その2 初稿とその補足


      0


「おネイサン?」

 線路の高架下のトンネルを行くお姉さんを呼び止める。たいがいは呼び止まってくれない。手当たり次第というわけじゃない。

 可能性がありそうなお姉さんなら、

 それこそ手当たり次第。

 このお姉さんは呼び止まってくれた。

 第一関門突破。て、とこ。

「おネイサン?」僕はお姉さんに近寄って。

 見上げる。

 オレンジ色の外灯が。

 お姉さんを黒く縁取り。この暗さでもはっきりわかる。細身の体型。その手のロングドレス。つやつやと光る。

「お仕事の帰りですか?」

 お姉さんは僕を見下ろして。「塾の帰り?駄目だよ。こんなところ迷いこんじゃあ」

 意外と声が低くてビックリする。

 僕がガキだと思って油断したんだろう。

 駄目ですよ。営業用の声を作らなくちゃ。

「テストばっかでやんなっちゃいますよ」僕はわざと重そうな鞄を見せつける。

 中にたんまりと教科書とかノートとかが詰まってると思わせる必要があった。もっともっと油断してくれるように。

「君くらいの年の子は勉強が仕事だからね」お姉さんはケータイをちら見する。「ごめんね。行かないと」

「僕のほうこそすみません。あんまりにもおネイサンが綺麗だったので、つい」僕は嘘は言っていない。

「気を遣わなくていいよ」お姉さんは本気にしてない。

 これが僕の気紛れだったら物語はここまで。終幕。

 だけど、僕は別に。

気紛れや衝動でお姉さんに声をかけたわけじゃない。

 計算して計画して。

 ここで待ち伏せてた。

 ターゲットになりそうなお姉さんが通るのを。

 じっと。

 ずっと。

 塾なんかご免だ。初日で嫌になった。

 僕が、

 僕らがやりたいのはもっとずっと。

 刺激的で。

 非日常の。

 僕はお姉さんに気づかれないように合図を出す。

「早く帰ったほうがいいよ。お巡りさんにご厄介になる前に」

「そうですね」

 お巡りさん?

