十月最後の夜に

 今日は十月の最終日。よりにもよってこんな日に出社するとは大失態だ。なんとか在宅勤務に調整すべきだったと気付いた時、もう街は喧騒の中だった。

 やたらと露出度の高い服を着た若い女や、雑に顔を白く塗った若い男が集団で闊歩する。

 そう、今日はハロウィンだ。


 荒井あらい 悠太郎ゆうたろうの国では、いつの間にかこんなよくわからないイベントの日になっていた。集まって何をするでもなく、ただウロウロとしているだけだ。

 彼ら彼女らの大半は、一夜限りの出会いなどを期待してる。というのは、荒井の偏見だ。


 半分下着のような服装の女たちを見て、荒井はため息をついた。安っぽい大きな帽子を被っているのは、申し訳程度に魔女ということなのだろう。

 荒井は思い出す。そういえば少年の頃、妙に魔女という存在への憧れを持っていた時期があった。実在しないのはわかってはいても、認められなかった。

 なぜそんなに執着していたのかは、自分でもわからない。しかし、荒井の頭の中には、魔女の外見が鮮明に浮かんでいた。


 ピンクに近い赤い髪に、透き通るような白い肌。そして、黒よりも黒い、闇とも言えるゆったりとした衣装。

 今で言えば、いわゆる中二病だったのだろう。それなりの歳になっても忘れられない、苦い思い出だ。


「困ったなぁ」


 荒井がオフィスを出たのは午後七時。目の前に見える大通りは、身の置き場もないほどの人ごみだった。

 くたびれたスーツ姿の荒井は、頭に手をやった。歳のせいか最近薄くなってきた気がするが、まだ大丈夫。そう、そのはずだ。

 早いところ帰りたいとは思うものの、良くも悪くも精力的な若者の海に飛び込む勇気はない。かといって、仕事に戻りたくもない。


「行くか……」


 荒井はビルとビルの間にある、狭い通路を歩き出した。


 路地の奥には古めかしく作った扉があり、小さく目立たない色で【BAR日諸】と書いてある。仕事はしたくないけど何となく帰りたくない時にお世話になっている店だ。

 営業時間もわからず、定休日も不明。店主に聞いても答えてはもらえない。開いているかどうかは運任せということだ。

 普段の客は数える程で、これで経営が成り立つのか心配になる。余計なお世話だ。


「おっ」


 扉にあるレバーに手をかけると、軽く動いた。今日の荒井は運がいい。


「って……」


 いつもの様に薄暗い店内に足を踏み入れた時、ふたつの違和感が荒井を襲った。

 

 ひとつは視覚情報だ。柔和な笑みを浮かべる店主の姿がない。その代わりに、南瓜の被り物をしてカーキ色のフライトジャケットのような上着を羽織った人影が、カウンターの向こうに立っている。

 背格好を見る限り、恐らくは店主自身なのだろうとは考えられる。しかし、静かで落ち着いたBARの雰囲気とはどうも不釣り合いだった。


 そしてもうひとつが、どうにも表現できない直感のようなものだ。それによると、今夜のこの店は、様々な世界に繋がっているらしい。

 あまりにも荒唐無稽だが、そういうことだ。荒井は確信に近い理解をした。


「いらっしゃいませ」


 南瓜頭が荒井に振り向く。額にあたる部分には、なにやらクネクネとした模様が描かれていた。

 声は、いつもの店主だった。


「ああ、荒井さん。お久しぶりです。どうぞ、いつもの席、空いてますよ」

「ハロウィン?」

「はい」


 店主に促されるまま、荒井はカウンターの左から三番目の席に腰を下ろした。


「ボトルまだ残ってましたよね? ロックで」

「かしこまりました」


 店主は荒井に背を向け、ボトル棚に手を伸ばす。しかし、大きな南瓜頭が邪魔をして、高い位置にあるボトルになかなか届かない。

 元々小柄な店主が無理をしているものだから、危なっかしくて仕方ない。荒井は落ち着く暇もなく、ハラハラとその姿を見守っていた。


「あっ」

「ああっ!」


 案の定といえば、その通りだった。辛うじて届いた指に引っかかった荒井のボトルは、吸い込まれるように床へと落ちていった。

 荒井は、自分のキープしていたボトルが割れ、中のウイスキーが飛び散るのを覚悟した。


「え?」


 瓶が空中に浮いている。荒井は自身の目を疑った。


「マスター、気を付けなさいよ」

「いやぁ、すみません」


 荒井の右隣から、女の声が聞こえてくる。なんとも色っぽい、大人の女が発する美声だった。

 座った時には空席だったはずだ。驚いた荒井は、声の主へと振り向いた。


「えっ……」


 そこには魔女がいた。

 店内だからか、帽子は被ってはいない。しかし、その髪と肌の色、そして闇そのものと感じられる衣装には既視感があった。


「あ……」


 なにか声をかけたかった。そうは思っていても、荒井の口は意味の無い音を発するのが精一杯だった。


「あら、こんばんは……」


 女性も荒井の方へと顔を向けた。穏やかだが、どこか楽しげな碧の双眸。肉付きの良い頬。荒井は目が離せなかった。


「あらあらあらあら、お久しぶりね」

「え?」


 女性の瞳が文字通り輝いた。ぽってりとした張りのある唇が、笑みに歪む。


「悠太郎くんよね? 二十五年ぶりかしら」

「え? え?」

「そうね、忘れちゃっても仕方ないわね。あの頃はハロウィンなんて、こちらでは一般的じゃなかったものね」


 女性は片目を閉じて、ウインクをして見せた。荒井は、その姿に見覚えがあった。


「魔女の……ミーナリアさん?」

「そう、ミーナって呼んでねって言ったでしょ。ふふふ」


 思い出のままの魔女は、まるで少女のように微笑んだ。


「また会えて嬉しいわ。そうそう、この日に感謝ね」

「ハロウィンに?」

「そう、悠太郎は今、お菓子持ってないでしょ?」

「持って、ないね」


 荒井は、もういい歳のおじさんだ。お菓子を持ち歩いている子供ではない。ただ、あの時もおやつは食べ終えてしまっていた。


「だから、運命のいたずらがあったのよ。トリックオアトリートって」

「なるほど」

「大人になった悠太郎には、どんないたずらをしてあげようかしらね」

「お手柔らかに」

「さて、どうかしら」


 悠太郎とミーナの前に、ウイスキーと氷の入ったグラスがふたつ、浮かんでいた。

 

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