲みっぷりに負けてしまい、次々に酒の席から脱落していった。今は床に倒れこんでいたり、あるいはイスにもたれかかるようにして眠っていたりと散々な状態である。


「ちょっと小雪華くん、その杖でこの街にいるカップルを全員焼き尽くしてきて! 焼き尽くしたら、これからテストはずっと百点にしてあげる!」


完全に泥酔している新卒教師はそんな怖いことを生徒に命令している。


「ナーロくん、あたしのコップが空になっているでしょ! コップが空になる前にさっとお酒を注がないと、歌舞伎町でナンバー1のホストにはなれないからね!」


おそらく将来ホストになることなど望んでなどいない菜呂のことを勝手にホスト扱いしている困ったバスガイドもいる。


「えーと、もう少し離れたテーブルに移動して、赤の他人の振りをしようか? なんか他のお客から白い目で見られている気がするんだけど……」


耀太としては出来ればこれ以上のトラブルは回避したいところだった。


「今夜ばかりは先生たちの好きなように飲ませておくしかないみたいね。――ということで、大人二人のことは放ってお――いや、自主性に任せることにして、わたしたちはそろそろ眠る準備を始めない?」


姉が珍しくまともな意見を言う。


「そうだな。この分じゃ、明日は二日酔いの先生たちの面倒を看るハメになりそうだからな。こっちはこっちで早めに休息を取るとしようぜ」


慧真が立ち上がって、さっそくイスとテーブルを壁際に寄せる準備を始める。ここは居酒屋なので本来ならば寝ることは出来ないが、店主のご好意でイスを並べてベッドのようにして、体を休ませることは許してもらった。


耀太も今夜の自分の寝床の準備を始める。他の客の邪魔にならないようにテーブルとイスを移動させる。本当はアリアの近くで眠りたかったが、耀葉が何かを察したような邪悪な笑みを向けてきたので、泣く泣く、少し離れた場所で寝ることにする。


「今日は疲れたから、おれはもう寝るよ。みんな、おやすみ!」


耀太はごろりとイスに横になると、目を閉じて眠る体勢に入る。


そのままうつらうつらと船を漕いでいると――。


「だから、今夜のオレはチョー金持ちなんだよ! ここで美味しいものを腹いっぱい食べたら、その後は最高級のホテルに行って、もっと楽しいことをしようぜ!」


陽気なご様子らしい若い男性の声が耳に届く。


「えー、本当に好きなものを注文していいの? ちょうどお腹が空いていたんだよね! でも、本当にお金を持っているの? まさか、あたしのことをダマそうとなんてしていないよね?」


若い女性の声が言葉を返している。


「こんな可愛い子をダマすわけないだろう!」


「そういうことを軽く言う所が怪しんだよね。だいたい、なんでそんなにお金を持っているの?」


「怪しいことなんてないよ! 少し前にある人に効率良く金を稼ぐ方法を教えてもらってさ、そのお陰でオレは今、金持ちになったんだよ!」


「それってまさか犯罪じゃないよね? あたし、犯罪になんかに巻き込まれたくないからね」


女性の声に困惑の響きが生まれる。


「そんなわけないから! そこまで疑うのならば、金の稼ぎ方を特別に教えてやるよ! それを聞けば納得するからさ!」


「本当に?」


「ああ、本当さ。ただし、それを教えるのはホテルのベッドの上でだけどな!」



うーん、このカップル、やけにイチャイチャしてうるさいな。こっちは疲れて眠りたいんだから静かにしてくれよ。まあ、居酒屋で寝ているこっちも悪いんだけどさ……。



眠りの王国と現実の世界との間で、耀太の意識は行ったり来たりしていた。だが、続いて聞こえてきた男の言葉を聞いた瞬間、眠気は一瞬で遥か彼方へと飛び去り、目がぱっちりと開いた。


「そうだな、ここで少しだけタネ明かしをすると、ホテルの部屋を使って効率よくお金を稼ぐ方法なんだよ! それが本当に面白いように金が稼げるんだ!」


粗野な口振りであったが、その若い男の声に聞き覚えがあった。



うん……? この声……どこかで聞いた覚えがあるけど……どこで聞いたってけな?えーと、この声はたしか……そうだ! この声は、まさか――!



上半身だけ起こして、周囲に頭を巡らせる。すると――。



いたぞ! 間違いない! おれたちのことをダマした、あの男じゃんかよ!



耀太は視線の先にあの男の顔を見つけた。


耀太たちを言葉巧みに騙した『コレコレ詐欺師』であるギーサの顔を!