 そんなの僕らの敵じゃない。お巡りさんは、

 僕らを捕まえる権限を持たない。

 誰も僕らを裁くことはできない。

「さようなら」お姉さんが歩みを再開する。

 僕らも、

 狩りを。

 開始する。

「服は破んないように」

 ようやく秋らしくなってきた。昼と夜で倍くらい気温が違う。

 裸で置き去りにして風邪でも引いたら可哀相だ。

 これは僕なりの優しさ。

 みんなが変な顔をするのでお姉さんに近寄る。なんと、

 お姉さんには。

 穴が一つしかなかった。



      0リン5


「アスファルトと同化するアートですか?」

顔面にばらばらと音が降ってきた。

「お一人様で行ったわけ? 誘ってくれてもさあ」自治体挙げての国際芸術祭だ。「あ、スーザちゃんと?」

「失礼ですが公然猥褻ですか。集団暴行ですか」

「いんや、囮」手を伸ばす。「捜査だよ。見てのとーり」

 届かない。

 それはそうだ。こっちは仰向け。

 部下のムダ君は直立不動してるんだから。

「よくここわかったね? はーん、さてはミステリアスな上司のプライヴェイトを白日の下に」

「便利な世の中になりまして」ムダ君はケータイを見せる。

 GPSだ。

 四六時中監視システム。

「迎えに来てくれたことには変わりないよね」

「どうゆうわけか、本部長に叩き起こされまして」ムダ君はどうゆうわけか、を著しく過剰なまでに強調した。

「あれアレぇ? 叩き起こされるような関係なわけ?」

「それはあなたでしょうに」

 あなた。

 とは随分とまあ他人行儀な。

「俺とムダ君の仲でしょーに」

「ここで朝日を拝むつもりでしたらせめてトンネルの外に出てくれませんか」

「手ェ貸して」立てない。腰から下の感覚が麻痺してて。

 こんなのはとっくに慣れて飽きがきてマンネリも四巡くらいしてたはずだってのに。

なんだってお得意技の。

顔も名前も知らない。ついさっき初対面の奴らに、

寄ってたかってぶち込まれたくらいで。

「加害者は」

「逃げちった」

 ムダ君は深くため息をついて。「ケータイだけ預かります。事務所に投擲しとけば本部長も安心して使い勝手のいいお世話係か何かと間違えてる僕の睡眠妨害をふんたら」

「俺ごと連れてってよ」




 第1章 不治山富士



      1


 胡子栗を、B2直結のエレベータに放り込んで。

 2階。

 略して対策課の新事務所に戻る。

 なんだってこんな深夜に、公共の道路に転がっている変態シュミの上司を迎えに行かなければならないのか。

 2時22分。

 ディジタルの時計は気味が悪い。如実に数字を突き付ける。

 入口に見覚えのある後ろ姿が。

 長い髪。長いスカート。

 見なかったことにしたいがその横を素通りするツラの皮もなく。

「上はいままさに営業中ですが生憎とここは」本日の営業は終了しましたまたのご来店を。

 イブンシェルタ代表。

 我孫スイナ氏。一ミリの隙もなく。

「二代目は」スーザちゃんのことだ。「上に行ったら下向きの矢印が書かれていたので」代表が床を指さす。

「ここ何階建てかご存知ですか?」地上3階。地下2階。

「このフロアが一番まともそうでしたので」

 それは否定しないが。

喜んでもいいのか。あのラインナップ内で首位に君臨させてもらったところで。

「二代目は?」代表が食い下がる。

「いないんですか」

 代表が眉をひそめる。「出直したほうがいいでしょうか」

「用件にもよりますけど」

 埒が明かない。代表の顔に浮かび上がる。あぶり出し。

「朝には帰ってくると思いますけどね」事務所で朝を迎えてもらって構わない。そういう意味で言ったのだが。

「課長は」胡子栗のことだ。代表の肉親で憎しんでやまない前課長はこの夏で退職されたので。

「いまはやめたほうがいいと思いますけどね」

 使えない。代表の顔に浮き出る。こすり出し。

「よろしければどうぞ」事務所に迎え入れる。「基本、むさくるしいところですが」構成員が僕ともう一人だけなので。

「リフラさんと面識は」代表は、ソファを上下に三往復くらい検分してから腰掛けた。

「まあ、すれ違い程度なら」

地場李花。つい二ヶ月前までとある歯科クリニックの歯科衛生士をしていたが。クリニックが潰れた関係で当然職を変わったはず。

「元気ですか」僕は彼女に繋がれる。魅惑の11ケタを所持している。

「課長はお忙しいですか」代表はいまだ諦めていない。

「甚だしいまでに夜行性なんですけどね」

 代表が黙る。意味がわかったらしい。夜行性。

「地場さんがどうかされたんですか」

「被害に遭いました」

 なんの?と訊こうとして思考停止な質問だと思い当たった。

 対策課が対策しているのは、

 性犯罪。

 イブンシェルタは、

 性犯罪被害者支援施設。

「大丈夫なんですか」

「それはこちらの仕事です。そちらにしてもらいたいのは」被害者のケアじゃない。代表は僕を真っ直ぐ見据える。

「わかりました」強姦魔の捕獲。「詳しい話を伺いたいんですが」

「二代目も課長も不在なんですね?」

「ええ、残念ながら」二人とも夜行性だから。

「彼女が初めてではないんです」代表が言う。「私が知っている同一手口の被害者は5名います。少なくとも5名は」

 5名。

「5人も被害に遭うまで動かれなかったんですか」非難じゃない。

 5人も被害者が出ておきながら。

 何もできていない。何もできなかった。

 僕への。

「どうして報せてくれなかったんですか」非難じゃない。

「私は」代表が視線を落とす。「報せようと思いました。真っ先にこちらへ。しかし」僕を見ない。「報せるな、と。言われて」

