7.Anemone coronaria


「とんでもない嵐だったな」

柚木がウンザリした顔で言った。店先の植木鉢が全て店内にしまわれている。しまったついでなのか、柚木は植木の手入れをしていた。

「ウチの前の道なんて、ほんと、川みたいで。参っちゃうネ、ホント。」

この季節には珍しく、台風が上陸した。テレビでは温暖化の影響だ、何だと騒いでいる。朝から夕方まで大荒れの天気だった。それでも、夕暮れ時には嘘みたいに晴れた。強風だけが置いていかれたように吹き荒れている。

「学生は大変だな、そんな日も登校しなきゃいけないもんナァ」

アァ、カワイソと私を見ながら柚木が言った。

「昨日は大学行ってませんよ。…取るべき授業も無かったですし」

ケロリと私が言えば、柚木の手が止まる。

何それ、と訝しんでいる。

「必修単位、殆ど残ってないので。」

柚木は作業の手を止めて、フゥン、と言いながら少し思案した。二十四だろ、高校で…年齢から逆算している。

「高校からしばらくあっちの大学に行ってたんですけど、諸事情で留学生として今の大学に、二年生から編入です」

アァ、なるほど。単位をそのまま移行したワケね。柚木は合点がいったようだった。まぁ、今の学校制度なんてよくわからんけど、今はそんなことが出来るのか、と感心したように言ってから作業に戻る。

本当に柚木が私の名前だけで不採用にしようとしていたのだな、と私は確信した。学歴は履歴書に書いてあったはずだ。本当に嫌なやつだ。

「神崎はキコクシジョかぁ」

ヘェ、と柚木は言いながら、脇芽をぶちりと採った。

「俺も、大学時代は遊んだなぁ…」

遊んでいる柚木…想像出来なかった。こんなインドア派な人が、遊ぶ?今みたいにパチンコや競馬でもしていたんだろうか。それは無いような気がするが、やってそうな気もした。柚木の学生時代は、少し想像出来ない。

「この花も、終わりかなぁ」

柚木は床に散らばった花びらを集めていた。目の冴えるような真っ赤な花びらだったので、私はあの悪夢をふと思い出し、少し顔をしかめる。

「この花は、美少年の血から生まれたんだってさ」

柚木が花びらを捨てながら言った。キリストの傷から流れた血だまりから生えた、とも言われているけどな。柚木はそういった。花が散ってしまった茎を根元から切る。

血から生まれたという花の茎から血は出なかった。

風に乗って、私の足元にも一枚花びらが飛んできた。その真っ赤な花びらは、柚木の言うとおり、ぽたりと血の雫が落ちたようだ。

指先で花びらを拾う。驚くほど薄くて繊細な花びらだった。

柚木が手入れした鉢は、すっきりと整えられていた。真っ赤な大輪の花が咲いている。花びらがぎっしりと、こぼれそうなほどに詰まっている。

柚木の指先がその花びらを撫でると、滴るように鮮やかな赤がふるりと揺れた。


「これ、捨てていいか?」

柚木が裏手から声をかける。手にはゴミ出し用のゴミ袋を持っていた。空いている手には、コーヒーショップのプラスチックカップ。私が昼に買ってきたものだった。私は、掃き掃除の手を止めて頷く。

「はい、ありがとうございます」

柚木がゴミ袋にカップを放り込みながら言った。

「お前さ、こんなにコーヒーばっか飲んで腹痛くなんねぇの?」

朝にコーヒー、昼にコーヒー牛乳、夜にキャラメルラテ、家に帰ってカフェラテ…大体そんな感じである。コーヒー以外の飲み物はあまり口にしない。

「…いや、痛くなりませんよ」

えーっ、と柚木は驚く。

「俺なんて、一日に二杯以上飲むと、もう腹痛くて。ダメダメ」

牛乳を飲むと、お腹が痛くなるみたいなものだろうか。私は家にコーヒーミル、サイフォン、ドリッパー…挙句は水出しコーヒー用の器具まで揃えている。自他ともに認めるコーヒー好きの私は残念だなぁ、と思ってしまった。

「トルココーヒーって、知ってます?」

ハァ?と柚木は聞き返した。

「フレンチローストの極細に挽いた豆を、直接水から沸かして淹れるコーヒーです」

トルココーヒーは、私の今一番興味のあるコーヒーだ。やってみたいと思いつつ、なかなか時間が取れなくて期待ばかりが膨らんでいた。器具はしっかりと揃えてあるのに。

「飲んだ後、カップに残った模様で占いをするんですよ」

ナンジャソリャ。柚木が肩を竦めた。

「昔は飲んでたけど、今は腹痛くなるからダメだなぁ…徹夜の時はたまに飲むけど」

柚木はいつもお茶や麦茶、紅茶、ある時はオレンジジュースを飲んでいることもある。

「あと、炭酸もダメだなぁ…あの、喉がチクチクするのが…」

確かに、炭酸飲料を飲んでいる所を見たことがない。炭酸を飲んだ時を思い出したのか、柚木は喉の辺りをさすりながら苦い顔を浮かべた。ウーン、と口をへの字に曲げる。

柚木は苦い顔のまま、言った。

「お前、コーヒー淹れられんの?」

私はこくりと頷く。

毎朝コーヒーを淹れるために早起きをしているくらいである。柚木はフーンと言ったあと、思い付いたように言った。

「じゃぁ、淹れてみろよ。簡易キッチンならあるし、使っていいぞ」

柚木が驚いたのは、その言葉を聞くなり、私の顔が明るくなったからに違いない。それくらい、嬉しかった。

ただの気まぐれの思い付きにしろ、そう言ってくれた柚木に感謝した。仕事先で温かいコーヒーが飲めるとは…実は、コンビニの市販のコーヒーに飽き飽きしていた所だった。

よし、そうとなればトルココーヒーを淹れよう、そう私は決めた。

「不味かったら、怒るからな」

いつもいつも、一言余計な男である。

柚木の活字中毒は私も共有できるのに、私のカフェイン中毒は共有できないなんて、残念でならなかった。

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