8.Mentha L.

店は、十字路の角にある。

真っ白な二階建ての一軒家だ。

周りは住宅街で、歩いて十分位に駅があり、駅と反対方向に数分歩くと大きな市立病院がある。周辺には駅ビル、コンビニ、スーパー、喫茶店、図書館、小学校などがあり、住み心地はいい方だと思う。

駅に近いため、電車の走る音が聞こえる。遠くから踏切の音も聞こえた。

私は一階にしか入ったことがないが、意外と広い。騒音や日当たりなどの立地条件があり、たまたま格安だったらしい。穴場物件というやつだろうか。

比較的広い方の路地に面しているのが店の入り口、静かな住宅街に続く狭い路地に裏口が面している。裏口の手前には、少し小洒落た透かしの白いフェンスと真っ赤な小さいポストがある。

フェンスから敷地内に入ると、ずらりと植木鉢が並んでいる。店で売れ残ったりした植木鉢を柚木がたまにここに置いているのを知っている。

何かを植え付けている植木鉢も数個あった。

その中でも、一際豪勢に大きくなっているミントの植木鉢がある。植わっている植木鉢本体の大きさをとうに越え、少し窮屈そうに見えるくらいだった。気温が暖かくなったからか、葉は青々と繁り、勢いよく嵩を増していた。

その植木鉢が今日はなかった。

アレ、と思った。

あれだけ抜群の存在感があったミントがぽかりとなくなっている。三日前に来た時はあいからわず豪勢に繁っていたので、おかしいなと思いながら裏口を開けた。

店舗の裏には簡易キッチン付きのダイニングがある。ソファやダイニングテーブル、冷蔵庫まであり、造りは広いのだが、殆ど書類や本が山積みになって埋め尽くされている。

店舗とダイニングは一段の段差があり、段差の所で靴を脱ぐ。敷かれているのはコンクリートだが、所謂土間だ。土間も大人二人が通れるくらいの幅があり、注文の花を保管する保存室や掃除用具、備品が置かれている。柚木はここをバックスペースと呼んでいた。

店舗、バックスペース、ダイニングとゆとりのある作りである。

恐らく二階が柚木の居住スペースだ。

広さからして、どうみてもファミリー用なのだが、その広々としたスペースを柚木は悠々と使っているのだった。

「柚木さん、ミント、は…」

柚木が店の床に、簡易チェアを置いて何かしている。真っ白な植木鉢が見えた。あのミントの鉢だった。

「そこの、小さい植木鉢三つ取って」

私がエプロンをつけながら植木鉢を渡すと、柚木はドーモと言った。足元には剪定したのだろう、ミントの脇芽が山のように積んである。

「これ、適当に水に挿しといて」

ちょうど、柚木が足元を指した。

「チッ、増え過ぎちまったナァ…ほっぽり過ぎた」

愚痴りながら柚木は大きな鉢をひっくり返す。新聞紙の上に土が広がった。

柚木の手の中でミントの株が揺れるたびに、清々しい香りが店内に広がる。

柚木はもくもくと作業を進めた。土を根から払い落とし、ざっくりとハサミで株を分ける。四分割した株を、鉢にそれぞれ植え付けてさっと土を入れていた。

「ホース、ホース取って」

柚木がこちらに手招きする。私はその手にホースの先を渡して、蛇口の栓をひねった。柚木は新聞紙を丸め、鉢の土をならすとたっぷり水を与えた。鉢から出た水が排水溝に流れていく。