「誰に」

「私は代表の座を辞しました。この夏の責任を取って」

「誰が」イブンシェルタの代表に。「誰ですか」

 前代表は何も言わない。言えない。言える立場にない。

 前代表はそもそも代理だった。

 ある日突然、創始者が行方不明になってしまったので。

「祝多さん?」口の端が引き攣った。

 彼女は死んだ。

 死んだのだ。スーザちゃんに殺されて。

 祝多出張サービスの店主の座を奪われた。

「すみません。失言でした。忘れてください」忘れなきゃなんないのは。

 僕のほうだ。いい加減、

 その悪夢を取り払いたい。

「スーザちゃんじゃないですよね?」新代表。

「そのほうがよかったのかもしれませんね」前代表が力なく笑う。表情に疲労の色が滲む。

 いま気づく。遅すぎた。

 前代表は、

 イブンシェルタ代表が纏っていたあの女神的オーラを。

 どこかで剥奪されていた。単なる、

 人類でしかない。僕らと同族の。

「二代目か課長は」前代表が言う。

「ちょっと待っててもらえますか」僕がすべきは、

 対策課の一員として根掘り葉掘り詳しい話を聞くことじゃない。

 対策課の新人として、立派に。

 パシられることだ。

 エレベータを呼びつける。到着音がして乗り込もうとしたら。

「なに?帰っちゃう?」胡子栗が。「おつかれー」

 幸か不幸か。幸だろう、これは。

 きちんと衣服を身につけている。上も下も。

 半端に長い髪を結わえて。

 縁なしのメガネもかけている。よかった。

 対策課の課長だ。

 祝多出張サービス営業部派遣店員じゃなくて。

「どしたの?そんなに会いたかった」

 僕は、課長の細腕を掴んで。

 イブンシェルタ前代表の元へ差し出した。「もう大丈夫です。これ以上被害は出させません。どうか、僕ら対策課に」

 ここの主力戦力は僕なんかじゃない。

 特技・潜入捜査。

 趣味・囮捜査。の、対策課元現課長。

 胡子栗茫。

「すみません。営業時間外なんで」帰れ、とばかりにドアを指す。胡子栗はやる気のない大あくびを見せつけて。「すんませんね。そちらのムダ君、まだ新人なんで、社会のルールとかよくわかってないらしくて。困ってる人がいたら当たらず構わずほいほいあげちゃうもんだから」

 なにを。

 言ってるのかわからなかった。

「ホントすいませんね。さよーなら。また明日にでも。あ、今日か。日付的には」

 僕は。胡子栗の。

 珍しくまともに締められたネクタイを。

 絞めあげたかった。

 前代表がどんな気持ちで。

「何言ってるんですか」お前やスーザちゃんを頼ってきたと。「あなたは何の事情も訊かずに」

「ここの課長は俺。ムダ君は誰の部下?トロツキ?まだ忘れらんないの?それとも」胡子栗が言う。「憶えらんない?容量オーヴァ」

 カッと上った血が。

 スッと下がったのは。

「失礼しました」前代表が逃げるように事務所を後にしたことと。

 何の関係もない。

 胡子栗がデスクに腰掛けて。椅子じゃない。

 デスクのほう。

 僕を見る。

「女装じゃなきゃダメ?」

「なんで帰したんですか」

「あの我孫スイナは傀儡でしかない。自分の意志で動いてない」胡子栗がネクタイを緩めて。「ねえ、着替えてこないとダメ?」

「誰になったんですか」新代表。「操られているから相手にする必要がないと。そうゆうことですか」

 でも、地場李花が。

 被害に遭ったことは確かだ。他5名。

「ムダっぽかったね」胡子栗がデスクから降りる。「ごめん。ムダ君も帰っていいよ。てゆうか帰って?やる気ないんなら」

 やる気はあるが。

 ヤる気はもっとない。

「服なかったんですか?」



     1ふじ


 どうして俺が深夜の裏通りに寝転んでいられるのかというと。

 迎えに来てくれる人がいるから。

 どこで寝ころんでいたって。

 必ず見つけて連れてってくれる。

「ホント、なんでわかるんだろね?」反転する顔を見つめる。

 裏返ってるのは、

 俺のほうなんだけど。反対側の俺から見れば、

 逆さまなのは、

 そっちのお節介なケーサツ官で。

「いい加減、やめてください。もっと自分を大事にすべきです」

 月がいやに大きい。

 落ちてきそうだ。

「聞いてますか?」

「月が綺麗だね」

「そんなこと言ってないでほら、手を貸しますから」

 彼は。

 俺がさっきまで何を掴んでたのか知ってて手を貸してくれる。

 何をしていたのか。知った上で、

 わざわざ拾いに来てくれる。

「君は俺が好きなんじゃない?」

「どうしてですか」手を引っ込めた。

 ダメダメ。

 動揺してるのがバレバレ。

「だって好きじゃなきゃこんなめんどーなことしないよ。心配なんじゃない?俺が道路で冷たくなってないか。君が拾いに来てくんなかったらたぶん、朝までこうしてるよ。君とは違う意味で仕事熱心なケーサツ官に連れられるまで。いんや、そっちのケーサツ官のほうがまともなのかな」

下心がない分。

 なっしーは止まってしまった。

 俺が図星を言い当てたから。

「ごめんごめん。起こして?」手を伸ばす。

 黙って引っ張ってくれる。

 下を向いたまま。下を向いてる、つまりは。

 俺を見てる。

 つもりなんかないんだろうけど、俺が下から見上げてるから。

 俺が見てる。

 のにも気づけない。

 よゆーないなあ。

「ね?なんでわかるのさ?おせーてよ。今日こそは」

「どうでもいいじゃないですか。あなたがどこに転がってようが見つける。それだけです」

 ホントに?

