悪役令嬢と異世界美女

 わたくしのストレスはそろそろ限界だ。

 いつになっても慣れない生活。怯えた表情で顔色を窺う召使い達。そして、迫る運命の日。

 だから、今ならまたあの店に行けると思う。そう願って自室の大きな扉を開いた。


「いらっしゃいませ」


 薄暗く、落ち着いた木目調の内装。そしてカウンターの向こうには、柔和な笑顔を浮かべる男性が一人。皺の伸びきっていないシャツは、彼の親しみやすい雰囲気にぴったりだと感じる。

 目が痛くなるほど豪奢なお屋敷よりも、わたしはこちらの方が好みだ。そして、全身に緊張感を張り巡らした給仕よりも、適度にゆったりとしたこの接客が落ち着く。


「お久しぶり、マスター」

「どうぞ、こちらへ」


 言われるまま、マスターの向かいのカウンター席へと座る。必要以上に装飾の多いドレスは、椅子に座るだけでも一苦労だ。

 あっちの世界に転生してもう二年。いい加減適応できてもいいのだとは思うけど、そう上手くはいかないみたいだ。元日本人のOLが貴族のお嬢様生活に馴染むのは簡単ではない。


「ご注文は」

「ビールを、大で」

「かしこまりました」


 この店は、わたくしわたしになれる唯一の空間。まさに癒しの場所だ。

 マスターも日本人だから、ちゃんと話が通じる。その証拠が、これだ。


「お待たせしました」


 大きなジョッキと共に出されたのは、茹でた枝豆とフライドポテト。そう、これよこれ。


「ねぇ、今ビールって言った?」


 ずっしりとしたジョッキを持ち上げた時、背中側から声をかけられた。


「ええ、言いましたけど」


 お楽しみを妨害された気がして少しだけムッとしてしまう。振り向いた先には、ボックス席に座った女の人が、小さく手を振っていた。


「ちょっと、お話聞かせてもらえないかな? それ、奢るからさ」


 紫色の髪をショートボブに切りそろえたその人は、びっくりするくらいの美人だった。切れ長の目が、人懐っこく笑っている。歳は、私より少し上くらいだろうか。


「ええ、構いませんよ」


 奢ってもらえると言うなら、さっきの無礼も許して差し上げよう。悪役から脱したい悪役令嬢には、寛容さも大事なのだ。


「では、あちらの席までお持ちしますね」

「ありがとう」


 マスターの厚意にお礼を告げて、彼女の向かいへと座る。裾が大きく広がったドレスをボックス席に押し込めるのは、とっても大変だった。


「ごめんね、急に声かけちゃって。私はマリーン・マリル。マリーンって呼んで」


 マリーンと名乗った女の人は、琥珀色の液体が入ったグラスを私に向けて掲げた。妙に様になってて、年上の女といった感じだ。


「ルイーナリア・サイルーンです。ナリアで結構ですわ」


 マスターが移動してくれたジョッキを持ち上げ、軽く乾杯した。私はもう我慢できなくなり、その勢いでジョッキを半分ほど空にする。

 うん、これこれ。貴族がたしなむお上品な葡萄酒もいいけど、私にはこっちの方が似合ってると思う。といっても、転生前の私は、だけど。


「すごい飲みっぷりね」


 マリーンは目を丸くして、こちらを見つめる。確かに、どこからどう見てもお嬢様の私がする飲み方ではない。


「まぁ、色々ありましてね」

「もしかして、ニホンってところ出身だったり?」

「え、ええ。ご存知なんですね」

「更にもしかして、転生、とか?」

「そこまで知ってるとは……」


 私の回答に勢いをつけたマリーンは、テーブルに乗り出す。ゆったりとした作りの襟元から、豊満なものが見えてしまいそうになっていた。


「私は知らないんだけどね、一緒に旅をしている人が、よくビールが飲みたいって言ってて」

「その人が日本人と?」

「そうなの。よくわかんないけど、転生したとかなんとか言ってて。だから、ビールを頼んだナリアに声をかけてしまったのよ」


 椅子に座りなおしたマリーンは、グラスに口をつける。いちいち色っぽい。

 おや、もしかしてこれは、そういうことだろうか。


「もしかして、その人のこと、好きとか?」


 ビールと枝豆で少し気分の良くなった私は、たぶん口が軽くなっていた。ついつい雑な口調でぶしつけなことを聞いてしまった。


「あっ……えっと……」


 マリーンは黙ってしまった。薄暗い店内だから、その顔色まではわからない。でも、明らかに図星だ。照れて俯いた彼女は、初対面の印象から大きく変わっていた。

 私のいる世界の貴族は、基本的に政略結婚だ。自由恋愛なんて、庶民がするものなのだ。要するに、私は恋バナに飢えていた。


「わかりました。元日本人である私が、相談に乗ってあげましょう」

「えっ、本当? 嬉しい!」

「ふふふー、お任せあれ」


 それからマリーンが恋する人の話を詳しく聞いた。幼馴染である彼は、前世の記憶と不思議な力を持っていたそうだ。

 日本でサラリーマンをしていたところ、突然トラックにはねられた。そしてあちらの世界に生まれ変わったらしい。


「私と似たようなもんだね」


 三杯目のビールを空にしつつ、枝豆を口に放り込む。私以外にもそういうが人いたんだと、どこかか安心してしまっていた。

 いやいや違う。ちゃんとマリーンの相談に乗らないと。


「私の言う通りにしてね」

「うん、わかった」


 私はマリーンに、一般的な日本人男性が好む女性像をしっかりと教え込んだ。

 肌の露出は控えめに。

 過度な色仕掛けは逆効果。

 胃袋を掴むことは、心も掴むこと。

 前に出過ぎず、頼りすぎず。

 自尊心を傷つけないように。

 好きなら好きと、はっきりと。


「あと、マリーンは美人過ぎるから、少しは隙を見せた方がいいかも」

「ふんふん、なるほど……」

「そうそう、そういうの、可愛いよ」


 マスターの用意してくれたメモ帳とボールペンで、マリーンは必死にメモを取っていた。使っている文字が違うので、なんて書いてあるのか、さっぱりわからなかったけど。


「ありがとう、やってみる」

「うん、応援してるよ」


 その明るい笑顔を見て、私ももう少し頑張ってみようと思えた。我ながら単純だ。

 悪役令嬢が恋をしてはいけないなんて決まりはない。せっかく転生したのだから、あの世界の常識を覆してやってもいい。そんなことまで思えてしまった。


「ナリア、また会えるかな?」

「もちろん、またこの店で」

「そうだね。またこの店で」


 立場の関係ない友人というのは、とってもいいものだ。そんな相手、学生時代以来だ。

 マリーンと再開の約束をし、私は私の世界へと帰る。ただ、その前に、どうしても確認しておきたいことがあった。


「ねえ、マリーン」

「なに?」

「ステータスオープンって言ってみて」


 転生と言えば、悪役令嬢とゲームっぽい異世界。不思議なBARで知り合った友人が暮らす世界への興味を、私はどうしても隠せなかった。

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