第3話 先生、早く起きてください

観光バス内にいた生徒30名全員が意識を取り戻した。


ある者は近くのクラスメイトと顔を寄せ合い話しあっている。ある者は窓の外をずっと見つめたまま体を硬直させている。またある者はこんなときだというのに、あるいはこんなときだからこそか、スマホの画面を一心不乱に見つめている。現実逃避しているのかもしれない。


「なに、あの人たち! チョー映えるんだけど! いっぱい写真に撮って、あとでSNSに上げよう! めっちゃ、『いいね』が貰えるかも!」


中には窓の外の光景にスマホを向けて、バシバシと連写している生徒もいるにはいた。



一人ぐらいこういう能天気な生徒がいたほうが、かえってこっちの気持ちが落ち着くよな。



ぼんやりとそんなことを思う耀太だった。


「なあ、委員長。おれたち、これからどうなんの? あの騎士に捕まっちゃうわけ?」


今耀太が一番聞きたくない言葉がバスの後列の方から聞こえてきた。


「いや、どうするって言われても……」


少なくとも本物の騎士を目の前にしてどうにか出来る学級委員長なんて、日本中捜してもどこにも存在しないことだけはたしかだ。



だから委員長なんてイヤだったんだよ。



内心でぼやく耀太。


「とにかく今から先生と相談してみるから、くれぐれも相手を刺激するようなことだけはやめてくれよな」


「欠席した日に委員長に任命されたヨータにしては妥当な答えだな」


慧真がさっそくちょっかいを出してくる。


「カゼをひいてゼーゼー苦しく呼吸をしながら家のベッドで横たわるおれのことを委員長に推してくれた、友達思いのクラスメイトの気持ちを裏切るわけにはいかないからな!」


恨みがましく言いつつも、委員長という役職についている以上はそれなりの働きをしなくてはいけないという、妙な責任感を持ち合わせているのが耀太だった。


「でも、肝心の先生はまだ夢の中みたいだぜ」


「えっ、マジかよ……」


慧真の言葉が正しかったことは、組木の幸せそうな寝顔を見て分かった。


「あの、先生……。起きてもらえませんか? 大変な事態が生じているんですけど……」


担任とはいえ、相手は若い女性なので起こすのがちょっと恥ずかしい気持ちがあり、言葉がどうしても弱くなってしまう。


「組木先生、今、大変なことが現在進行形で起きているんですよ? だから起きてもらわないと……」


「うん、やだっ、そこはダメだって……。もう、エッチなんだから……」


半分開いた口からなんとも可愛らしい寝言が漏れてくる。


「いや、先生、なんか勘違いしているみたいですが……」


「もう、だからダメって言ってるでしょ……。そこは一番感じるところなんだから……」


組木のひどく生々しい寝言がバス内に響く。男子生徒の大半は息を潜めて、じっと組木の寝言に聞き入っている。


「クミッキー先生! 本当に起きてください! これ以上寝言を言われたら、車内にいる男子全員が大変なことになりますから!」


「えっ、やだっ! わたし、寝てたの? どういうこと?」


いきなりパッと目を覚ます組木。


「やっと起きてくれた。先生、とんでもない事態が起こっているんです!」


組木の口元に少しだけ涎の跡がついているが、そこは見ない振りをするだけのマナーはわきまえている。


「ねえ耀太くん、わたし、寝言で変なこと言ってないよね? なんか夢の中で言っていたような気がするんだけど……」


「そこはダメとか、エッチがどうとか、いろいろ言ってましたが全部聞かなかったことにします」


組木がどんな反応を示すか分かっているはずなのに、慧真がさっそくイジりだす。


「やだー----っ! あのね、それはつまり、本当に誤解だから! 飼い猫が寝ているわたしにじゃれ合ってくる夢を見ていたの! それでそういうことをつい言っちゃうというか……」


顔を真っ赤にして恥ずかしがる様子はまるで女子高生そのものである。実際のところ、組木はバス内にいる誰よりも一番見た目が幼かった。知らない人間が見たら耀太の同級生と見間違えてもおかしくないほどだ。


「クミッキー先生、先生の家庭の事情はこの際どうでもいいですから」


「でもね耀太くん、本当にわたしは家で猫を飼っているんだからね! 本当だよ! ウソなんかついていないからね! 本当に本当なんだから!」


なんだか口調まで幼くなってしまう組木である。今さらながらに自分の担任がこの人で大丈夫だろうかと心配になってくるが、今はそれ以上の心配事が外で起きているので、組木のことは頭の隅に強引に押し込んで話を前に進めることにする。


「先生、いいから外を見てください!」


「外? 何が見えるの?」


組木が外に目を向け、数秒黙ったまま凝視し続ける。


「なーんだ。まだわたし、夢の中にいたみたいね。さっきの寝言も気にする必要ないんだ、良かった。それじゃ、二度寝しようっと!」


そしておもむろに目を閉じる。


「クミッキー先生、お願いだから現実逃避しないでください!」


さすがに猛烈に突っ込むしかない耀太。


「いやーーーっ! だって外に怖い人たちが何人もいるんだもん! 絶対に危険でしょうが!」


「だもんって、女子高生みたいな言葉遣いは止めて下さい! 担任なんだから、しっかりしてくださいよ!」


「ムリムリムリ、絶対にムリ! だいたいわたし、担任っていっても、まだ新卒なんだからね!」


「それは知っていますけど」


「前任者が急に辞めることになって、いやいや担任になったんだから!」


「生徒を前にして、いやいや担任になったとか言わないでください! だいたい、いやいやなったというのなら、おれだって欠席しているときに勝手に学級委員長に選ばたんですからね! クミッキー先生と同じですよ!」