「本当に見つけてくれる?」俺がどこで転がってても。

 どこで冷たくなってても。

 必ず見つけ出して。連れてって。

「ですが、迎えに行くことを見越してこんなことをしているのでしたら金輪際迎えに行きません。自分で帰ってきてください。今日が最後ですから、だからもう」やめてください。

なっしーは、

 怒ってるの?

 悲しんでるの?

 厭きれてるの?

「あなたにもしものことがあったら」

 どうするの?

「心配させないでください。毎晩暇なわけじゃないんです。会議もあるし捜査だって。もし駆けつけられなかったら」

「そんときはさ」

死ぬだけだよ。

 とは言えなかった。

 なっしーのそんな顔見てたら。余計、

 続けたくなっちゃうじゃん。

「とにかく、今夜が最後です。わかりましたね?」

「えー」

「えーじゃなくて。もう、お願いしますから」

 本当に最後になってしまった。

 これが、正真正銘。

 俺となっしーの最後の夜。



      2


 ムダ君を誑かせば、ちょっとはスカッとするかと思ったのに。

 ノってこない。

 ぶつぶつ文句を垂れながら帰ってしまった。帰すつもりで言ったのでまあいいとするけど。

 入れ違いでエレベータが到着する。ムダ君はややもするとせっかちなところがあるので、階段を使うことが多い。矢印を押してすぐにこれば乗るけど、来なかったら階段で行ってしまう。

