2.Hyacinthus orientalis
暫く働いて分かったことがある。
花は毎週水曜日と木曜日、早朝に買い付けに行く。特別な発注が無ければ、買い付けに出向くのはその日だけ。定休日は月曜日と木曜日で、振り替え休日の場合は開店。毎回、規模と場所柄のわりには多量に買い付けをする。
個人向けの発注が多く、買い付けた花はほぼ売り切る。大体はアレンジを作って発注先に送るだけだが、たまにアレンジをしに来てくれという相談もあった。
柚木はそんな相談にも、二つ返事で引き受ける。
そして、駅から一つ入った路地にある花屋なのに、以外と入店する人は多い。駅を挟んで、店側に病院や住宅街があるからかもしれない。
ただ、柚木は接客をほとんどしない。客にどうのと近付かない。季節の花がどうの、お手にとってみて下さいとかそういう言葉もかけない。黙々と店の奥やカウンターで注文のアレンジメントを作ったり、バケツの水換えや花の手入れをしている。一言も話さない日もあった。ともかく、柚木がいらっしゃいませと言っているのを聞いたことがなかった。
一緒にいればいるほど、柚木がなぜ花屋をやっているのか、さっぱり分からなかった。
「よし、ヒヤシンスを買おう」
午前五時、買い付けの車内で急に柚木はそう言った。まさに今思い付いた、そういう口ぶりだった。
えっ、と私は柚木を見た。ヒヤシンスは、青じゃないか…どういうことだか分からず、助手席で首を傾げてしまった。柚木がタバコを吸い終える。あの、ラクダの絵が描いてあるやつだ。吸殻を灰皿に捨て、カーラジオをオンにする。
女性の声だった。「道路交通情報のあとは、今日の天気です。…三月半ばになりましたが、まだまだ寒さが続きそうです。関東甲信越のお天気です…よく晴れますが、最高気温は十度と日中もコートが欠かせません……乾燥しますので火の元には注意をしてください……」今年は稀に見る寒波により、都心でも大雪に見舞われた。もう3月半ばだというのに、ダウンコートがしまえない。
「火の元だってさ」
柚木は、いつの間にかまたタバコを吸っている。ライターと箱をコートのポケットに突っ込んでいるところだった。まるで生きているように、煙が窓の隙間から逃げていく。
他愛ない会話をしながら、ぐん、と湾岸線のカーブを曲がると市場はもうすぐだった。随分ゆっくりと太陽が登ってくるのを私はみていた。
「さ、着いた買った降りた降りた」
綺麗にカングーをバック入庫すると、エンジンを止めると柚木は私に鍵を預けて、そそくさと降りた。店の前には仕入れた花の入った花やバケツが置かれている。
私が車に鍵をかけて、店の前に来る頃には、柚木は顔が見えなくなるくらいに箱を抱えていた。
「おい」
私ははいはい、と言いながら車のキーについている鍵を使って、店を開けた。
「サンキュー」
柚木はよっこらせ、と言いながら店内に入っていく。何歳だか知らないが、柚木は妙に親父くさい所があった。見た感じでは、30そこらだと思うのだが。私は残りの箱をふたつと、バケツをひとつ持って店内に入った。
柚木はもう箱を開けている。
「おぉ、いい色だな」
柚木が手に取ったのは、真っ赤な花だった。ぶどうの房を逆さにしたような花だった。
「ヒヤシンスのテーブルブーケを作るぞ」
私を横目に見ながら、柚木はそう言った。え、と私は思った。ということは、柚木が持っている真っ赤な花はヒヤシンスなのだろうか?
その視線に気付いたのか、柚木は肩をすくめた。
「俺が青い花を買うわけがないだろうが」
そういって取り出したのは、赤や白、ピンクやオレンジ、黄色、紫のヒヤシンスだった。それを組み合わせて幾つかパステルカラーのブーケを作ると、残りはグリーンや優しい色のカーネーションなどと組み合わせた。出来たブーケを小さな花瓶に活けると、それを少し引いて見つめた。
柚木がいつもやる、最後の確認だった。
私は柚木がブーケを作っている間に、残りの箱を開けて、水を入れたバケツに入れていた。まだ色のさみしい花々を見ていると、春はまだだなぁ、と思ってしまう。
柚木はヒヤシンスのブーケはそのままにして、私の用意したバケツ入りの花や枝ものの枝先を整えたり、水の量を調整したりした。私は床に捨てられた切れ端を葉をほうきで集める。
一通り終わると、2人でバケツをショーケースに並べる。ここでも柚木はよっこらせと言うので、いつも私はにやりとしていまう。
ショーケースを閉めると、ひと段落する。
柚木はヒヤシンスのブーケをカウンターの両脇に置いた。ヒヤシンスは白いカウンターによく映えた。
「お前はどれがいい?」
柚木が振り返りながら、私に聞いた。私はちょうど、ちりとりとほうきを片付けようとしていた。
私は一つ一つブーケを眺めた。パステルカラーのヒヤシンスだけでまとめられたブーケ。濃い紫色のカーネーションとグリーンを合わせたブーケ。グリーンとヒヤシンスだけのブーケ……私の目に止まったのは、白いローズと白いヒヤシンスのブーケだった。差し色のグリーンはミントだった。
「これですかね、白いブーケ」
私がその白いブーケを指差すと、柚木はくすりと笑った。
「……以外とオトメなんだな」
相変わらず、失礼な男だった。ウェディングブーケみたいで、チョットアレかと思ったけど、まぁ、イイかと柚木は言う。言われてみれば、確かにウェディングブーケと言われてみれば、確かにそうだった。
「さァ、仕事仕事」
そう言いながら、柚木は手にタバコの箱を持っている。
「一服ですか」
呆れたように言った私に、柚木はおどけたように肩をすくめた。そのまま、裏口に消えて行った。一服するのだろう、歩きながらライターを指先で叩いていた。
ヒヤシンスのブーケはこの日だけで殆ど売れた。柚木はあいあわらず接客をせず、花の手入れや、カウンターで本を読んだり、一服したりしていた。私は接客したり、会計したり、備品の補充をしたり、余りに暇だとパソコンをしたり、レポートや課題をしたりしていた。
私がアルバイトに入る前は、柚木は全部ひとりでやっていた訳だ。想像出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます