10.Taraxacum


その日は、めずらしい光景があった。

「ねぇ、おじさん、おじさん」

そんな明るい声がした。女の子の声だ。

柚木はいつも通り、カウンターに気怠そうに座りながら文庫本を片手に持っていた。カウンター越しに話しかける女の子をめんどくさそうな顔で見ている。

「おじさんなのは否定しねぇけどよ、おい、マコ、営業妨害だ」

おじさんなのは否定しないんだ、と私は驚いた。子供はいかにも苦手そうだが、おじさんと言われたら怒ると思っていた。実際、おじさんというほどの年ではないと思うのだが。

カウンターには、黄色いたんぽぽが均等な間隔で置かれている。カウンターの向こうから、黄色い帽子と、赤いランドセルを背負った女の子が仏頂面の柚木に必死に話しかけている。

「いいか、マコ。たんぽぽだって種をつけるために花を咲かすんだ。……それをお前は見境なくぶちぶちと。アァ、可哀想ダナァ」

女の子…マコちゃんは、その大人気ない言葉にしゅんとした。

私は面白くてみていたかったのだが、時間が時間だったので、柚木の後ろからお疲れさまです、と声をかけた。

「あぁ、新しいお姉ちゃん!」

マコちゃんが笑顔になる。

「マコは、ひらさわまこっていいます、よろしくね!」

きらきらした笑顔の前で、柚木がつまらなそうに頬杖をつきながら、こいつはお姉ちゃんで俺はおじさんなのかよ、と愚痴った。

「だって、柚木のおじさんはマコのママよりおじさんじゃない」

は、と私は小首を傾げる。

「お姉ちゃんも、思うでしょう?三十六さいはおじさんよねぇ?」

柚木がアッ、という顔をした。

え、柚木は三十六なのか?私は自分より少し上…三十前くらいだと思っていた。思わず柚木を見ると、肩をすくめられた。

「いつもいつも童顔だっていわれるんだ」

ぶっきらぼうに柚木はそう返したので、本当らしい。

「じゃぁ、一回りちがうんですね…あ、辰年だ」

タツドシ…?マコちゃんが言った。柚木はマコちゃんに、生まれた年毎に動物が決められてるんだよ、とかなり大雑把な説明をした。それから、マコはサルだな、と教えていた。

「マコはサルドシなのね!」

嬉しそうにマコちゃんが返すと、そーだそーだと柚木は雑な返事を返していた。柚木は私に、表の水やりと水替え頼むわ、と小声で言う。その隣ではマコちゃんが学校であったことを柚木に話していた。

「だからさぁ、マコ。自分のことマコって言うなよ。私だ、ワタシ。ガキくさいぞ」

私がホースを外に引きながら、外の植木鉢に水やりをしていると、そんな柚木の声が聞こえた。


「お姉ちゃんはなんて名前?」

外から帰ってきた私に、マコちゃんがそうきらきらした目で聞いてきた。奥の柚木は心なしか、ぐったりしているように思える。予想に反することなく、柚木は子供が苦手らしい。

「すみれ、お花のすみれですよ」

マコちゃんの瞳がさらにきらきらするのが分かった。

「いいなぁ、お花の名前いいなぁ!マコ…アッ、私もね、お花が好きだからお花の名前が良かったのに…」

柚木の言いつけを守っているらしい。

「マコちゃんも可愛い名前ですよ」

私が水替えをしながらそう言うと、マコちゃんはやったー!と喜んだ。ころころと変わる表情が可愛かった。

柚木はお前に任せた、と言わんばかりに文庫本に没頭しようとしていた。しかし、マコちゃんがそんな柚木を見過ごす訳がない。サボるなー!と言われると、柚木は何とも言えない引きつった顔をした。

あーと頭をかかえると、柚木はカウンターのたんぽぽを集め始める。両手にたんぽぽを持ちながら、柚木は言った。「やっぱり、取りすぎだよ、お前」その姿は、黄色いボンボンを持っているみたいで結構滑稽だった。

「ひぃ、ふ、みぃ、よ………二十八!種が二百個だとすると、五千六百個の種が犠牲になってんだぞ…」とぼそぼそ呟く柚木に、マコちゃんはお掃除のおじさんがちょっとくれたんだもん、と膨れっつらで返した。

うるさいなぁ、と言われながら、柚木はたんぽぽの花を交差させたりしていく。私はすぐにわかった。花の冠を作っているのだ。器用に茎を編んでいき、あっという間に半周完成させる。マコちゃんも気が付いたようで、わぁ、わぁ、わぁ、とはしゃぎ始めた。柚木はそれを無視して、もくもくとたんぽぽの茎編んでいく。鼻歌ではチューリップが咲いていた。

「ほらよ」

すぐに完成した冠を、少し雑にマコちゃんの頭に乗せた。お姫様みたいにしてよぉ、と膨れるマコちゃんに、柚木は俺がやるわけないだろ、と苦笑いした。確かに、王様みたいに恭しく冠を被せるなんて、柚木に関してはありえない。

隙間なく、密に編まれた優しい黄色の冠がまぁるく小さな頭を囲んでいた。背が低いから、上からみると、天使の輪っかのようにもみえる。

「天使の輪っかみてぇだなァ」

柚木も同じことを思ったらしく、けらけらと笑った。テンシノワッカ?と何のことだかわからないマコちゃんは口をへの字にした。

硝子戸から、夕日が漏れて来る。

遠くで学校の五時を知らせる鐘が鳴った。

柚木もその鐘の音を聞いていたようで、硝子戸の向こうに視線をやっていた。

「ホラホラ、五時になったぞ」

これはチャンスと言わんばかりに、柚木はしっしっと口にする。ママが心配すんだろ、と柚木が言うと、ハァイ、と聞き分けよくマコちゃんはランドセルを背負いなおし、花の冠を被り直した。

「またね、おじさん!すみれちゃん!」

にこにこしながら、夕日の中へ帰っていくマコちゃんを私は手を振って送った。角にマコちゃんが見えなくなるまで見送って、はたと後ろを振り返ると、ぐったりとカウンターに突っ伏す柚木がいた。

「アーァ…疲れた…」

そう言いながら、ごそごそとポケットを漁る。

「何だって子供の相手ってのは、こう、エネルギーを使うんだか…タバコも吸えないし」

ポケットからぐしゃぐしゃになった、ラクダのパッケージが出てきた。おもむろに箱をとんとん、と叩いて出てきたタバコを柚木は咥える。

「……行ってくるワ」

そそくさと柚木は裏口に消えて行った。

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