4.Spiraea thunbergii

「おい、コンビニ行くぞ、コンビニ」

柚木にはブレイクタイム、がある。

要は煙草と昼食の時間である。

この花屋はなんと、お昼になると一旦店を閉める。閉めると言っても、硝子戸に鍵をかけ、扉にかかっている札をひっくり返してオープンからクローズドにするだけだ。

前は柚木一人だったというから、お昼休みがあるのは分かる。しかし、二人いるのだったら、交代で取ればいいと思い、いってらしゃいと言って店番をしようとした私に柚木はこう言った。

「え、お前昼飯くわねぇのか?身体に悪いぞ」

呆気に取られた。

「まぁ、昼なんて客あんまこないからサ」

本当だろうか、と首を傾げる私を他所に柚木は硝子戸の鍵を投げたのだった。


私がよくバイト帰りに寄るコーヒーショップと店の間くらいにコンビニがある。そこからのんびりと歩いていき、帰りに必ず公園に寄って柚木は一服する。

柚木は焼きそば、私は焼きうどんを買った。気が合うなぁ、と柚木はくわえタバコをしながら笑う。

弁当と一緒に買ったコーヒー牛乳を歩きながら飲んでいると、公園が見えてくる。ここに寄ると遠回りだし、そんなに大きな公園ではないのだが、こぢんまりした公園で、ひっそりと静かで落ち着く。私もシフトが朝の時は出勤の途中でここを通ることにしている。

「そういえば、柚木さん」

柚木が公園の入り口にある、青い自転車止めを跨ぎながら振り向いた。振り向きざまに、タバコから灰がはらりと落ちる。

私は、今朝見つけた公園の花を思い出した。

白くて美しかったから、よく覚えている。

「あの花の名前って、何ですか?」

柚木は目に止めた瞬間、言った。

「雪柳だな」

よくこんな一瞬でわかるものだ。

私は、その名前を聞いて、合点した。

その花は、長い房状に小さな花が集まっていた。その花が地面へ俯いて咲いている。枝垂れた花房から、白い花がこぼれていた。

雪柳とは良く言ったものだ。

きっと、枝垂れ柳に雪が積もったらこうなるのだろう。

気持ちよさそうに、柚木が煙を空に吐く。

すう、と立ち昇っていた煙がそよ風に揺らいだ。

「雪柳が、おいでおいでしてるぞ」

雪柳はかすかなそよ風でもよく動いた。長い枝がゆったりと弛んでいる様は、確かに人間の腕が滑らかに、生々しく動くのに似ている。

オイデオイデ…言われてみれば、そうも見えた。

細くて白い、女の腕が手招きしている。

風に流されて、私の足元をこぼれた花が走っていった。

私は春の暖かさの中に少し薄ら寒いものを感じて目をそらす。

柚木は吸い殻入れにタバコを押し付けていた。鈍い色の、エキゾチックな柄が彫られたものだ。

「サテ。」

こほん、と一つ咳をして、ふぅと満足そうに柚木はため息をついた。ラクダの箱をポケットに無造作に入れる。ライターを逆のポケットに突っ込み、寄りかかっていた柵から腰をあげた。よっこいせ。

「行くぞ」

私は、綺麗に飲みきったコーヒー牛乳のパックを公園のゴミ箱に捨てて、柚木の後について行く。

広くて平らなアスファルトの上を、柚木の履いている健康サンダルがぺたぺたとはたくのを、私は見ていた。

あの夜の日の柚木を思い出した。あれは確かに柚木だったが、いつも通りのよれよれのシャツにジーパン、健康サンダルの柚木をみていると、思い違いであるような気もした。

ただ、柚木の滑舌は良いのだが、所々に舌ったらずと巻き舌を混ぜたような、独特の気怠さのある印象的な口調は一度耳につくと忘れられない。


よっこいしょーと柚木はドアをあけた。

そのまま、間続きになっているダイニングにコンビニ袋を置く。

「いるか?」

柚木がポットの麦茶をひょいと掲げた。

甘ったるくなってしまった舌は麦茶の香ばしさを欲していた。

私が頷くと、柚木はコップを二つ持って来て席に座った。コップに大雑把に麦茶を注いで一つ、こちらに置いた。

「ありがとうございます」

私は手前の席についた。

私達の両脇は、山積みの本が囲んでいる。

「ハイ、いただきます」

柚木が手を合わせた。私もつられて同じようにする。

二人しかいないので、つい柚木を観察してしまう癖が出来た。そもそも、柚木が私の周りにいなかった人種だからなのだが、柚木は観察すると結構面白い。

面白いことの一つが食事だ。

柚木は食事中は一切喋らない。背筋をピンとのばして、驚くほど綺麗な所作で食事をとる。思わず目が行ってしまう程、無駄のない所作を淡々と繰り返す。

私自身、余り食事中にペラペラと喋られるのが好きではないので、この食事中の静寂がとても好きだった。

今日も、同じように柚木の所作を見ていたが、ふと本の山に目が止まった。

「薄紅梅…」

つい零してしまった言葉に、柚木の手が止まった。しまった、と思ったが柚木は音も立てずに箸を置くと、私の視線の先を追ったようだった。

「知ってんのか?」

初めて柚木が食事中に言葉を発した。

ちょっと小馬鹿にするような言葉に、私はムッとした。

「……雪柳、という話があるのを思い出したんです」

柚木は麦茶を一口、飲んだ。

「アァ、あの一本松の何とやらだな」

見直した、という顔だった。

柚木は本の山に手を伸ばし、ダルマ落としの要領で器用にその文庫本を山から引き抜いた。綺麗な紅梅の木が描かれている。懐かしかった。

「……これ、全部読んだんですか?」

柚木がマァ、そうだな。買った本は読むだろ、と言った。そう言われるのは分かっていたが、一階の壁を埋め尽くす本の量は異常だった。観れば、殆ど文学作品である。本屋でもやるのかと思うような量だった。

「読みたいのあったら、貸してやるよ」

柚木はそう言うと、そそくさと食事に戻り、また一言も話さなくなった。私も急いで食事を終わらせ、本の山をしげしげと見始める。近代文学もあれば、枕草子、源氏物語まである。柚木が源氏物語をどんなことを思って読むのかと考えたが、想像も出来なかった。

柚木はコップを下げながら、ぼそりと言った。

「活字中毒なんだよ」

本を読んでないとイライラするんだ。タバコと同んなじだ、と柚木はおどける。

私は結局、柚木が抜き取った薄紅梅を借りることにした。柚木は目を細めてフゥン、と言った後、ドーゾご自由にと言って店に戻っていった。

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