14.Armeria maritima

店先に、ピンクの小さな花のポットがケースに入れられて並んでいる。小さなまぁるく咲いた鮮やかなピンクの花が初夏の風に揺れていた。

ポットは三十個はあるだろうか。どこかに搬入するのかなぁ、と思いながら私は裏口からいつものように店の中に入った。

「お疲れさまです」

柚木がやっぱり気だるそうに座っている。おぅ、と返事があった。

「搬入あるから、そのまま待ってて」

柚木はよっこいせ、と扉に鍵をかけた。

ドイテドイテ、と言いながら、壁にかかっていた車の鍵を取る。

「店の前にポット、あっただろ。あれ、搬入依頼されたから。ついてきて」

何という名前の花なのだろうか。

見たことのない花だった。

柚木が車を出してくる間に、私は少し車道に出ていたポットの入ったケースを歩道に寄せた。車が見えてきて、一つケースを持ち上げた。以外と軽かったので驚く。

「積んで、積んで」

柚木が運転席の窓から言った。

私はケースを後ろの荷台に入れる。柚木の車は花のケースを積むために、両端にケースを引っ掛ける爪がついている。この爪のおかげで花を潰さないようにしながら、幾つもケースが積める。ケースを二つ積んで、私は助手席に乗り込んだ。

「あの花、なんていう名前ですか?」

信号待ちをしている柚木に、さっそく疑問をぶつけてみることにした。柚木はカーラジオのチャンネルを適当にいじりながら言った。

「アルメリアだよ」

聞いたことのない名前だった。まるで国の名前にでもありそうな、少し変わった花を咲かせるあの花に似合った名前だと思った。へぇ、と私が言うと、お前別に感心もなにもしてないだろと突っ込まれる。

「アルメリアを、何に使うんですか?」

柚木はまだチャンネルを回している。

「花壇に使うんだってサ」

ブツブツと、放送の途切れる音がする。

「植え込みも依頼されたから、神崎、お前も手伝えよ」

ジャズが聞こえた。そのまま、柚木がチャンネルを回すのをやめた。今日の柚木は、穏やかな音色のジャズを聞きたい日らしい。なんという曲だったか忘れたが、聞き覚えのある曲だった。


「あらマァ、わざわざどうもありがとう」

いかにも町内会のママと言った風貌の女性が私たちを待っていた。少し派手めな赤いマニキュア。これは、ちょっとに土いじりはしそうにない。

「サァ、植え替えのために花壇をキレイにしておきましたから、お花を植えて下さいな」

女性の向こうに麦わら帽子を被ったおじさんやおばさんがいた。目が合うと、一礼される。

花壇の土は綺麗に平らにならしてあった。

「わかりました。」

柚木は言うと、私にポケットから出した軍手を投げた。

二人で軍手をすると、車に積んであったケースを取り出す。私が二つめのケースを花壇の前に置いている間に、柚木はもう一度車に戻ってスコップを持ってきた。

「いいか、こうやって植えろ」

柚木は手早くポットから株を抜くと、軽く土をとって、浅めに掘った穴に株を置いた。

「わかったな」

柚木はそれきり、何も言わずに黙々と花を植え始める。私もそれにならって、作業を始めた。

掘る、ポットから出す、植える…それを何度繰り返したか、やっと二ケース植え終わった。無造作に脇に置いていたポットの脱け殻が山になっている。柚木の姿が見えなかったが、私はケースの中に傍らの一山をザッと乗せると、立ち上がった。

花壇にアルメリアが整列している。

「ごくろう、ごくろう」

柚木が言いながら、手にしているジョウロからまぶすように花壇に水をやった。その細い水流にもアルメリアのピンクの花はそよそよ揺れる。

「この花は強い花です。ただ、暑さに弱いのでそれだけは注意して下さい」

柚木が水やりをしながら言った。

はぁい、とあのマニキュアの女性が返事をした。ぱんぱん、と軍手の土を軽く落とすと、柚木はその女性と代金などについて話し始めた。

「お嬢さん」

ぼんやりベンチに座って、柚木を待っていた私に声がかけられた。

振り返ると、麦わら帽子のおじさんが立っていた。長袖のシャツに、軍手。作業のしやすそうな格好だった。

「お疲れさまね。これ、どうぞ」

お茶の入ったペットボトルを二本、差し出された。指先がボトルの表面の雫に濡れる。少しじめじめした、暑い日だったので気持ち良かった。

「あのお兄さんにも渡しといて」

くしゃりとおじさんが笑う。

「わかりました。ありがとうございます」

大きく私が頷くと、おじさんは満面の笑みになった。よろしくね、じゃあネ、おつかれさん。そう言われる頃に柚木も話を終わらせていた。

「これ、あのおじさんから」

ペットボトルを渡すと、柚木はぐいっと飲んだ。

「あー暑い。ビール、飲みてぇな」

花壇で中腰になったり、しゃがむのが腰にクルんだよなぁ、とぼやきながら、柚木は腰をとんとんと叩く。こういうところがあるからマコちゃんにオジサンと呼ばれるのだ。声には出さなかったが、私はそう思った。


車内では、またジャズがかかっている。

「混んでんなぁ」

ちょっとした渋滞に捕まっていた。

柚木は気だるそうに窓によりかかり、短いアクセルと長いブレーキを繰り返していた。たまに、首を回している。

「伊崎のとこから、花を仕入れるとさ」

ジャズの番組で、DJがゲストと話し始めた時、柚木がぼそりと言った。

「大体はつぼみでくるんだよ、毎回開き始めにしてくれって言ってんのに」

あいつ、毎回忘れるからもう言うのもやめちゃった、と柚木は笑う。

伊崎が持ってきたまだつぼみの花を見て、うんざりした顔をしながらも何も言わない柚木の姿が思い浮かんだ。

「アルメリアはさ、つぼみのついた茎がスーって伸びてきて…小さな花が色付いて、徐々にまぁるく花が咲くんだよ」

カチカチとウィンカーの音がする。

私はその光景を想像してみた。

あの花が、なぜあんなに細い茎一本で支えられるのか、不思議だった。

「面白いのは、花が咲いてるだけじゃないんだ…花がなくても、面白い…」

柚木はゆっくりと左折し、横断歩道を横切る。

次の信号で停車すると、またラジオからジャズが流れてきた。

「あ、フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」

柚木が嬉しそうに言った。

『私を月に連れてって…星といっしょに遊びたいから…』

気持ち良さそうに英語で歌詞を口ずさみ、柚木はアクセルをゆっくりと踏み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る