「やっぱりおまえだったのか! おい、おまえ! おれたちのことをよくもダマしてくれたな! さっさとおれたちの金を返せよ!」


耀太の大声が居酒屋に響き渡る。居酒屋特有の雑然とした雰囲気が一瞬で静まり返る。


その沈黙を破ったのは意外にも、耀太に詰め寄られた当の本人だった。


「おいおい、酒の飲み過ぎで誰かと勘違いしているんじゃないのか? あーあ、なんだか白けちまったぜ! こんな店出て、違う店で飲みなおすとするか!」


そう言ったかと思うと、連れの女性をテーブルに残して入り口に向かって歩き出すギーサ。


まさかギーサがそんな大胆な行動に出るとは思いもしなかったので、耀太は決断するのが一瞬遅れてしまった。


だが、この場面ですぐに行動に移った者がひとりだけいた。耀太の姉の耀葉である。どうやら耀葉もギーサの声を聞いて起きていたらしい。


「ここにいる皆さーん、ビッグニュースですよ! あの男の正体は、なんと今この国を騒がしている『コレコレ詐欺師』なんです! 皆さーん、あの男を捕まえてくださーい! あの男を捕まえてくれた人には、あそこにいる異国の美女二人からご褒美の口づけがプレゼントされまーす!」


耀葉の言葉を聞いた店内いる男たちの顔が一瞬で変わった。酒に酔った赤ら顔に好色な表情が浮かぶ。酒と女を同時に得られるまたとないチャンスが、突然自分の元に転がり込んできたのだ。


「よし! 美女の口づけはオレ様が貰ったぜ!」


見るからにガタイのいい男が叫ぶと、居酒屋にいたほかの男たちからも同様の声が次々に沸き起こる。


「いや、女神のキスはオレが貰うぜ!」


「それじゃ、おれは童顔の天使の口づけを貰う!」


「おいおい、結婚しているヤツがしゃしゃり出てくるんじゃねえよ! ここは独身のオレに任せろってんだ!」


一気に火が付く男衆。酒が入っているせいか、頭がヒートアップするのも瞬間的なのだろう。


「ク、ク、ク……クソがっ!」


店内の異様な様子に足を止めていたギーサは自分が不利な状況にあるのを悟ったのか、入り口に向かって一目散に走り出す。


「みんなー、キスが欲しかったら、あの男を追い掛けてー!」


耀葉が年上の男性たちを手玉にとって檄を飛ばすと、赤ら顔した男たちの集団が怒涛の勢いでギーサを追いかけていく。


「ヨーハ、ナイス掛け声だ! これであの男もすぐに捕まるぜ!」


珍しく姉を褒め称える。


「あんた、なにそこでぼけっと突っ立ってんの! あんたも追いかけないとダメでしょうが!」


こんなときでも姉は弟をこき使うことを忘れない。


「わ、わ、分かったよ! おれたちも追い掛ければいいんだろう? ケーマ、行くぞ!」


「分かった! オレたちをダマしたことを思いしらせてやろうぜ!」


耀太が慧真とともに居酒屋を飛び出そうとしたとき――。


「ほら、忘れ物! 『コレ』を持っていって! 必要でしょ!」


姉の手元から耀太に向かってプレゼントが飛んできた。


「おっ、こいつはありがたい! 遠慮なく使わせてもらうぜ!」


耀葉が投げてきたものを空中でしっかりキャッチする。耀太は手にした物体をしっかり握り締めると、居酒屋から外へと飛び出した。


外はすでにすっかり暗くなっており、街の雰囲気も一変していた。街灯に照らし出された石畳の風景はロマンチックな色を帯びており、そこかしこにたくさんのカップルの姿が見られた。


そんなラブラブな雰囲気のカップルの脇を鼻息の荒い赤ら顔の男たちの集団が走り抜けていくと、通りにいたカップルの間から次から次へと悲鳴が巻き起こる。



悪いけど、今夜のお楽しみはまた今度に回してくれ! 今は詐欺師を捕まえることが先決なんでな!



耀太は驚いているカップルを尻目に、最後尾からコレコレ詐欺師を追いかけていく。



これだけの人数で追いかけているんだから、案外、簡単に捕まるかもしれないよな。



そんな風に軽い気持ちで走っていたが、海岸沿いの通りに出たところで、状況は激変していた。魔物の咆哮の如き呻き声がそこかしこから聞こえてくる。ギーサを追っていたはずの酔漢たちの声である。


「なんだ? どうしたっていうんだよ? まさか、あの男に返り討ちにされたのか?」


通りに設置された街灯を両手で掴み、体を九十度曲げて、獣のような声を絞り出している男に目を向ける。


「もしかして、あの男になにかやられたんじゃ――」


男の様子を見て心配になった耀太が声をかけたところ、突然――。


「うげろごぼぼげほげごぐげげっ!」


男の口から異音が迸り出たかと思うと、次の瞬間、今度は粘液質の物質が空中に飛び出していく。


「なるほどね。泥酔していた状態から急に疾走したから、さらに酔いが回って、嘔吐したみたいだな」


「ケーマ、冷静に状況を分析している場合かよ!」


慧真に怒鳴りつつ、通りの左右に目を向けると、そこには目の前の男と同じように体を曲げたり、あるいは石畳にひざまづいて呻き声を上げる酔漢たちの姿を散見することが出来た。


