13.Gardenia jasminoides


柚木が鉢を目の前に置いて、ぼぅっとしていた。

「あぁ、いい匂いだ」

たしかに、いい香りがほのかに満ちている。

「あ、注文のクチナシ、届いたんですね」

数日前、珍しく鉢物でクチナシをと注文してきた人がいたのを覚えていた。娘夫婦の新居祝いに、と仏頂面で注文していたのが印象的だった。

「たまたま、咲いたんだよ」

真っ白な鉢に立派な深緑色の枝葉が茂っている。その中に数輪、真っ白な花が咲いていた。

「新婚夫婦の新居に、クチナシ。…なるほどネェ」

感心したように柚木は言った。

「でも、新婚夫婦に口が無い、のはどうなんですかね?」

私がそう言うと、あー、そうとも取れるなと柚木は言った。

「きっと、頑固親父は何も言わずに娘夫婦を祝いたんだろ。花言葉も合ってるし」

成る程、合点がいった。たしかに、あのお客さんならそういう意味で送るのだろうと思った。しかし、あの頑固そうな人が、必死に花言葉を調べて、この木を贈ることにしたのだとしたら…微笑ましかった。


「ごめんください」

柚木が顔をあげた。私も水替えの作業の手を止めた。

グレーのジャージの中年男性が、仁王立ちで入口に立っている。眉間には深く皺を刻み、髪は白髪が混じって灰色に見えた。ちょっと、花屋には立ち寄りそうもない人に見える。ランニングが似合いそうだ。

柚木が男性の次の言葉を待っていた。

しかし、男性は仁王立ちのまま動かない。

「何か、御用ですか」

柚木が言った。すると、男性は柚木を見てこういった。

「クチナシ、という木はありますか?」

どれほどのものをお探しですか、と柚木が効くと、男性は腰下を手のひらで示した。クチナシは切花や、窓際に置けるくらいのものを取り扱っていることが多い。随分と大きいものを探しているようだった。柚木は、すぐに今は置いていないということを告げた。

「知り合いの植木屋に聞いて見ましょうか?」

その大きさは植木屋に頼むべきだろう、そう柚木は判断したようだった。しかし、その申し出に男性は難しい顔をした。

「こちらで受け取りたいんだが」

柚木はすぐにかしこまりました、と返す。大きさはどれくらいか、植木屋に発注してからの入荷になること…植え付けは……必要なことをメモすると、柚木は承りました、と言った。

「おい、神崎。伊崎屋に注文…と」

そう言えば、と言って柚木は封筒に三万円と書くと、あいつに貸してるからついでに回収してこい、といってこちらに差し出した。

ずいずい封筒を私に押し付けると、適当な地図をそれに重ねて押し付けた。ウザいくらい分かり易いから、すぐ見つかるよと柚木は言って、厄介払いでもするようにシッシッと手で私を追い出した。はよ行け…随分雑にあしらわれて店を後にした。


「あはは、いやぁ、この前パチンコで遊んだら三万スッちまって、あいつに借りたんだった」

苦笑いをしながら、いけねぇと財布を探ったのが植木屋の伊崎均である。インドア派でジメジメっとした性格の柚木とは正反対で、明朗快活な陽気な人物なのだが、なぜか柚木とウマが合うらしく、よくパチンコやら競馬やらに柚木を連れ出していた。連れ出された柚木も文句を言わないのだから、おあいこである。

その上、柚木は賭け事にめっぽう強く、伊崎はめっぽう弱いときているので、よくバランスがとれている。

この植木屋、伊崎屋と店は遠くもなく、近くもない。

店から駅とは反対方向に自転車を走らせて二十分くらいした所、坂の下の住宅街の中にポカンと大きな温室がある。これが伊崎屋である。柚木に市場の仕入れついでに車で連れて来てもらったことはあったが、店から一人で来たのは初めてだった。

大きな温室の中にポットに植えられた草花が並んでいる。温室の外には様々な木々が煩雑に重ねられていた。

「ふぅん、おっきなクチナシねぇ」

柚木のメモを見るなり、伊崎はそう呟いた。おもむろに台帳を取り出すと、うーん、ナイネと唸る。

「ちょっと、失礼」

ピポパと間の抜けたダイヤル音をさせながら、何処かに電話し始める。「あー…おっちゃん、俺だよ、伊崎です。あのさぁ、クチナシってないかなぁ……うんうん、庭木に使うようなおっきなやつ」そんな風に話し込み始めた伊崎が、ふと私の方を振り向いた。

「あるってよ」

そう言いながら、付箋に仕入れの日程や値段を書き入れていく。私はそれを持ってきたメモ帳に写し取った。そんな私を真面目だねぇ、とからりと笑うと伊崎はぽろりとこんなことを聞いてきた。

「柚木、元気?」

最近、忙しいみたいで誘っても遊んでくれなくてねぇとぼやいた。確かに、ここひと月くらいは伊崎が店に来たことがない。

「相変わらずです」

そうそう、それは良かった良かった、この軽快さが伊崎の特徴である。

「まぁ、入荷したら届けるから。柚木によろしく言っといて」

からりとした顔で伊崎は笑った。


「ごめんください」

今日もジャージ姿、頑固一徹、一文字に口を結んでその男性はやって来た。柚木はクチナシの葉を撫でるのをやめ、入り口を見た。

「お待ちしてました」

柚木が言うなり、男性の口元がほころぶ。

「いい香りですなぁ」

そうでしょう、と柚木も微笑んだ。男性はその場で深呼吸をした。ウチのも咲きましてね、毎年この香りをそれはそれは楽しみにしているんですよ。男性は植木鉢を覗いた。

「これは、これは…立派なのを、どうも」

男性は花に顔を近付け、その香りを嗅ぐ。

「どうしますか、地植えにしますか。それとも、植木鉢のままにしますか」

柚木が聞くと、男性は地植えにします、と言った。私どもでお受けすることも出来ますが、どうしますか?そう、柚木が聞くと、男性は難しいものなんでしょうか、と返した。

「さして、難しいことはありません」

そう言って柚木はメモを渡した。これまた几帳面な字で、クチナシの植え付け方が書いてある。

「害虫と日当たり、乾燥に気を付ければ…半日陰に植え付けて……」

柚木には丁寧に説明をしている。男性はふんふん、と真面目に聞いている。

「メモは差し上げますから」

柚木が柔らかく言うと、男性は恭しくメモを受け取る。何もかもすみませんね、始めの頑固一徹さは何処へやら、にこにこしている。

大丈夫、目と鼻の先ですからと言って男性は植木鉢を担いで店を後にした。

「幸せそうで何よりだな」

レジにお札をしまいながら、柚木が言った。

私には、どうもその日の柚木が上機嫌に見えたので、一つ聞いてみた。

「クチナシが好きなんですか?」

レジを閉めながら、柚木はおどけてソンな訳ないだろと返す。

「じゃぁ、何でそんなに機嫌がいいんです?」

柚木は驚いた顔をした。わかるか?そう言われたので、私が頷くと、柚木は苦笑いした。

「いやぁ、さ。株が大当たりしたんだよ」

聞かなきゃよかったと思うような返答だった。ことごとく勝負事に強い男である。

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