「おし」

柚木は軍手を外しながら言った。器用に四つの鉢を抱えている。

「終わりました?」

柚木は頷いた。

「ミントは結構たくましい植物なんだよ。無限に増えるし、肥料をあげすぎると香りがなくなるし…基本はほっといても育つ」

それに、と柚木は私が小さなキャンドルホルダーにいれたミントを指した。水に入れれば根っこが出るしな。…なるほど、ずいぶんとたくましい植物のようである。

「アイスコーヒーに、ミントとオレンジをいれると美味しいですよ」

私がぼやくと、柚木はうんざりした顔をした。「口を開けばコーヒーコーヒー言いやがって」肩を竦める。「そんなにコーヒーが好きなら冷え性にでもナッチまえばいいんだ」

裏口に鉢を置きながら、柚木はタバコに火をつける。

「…お前、ミントの苗欲しいか?」

いつもと同じ、独特なキャラメルのような香りがした。柚木のタバコの香りだ。

私は柚木の提案を聞いて、再びアイスコーヒーにミントとオレンジを淹れて飲むことを考えた。柚木にまた嫌そうな顔をされそうだったので、口には出さなかった。

「……お前、アイスコーヒーのこと考えただろ」

したり顔で柚木に言われ、私は苦笑いした。

柚木はからからと笑う。

「まぁ、ちっこいのが根付いたら一個やるよ」

私は素直に嬉しかったので、おそらく満面の笑みを浮かべていたに違いない。柚木はオイオイ、そんなに嬉しいのかよと笑った。

「一個は伊崎、もう一個は青木さんちだな」

ふーっと、煙が線を描く。

私はあ、と声を出した。

ずっと不思議だったのだ。柚木がやっている花屋なのに、青木青花店という名前なのが。柚木も私の考えに気が付いたようだった。

「ここはもともと、青木さん夫婦がやってたんだよ」

青花店っていうのは、奥さんが看板屋に字を間違えてお願いしちゃったんだってさ、柚木は言った。青が嫌いな柚木にとっては皮肉なことである。

「名前、変えなかったんですね」

柚木は口をへの字にした。

「面倒だったから」

灰皿に置かれたタバコから、すぅ、と煙が立ち昇っていた。柚木はそれをじっと見つめていた。

「たまたまだったんだよ、たまたま。あそこのさ、病院のお見舞いに花でも買ってこうかなって思って寄ったんだよ」

きっと、この花屋の看板を見る度、青い花が目に入る度に苦い顔をしていたに違いない。神経質そうに店内を見回す柚木が想像出来た。

「で、買って出たら、後ろでおじさんが倒れてんの。青木の旦那さんね。」

柚木は、タバコをトントンと叩いて灰を落とした。ポロリと灰が落ちる。

「救急車を呼んでさ、同伴したワケ。そしたら奥さんに会って…旦那さんは心筋梗塞だったんだけども……」

灰を落としたタバコを柚木は吸い始める。ジリジリとタバコの先が赤く燃えた。口の隙間から煙を吐き出す。

「旦那さん、一命は取り留めたんだけど、奥さんが店は閉めないと…って言っててサ。」

つい話に割り込んじゃってサァ…柚木はその時のことを思い出しているのか、ぼんやりと空を見ている。

ふと、この店を夫婦が切り盛りしているのを想像した。

「丁度、仕事と住むところ探してたから。夫婦で息子のところに帰るって言ってたから、コレも何かの縁です、ジャァ俺に譲ってくださいよってね。」

偶然会った人に、恩人といえどもそんな提案をされた奥さんはどう思っただろう。

子どもも独り立ちして、花屋を継がなかったし、あの店を閉めちゃうのも勿体無い気がして…柚木は言った。確かに、柚木はラッキーだったと思う。

「金には困って無かったし、あの家ごと安く貸してもらって、暫く旦那さんの代わりに店に入って仕事を教えて貰った…で、今に至るワケ」

柚木はタバコを揉み消した。

一服の後、目を閉じながら、ふぅーと大きく溜息をつくのは柚木の癖だ。

ファミリータイプの一戸建てに柚木が住んでいる訳が分かった。

「俺にとって青木さんトコは仕事と住むところをくれた恩人ってワケ。だからこうして、たまに花とか草とか送ってる」

もっと他に言い方があるだろうに、身も蓋もない表現に私は笑った。柚木はナニ笑ってんだよとムッとしたようだが、私は妙に面白くて笑うのをやめられなかった。

柚木はいつも変わらず、店に立ち、まるで時間が止まったように同じルーティーンを繰り返しているように感じていた。

柚木の意外な一面や、過去を垣間見れて、少し意外で新鮮だった。まず、柚木が見舞いの花を買ったり、救急車を呼んだ上で同伴するなんてちょっと考えられなかった。今の柚木なら、手ぶらで見舞いに行きそうだし、もし持っていくならパチンコの景品とかを持って行きそうだ。常識はあるので、救急車は呼ぶだろうが、同伴はきっとしないに違いない。

柚木には、他人と一線を引くようなところがあった。親しくしているのに、ふと一歩後ろに下がっている時がある。

「下積み時代があったとは、驚きです」

私がそう笑いながら言うと、当たり前だろ、と柚木はこつんと私の頭をげんこつで叩いた。

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