絶対に猫耳を触りたいサラリーマン vs 絶対に猫耳を触ってもらいたい猫耳娘
きっかけは、仕事帰りにふらりと入ったBARだ。初めての店だったが、落ち着いた内装や柔和なマスターのおかげで、とても居心地がいい。カウンター席に座り、ウイスキーをロックでなんて、ちょっとカッコつけた注文をしてもいいと思える雰囲気だった。
いや、そんなことはどうでもいい。大事なのは、カウンターの端に座る女性客についてだ。
聡の少し後に入ってきたその女性が気になって仕方ない。あまりジロジロ見るのは失礼だと思いつつも、ついついチラ見をしてしまう。
薄明かりの中でもわかるくらいに輝く金色の瞳。少し癖のある赤髪。チューブトップにホットパンツという露出の多い衣装は、健康的な肢体を惜しげもなく晒している。
そしてなにより、彼女は『猫耳』だった。
ここが様々な世界に繋がった店なのは、入店時になんとなく理解できた。きっと獣人のような客なんて普通のことだろう。わかっていても、その姿は衝撃でしかない。
話をしたい。
できれば耳を触りたい。
可憐な尻尾も魅惑的。
しかし、聡は人見知りだった。どう話しかけていいのやら、まったく見当がつかないのだ。
落ち着くために、グラスの中身を舐める程度口に含む。普段はハイボールしか飲まないので、ロックの濃さにクラクラしてしまう。
それでも一向に酔えない聡は、先々週の金曜の事を思い出した。
友人に連れられて行った【ネコミミメイド喫茶・にゃんにゃー】での出来事だ。
基本的には普通のメイド喫茶なのだが、店員が猫耳を模したカチューシャを装着している。そして、語尾に『にゃん』をつけて話す店だ。
確かに可愛かった。でも、違うのだ。あれは、違うのだ。
本物の猫耳とは、感情に合わせて動くのだ。人間の耳に該当する部分は、髪などで隠しておくべきなのだ。心を許した相手以外には触らせないものなのだ。
空想上の存在なのは充分にわかっていた。だからこそ、その店は聡に落胆と絶望を与えてくれた。
それがだ、今、現実の存在としてここにいる。それも、カウンターの空席四つ向こうに。
聡は心の中で叫ぶ。早く声をかけろと。拒否られてもいいじゃないか。初めての店で恥をかくだけだ。
悲しいことに、聡の体は動かなかった。
◇◆◇◆◇◆
不思議な店に入ってしまった。
キャルラ・キャララは今年で二十歳になる冒険者だ。猫人族の彼女は、直接的な戦闘をあまり得意としない。その代わり、持ち前の注意力を生かした探索系の仕事には自信がある。
今日も、新たに発見された古代遺跡の調査をギルドから請け負っていた。
完全に不注意だった。何のためにあるかわからない妙な扉を開けてしまったのだ。そして、その先には、よくわからない店があった。
誘われるように足を一歩踏み入れると、感覚的に理解できた。なるほど、こういう店なのか。
ならば楽しもうと、端の席に座りカルーアミルクを注文する。猫人族は甘いものが大好きなのだ。思わず喉が鳴ってしまいそうになる。
小太りの店主からグラスを受け取り、口につけた。その時、キャルラの背中に泡立つような感覚が走った。
その視線に気付いたのは、冒険者として研ぎ澄ませてきた注意力からだと思う。カウンターの空席四つ向こうの男がこちらを見ている。
ギルドに併設された酒場でもよくあることだ。若い女と馬鹿にされることは日常の光景とも言える。口説かれたり、金や体を狙われたり。そういう世界でキャルラは生きてきた。
この不思議なBARでも同じなのかと、肩を落としてしまいたくなった。
いや、違う。様子を窺うように、チラチラとこちらを見る男の視線は、どこか違和感があった。
これはおかしい。意思とは無関係に耳は垂れ、尻尾が逆立つ。頬は自分でもわかるほど熱を持っていた。
彼に、触られたい。
猫人族が他人に耳を触らせるというのは、信頼と愛情と服従の証だ。キャルラは今まで、親以外には誰にも触らせたことがない。
愛する者か仕えるべき主人に出会った時のために、大切に残しておいた初耳。それを、まだ話もしていない相手に捧げたいと、体は言っていた。猫人族ですらない、ただの人間に。
一目惚れというやつなのだろうか。キャルラはひたすら困惑していた。
本能的に納得はした。ただし、乙女の気持ちは追いつかない。声をかけたら触ってくれるだろうか。でも、なんと声をかけたらいいか、まったく思いつかない。
そもそも、彼が触ってくれるとも限らないのだ。獣人を快く思っていない可能性もある。
キャルラは心の中で叫んだ。声をかけてしまえと。若い女に話しかけられて嫌な気になる男はいない。それに、拒否されても一時の恥だ。
悲しいことに、キャルラの脚は震えたまま動かなかった。
◇◆◇◆◇◆
「そうそう、今日は私の世界では『猫の日』なんですよ」
グラスを磨いていた店主が、呟いた。
「た、たしかにそうですね」
「そ、そうニャんだね」
空席を四つ挟んで座っていた男女が、勢いよく立ち上がった。
「私の世界の猫は、耳の根元を触られると喜びます。もちろん、気を許した相手には、ですが」
続く店主の言葉を聞き、男女は同時に互いの方を見た。目が合ったことに気付いた二人は、慌てて顔を背けた。
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