「おいおい、マジかよ! ひょっとして、この人たちはみんな吐いているのか?」


その光景はもはや地獄絵図でしかなかった。街灯に照らし出された石造りの美しい街並み。それとは正反対の汚濁の塊である吐しゃ物が地上にどんどん堆積していく。誰かの呻き声に誰かの呻き声が重なり、そこに吐しゃ物を吐き出す猥雑な音が続けざまに上がる。


その被害はロマンチックな夜を楽しんでいたカップルたちにまで影響を与えた。


えづきながら吐いている男の姿を見たカップルの若い男性が口を押さえたかと思うと、次の瞬間、盛大に口から吐しゃ物を放出する。


「おごぼげげげええ!」


若い男性はその場にしゃがみこんでしまう。


「ちょっと雰囲気が台無しでしょ! 初めてのデートなのに吐くなんて信じられない! 男だったら、そのぐらい我慢してよ! わたしだって、我慢して――」


カップルの女性が雰囲気をブチ壊した相手に文句を言う。しかし、その言葉も長くは続かなかった。その女性もまた相手の吐いている姿を見て、吐き気をもよおしてしまったのだ。


「おえげげげええ!」


美麗な顔には似合わない醜い声を上げて、一気に口から吐しゃ物を吐き出す。


もはや優美な観光地としての光景はそこに存在しなかった。今や一帯は阿鼻叫喚が沸き起こる修羅場と化してしまっている。


「そういえば昔から吐く人間を見ると、吐き気が移るっていうんもんな。オレも小学校のときに同じ経験をしたよ。それで、これから慧真くんは『き掃除』の担当から『き掃除』の担当に交代だねって、からかわれたんだよな。懐かしい思い出だ!」


「ケーマ、こんなときに小学校時代の思い出話なんて披露しなくていいから! ていうか、その頃からダジャレが染み付いているのかよ! とにかく、早くあの男を追わないと!」


観光地とは思えない惨澹たる状況のなか、耀太は自らも吐き気を堪えながら、通りに溢れる吐しゃ物の池を器用に避けつつ、必死にギーサを追いかけ続ける。


二人で石畳を走ること十数分――。


気が付けば、一緒にギーサを追っていたはずの酔漢たちの姿は消えていた。全員、吐き気に打ちのめされて、追跡を諦めてしまったらしい。


むろん、それでも二人はギーサを追いかけた。そして、ようやくギーサを狭い袋小路で追い詰めた。


「さあ、おれたちをダマして奪った金を返してもらうからな!」


耀太は壁を背にして逃げ場を失っているギーサに一歩近づく。


「す、す、すまない! 本当に出来心だったんだ! 女の子と遊びたくて、つい悪事に手を染めちまって……」


ギーサが情けない声で必死に言い訳を始める。


「あのホテルのフロントの人から、おまえがやっているコレコレ詐欺は全国で多発しているって聞いたけどな!」


耀太はギーサの言い訳をばっさりと切り捨てる。


「ちぇっ、そこまでバレちまっているんじゃ、しょうがねえよな!」


ギーサはすぐに開き直り、素の性格をさらけ出す。


「それじゃ、観念したんだよな? この街の警護騎士団の元に一緒に来てもらうからな!」


「ああ、分かったよ」


やけに素直にこちらの言うことを聞くなあと思っていたら、ギーサが不意に袋小路の出口に向かってダッシュしようと試みる。


「ガキが! 脇が甘いんだよ! コレコレ詐欺師のギーサ様を捕まえようだなんて、百年早いぜっ!」


「それはこっちのセリフだよっ!」


耀太は服のポケットから取り出した筒状の物体をギーサに振り向けた。


「これでも喰らって、朝まで反省してろ!」


筒状の物体にあるレバーを軽く押し込む。同時に筒状の物体から飛び出た霧状の成分がギーサの顔面を直撃する。


「うごぎゅあごわぐるごわがぼおおおーーーーーーーーっ!」


ギーサの顔がありえないくらい歪み、口からは街中に響き渡るほどの大絶叫が迸る。


「ヨーハの話していたことにウソはなかったみたいだな。本当に『コレ』は効果抜群だぜ!」


耀太は石畳の上でのた打ち回るギーサの惨状に哀れみの視線を向けた。


居酒屋を飛び出したときに耀葉から投げ渡された痴漢撃退用の催涙スプレーは、見事にその力を発揮した。

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