「それはご愁傷様。そんな勝手なことをするクラスの担任には、正式に抗議をしたほうがいいわよ。先生もしっかり応援するから」


「だからおれの担任はクミッキー先生でしょうが!」


着地点が見つからないまま、二人の中身のない漫才のような不毛な会話は続く。そこに突然――。


「ほら、もっとシャンパンタワーを高くして! 天井を突き破ってもいいから! えっ、あたしの酒が飲めないっていうの? まさか、あたしがどんだけあんたのことを指名したのか忘れたわけじゃないでしょうね? ナンバー1ホストになれたのは誰のお陰だと思ってんの!」


高校生ばかりいるこの場には不釣合いの言葉が紛れ込んできた。


どうやら組木以外にもバス内に要注意人物がもうひとりいたみたいだ。


「ちょっと史華ふみか、いきなりどうしたの!」


組木が寝相の悪い肉食獣のように座席で体をバタバタさせているバスガイドに近寄っていく。


「ひょっとしてクミッキー先生はこちらのとても寝相が独創的なバスガイドさんと知り合いなんですか?」


組木の言葉遣いから二人の関係性はなんとなくうかがい知れたが、一応確認だけはしておくことにする。


「史華は高校時代の同級生なの。まさかこんな偶然で再会するなんて思わなかったけどね」


「クミッキー先生の同級生のことを悪くは言いたくないんですが、今すぐ起こしてもらってもいいですか? これ以上放っておくと、放送禁止用語とか高校生が聞いたらマズい単語とかが飛び出してきそうなので」


「それは大丈夫だから。いくら史華が高校時代に東京でナンバー1のギャルサークルの代表をしていたからって、そこまでひどいことを言うはず――」


「あたしの言うことを聞けないっていうのなら、この場で裸になってやる! しかも全裸だからね、全裸! それで他の客がひくぐらいの猥褻なダンスを全力でしてやるから! そうなったら、このホストクラブは即、警察から営業停止処分を受けるわよ! それでも良いっていうの?」


「ちょっと史華、やめてよ! ていうか、どんな夢を見たら、全裸なんて単語が出てくるの!」


今にも両手を使ってバスガイドの制服を脱ぎだそうとする同級生のことを、必死に止めに入る組木。さすがにこれ以上同性の醜態を見ていられなくなったのか、アリアも助太刀に入る。


数分後――ようやく夢から覚めて、落ち着きを取り戻す史華。


「あれ、ここってどこなの? もしかして角和木さん、道を間違えたんじゃないの?」


さっきまでの痴態がウソのような変わりようである。


「いや、私は道を間違えてはいないよ。それよりも新しいお客さんがこちらに来るみたいだよ」


この車内では一番年齢が上に見える運転手も少し前から意識を取り戻していたみたいだ。


「新しいお客さん……?」


耀太はバス前方のフロントガラスに目を向けた。騎士の一団から三人が離れて、こちらに向かって歩いて来ている。


「どうやら、いよいよあちらさんとの話し合いの開始ということらしいな」


「でもケーマ、話し合いっていっても、騎士を相手にどんな話をすればいいんだよ?」


「それはオレにだって分からないさ。でも、きっと話し合いは夜まで時間が掛かると思うぜ。騎士ナイト――ナイトだけにな」


「はいはい、そういうことにしておくよ」


親友の放った渾身のジョークを一蹴する耀太。今はジョークに付き合っているだけの余裕は無い。


「クミッキー先生、こちらの代表として話し合いをしてもらえます?」


「えっ、わたしが? なんで? 耀太くん、そんなのムリに決まっているでしょ。わたし、騎士さんと話したことなんて一度もないんだから!」


「それを言ったら、ここにいる全員、騎士に知り合いなんていませんから!」


「ねえ耀太くん、わたし、新卒なんだよ? 今年、大学を出たばかりなんだよ? 新卒に騎士相手の話し合い役なんて、さすがに荷が重すぎるでしょ?」


「新卒の話はさっき聞きました! ていうか、新卒じゃなくても騎士相手に話をするなんて難しいですから!」


耀太と組木による不毛な会話が再開されようとしたとき、観光バスの前方に設置された乗車口を外からノックしてくる音が車内に響いた。


「クミッキー先生、わたしも一緒についていきますから、とにかく相手方と話をしましょう。ここでわたしたちだけで議論していても結論は出ないと思うし」


アリアが組木の説得に加わってくれる。


「ちょっと待った! アリアが行くのなら、おれもここは学級委員長として同席するから!」


組木のことよりもアリアのことを思って、耀太も話し合いに参加することにした。


「ということは、おれも付いていったほうがいいよな」


さらに慧真が続く。


「ここから本格的にリアル異世界転移が楽しめるぞ!」


不純な動機で慧真の後に続いたのは菜呂だ。



バス内で小さな揉め事はいろいろあったが、こうして人類史上初かもしれない異世界住人とのファーストコンタクトがいよいよ実現しようとしていた。

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