 今夜は、すぐに来なかった。

 我孫スイナが降りてくる。

「よかったのですか」

 ムダ君を帰したことについて。

「俺に用があった。違う?対策課課長の俺に」

 ムダ君に情報を垂れ流しにしたくなかった。まずは俺が聞いて、ムダ君が知ってもよさそうな内容だけ。よしよしと教えてあげるとしよう。

 たぶん、この事件は。

 俺をこっち側に引きずり込んだあの。

 始まり且、終わりの。

「これは私の独断でやったことなので、その」我孫スイナが言い淀む。

「別に。何に気を遣ってるの? イブンシェルタは君に危害を加えようだなんて思ってないよ。君が搾取する側に与してない限りは」

 事務所のソファは座り心地が悪い。わざと。

 依頼主が長居しないための心配り。

「地場リフラは俺の専売特許を奪っただけなんじゃないかなあ」

 囮捜査。

「搾取に立ち向かおうとする勇気は評価するけど、無謀だよ。新代表がいけいけどんどんに天罰して歩いてるだけでしょ?」

 前代表は言おうとしたことを呑みこんだ。

 天罰。

 それの是非。

「祝多の遺志を継ぎたいんなら、復讐的殺人なんかやめるこったね。重々わかってると思うけど」

「私はそれを表明できる立場にありません」

「ねえ?何が怖い? 君を焚きつけるようで悪いけど、イブンシェルタを正しい方向に戻せるのは」

「私には。そんな」前代表が首を振る。「そんなつもりで伺ったのでは」

「でもなんとかしたい。だから新代表の意に逆らってまで足を運んでくれた。違う?」

 前代表が黙る。

 図星をつかれると人は黙ってしまう。黙るしかないから。

「安い文句で悪いけど、俺は君の味方だから。よく来てくれたね。大丈夫。これ以上」と、そこまで言って気づく。

 ムダ君が、正義感を振りかざして言った殺し文句と。

 大して変わらない。

 前代表もそれに気づいたのか。

ほんの少し、

 表情が和らぐ。張りつめた糸が弛む。

「私がやるべきなんですね」

「地場リフラの件だけど」

「五、六人だったそうです」集団。「しかも」

「未成年?」

「おそらくは小学生だろうと」加害者。

 頭の中が。

 ちりちり燻ぶる。

 別人だ。別の集団が。

 同じことを繰り返そうとしている。

 止める?いや、

 止まらない。

 止めるには、

「あとは任せて」



      3


 翌日。定時に出勤したはずが。

 胡子栗はすでに詳しい話を聞き終えており。

 潜入捜査だか囮捜査だかのスタンバイばっちりで。

 僕の脳髄に。

 不用意な刺激を与える。「服あるじゃないですか」

「仕事するよ?」


 連続婦女暴行事件


 胡子栗がクセのある丸字を白板に記す。婦女と暴行の間にくの字を書いて単語を付け加えた。


 集団


「5人も被害に」

遭ってるのだ。

 一刻も早く捕まえないと。

「どうするんですか」

作戦。

「んなの1コしかないじゃん」胡子栗は自らの犯罪的な丈のタイトスカートの裾を掴む。「俺の特技言ってみてよ」

「それしか能がないですしね」

「好出現ポイントは人通りのない路地とか。時刻は深夜を回ったあたり。決行は今夜。質問ある?」

「準備が早すぎませんか」

決行が今夜なら。

 なにもこんな朝っぱらからそんな仕事着に着替えなくとも。

「えー、部下への労い?」

「服まだありますか」着替えの有無。

 まんまと釣られてても、顔の前にぶら下げられた人参でもなんでも。構わないとか思っている僕は。

 頭を切り替えろ。んなことしてる場合じゃない。

 場合じゃないのだ。

「やらないんなら、別命あるまで待機。いーね?」胡子栗は、その格好に馴染むバッグを肩にかける。

「どこ行くんですか」

「やることないんなら、聞き込みでも行けば?」

 付いてくるな。ということだ。

「きちんと別命くださいよ?」

何しに行くんだか知らないが。

 ヤる気がどうとかいうのはお前の都合だろうが。

 僕の有する割と歪んだ性癖を手玉にとって。僕の手綱を握っている気になっているのかもしれないが。

 これだけ頻繁だと。

 厭きる。

 僕自身しつこい粘着質なタイプだと思っていたが。最近そうでもないことにも気づけつつある。

 そういえば、スーザちゃん。すぐこの天井の上で。

 最上階で。

 祝多出張サービスを切り盛りしている。ほぼ一人で。

 浮遊しがちな僕を監視するために。対策課事務所には、カメラやら盗聴器やらが仕掛けられており。何かコトが起これば。どたんばたんな足音と共に殴り込んでくるはずなのに。

 昨夜の仕事が長引いたか。お疲れなのか。

 姿を見ない日はないのに。

 僕が見まいと思っても向こうから僕の顔を見にやってくるというのに。

 エレベータを待ってられなかったので。階段へ上へ。


  ↓


 前代表が見たのはこれか。祝多出張サービスのドアに紙が貼ってあった。白抜きの矢印。

「スーザちゃん?」ノックする。呼び鈴が存在しない。

 返答なし。

 鍵もかかっている。留守だ。

 ケータイは。

 そこまでする必要はないか。まるで僕が、

 スーザちゃんに会いたいみたいじゃないか。

 やめやめ。

 仕事をしよう。聞き込み。

 といっても、僕はこの夏でケーサツを首になっているので。

 民間委託。

 探偵の類ではない。とは思う。

 どちらにせよ、ケーサツが行使できる国家権力みたいなものは僕にはない。何の権限もない。そんな僕にどうやって、

聞き込みができるのか。

 いきなり暗礁に乗り上げる。そうか。

 それで、

 スーザちゃんが必要だった。スーザちゃんがいれば。

 スーザちゃんがいればきっと。

 堂々とイブンシェルタの敷居を跨げる。

 僕単体でイブンシェルタを訪問することは不可能。

 なにせ、

 男子禁制。

 あった。一つ。

 地場李花のケータイ。

 出てくれるかわからないが駄目もとで。

「どなたですか」

たぶん、地場さんじゃない。声に、

 心当たりがない。

「突然すみません。対策課の徒村と申します。この度のことで少々お話を伺いたいと思いまして」自分で言ってて気持ち悪かった。

 二次被害を生んでいる。現在進行形で。

「存じています」低くもあるし高くもある。年齢は若いと。「しかし彼女はいまひどく混乱しています。客観的に物事を話せる段階にない。それはご理解ください」

「承知しています。本人にお話を伺えないようでしたら、どなたか代理の方でも」やっぱり言っていて気持ちが悪い。「イブンシェルタの新代表のあなたでも」

 数秒の沈黙。

 それが肯定だと決定づける。

「前代表を顎で使うだなんて。なかなかの方のようですし」

「アダムラさん? あなたも僕を搾取するんですね」電話が切れる。

 対策課のメンバはもう一人いた。

 性犯罪者矯正施設。とは名ばかりの、更生不可能の性犯罪者をぶち込んで非人道的な実験研究を行なっているという。

 国立更生研究所。

そこの所長・瀬勿関先生。精神科医。

 まさか先生が今回の事件を認知していないはずはない。ご意見を聞いておきたい。電話をかける。

「初耳だが」

とんでもない答えが返ってきた。

「甘味料が暴君を奮ってるのが眼に浮かぶな。わかった。私のほうからも手を回そう」

「ありがとうございます。ところで、イブンシェルタの新代表は誰になったんですか?」

「誰に?新?」

よもやこちらもご存じないとは。

「エビスリが暴君の限りを尽くしているということがよくわかりました」

情報の独占。

「スイナが降りたのか?まさか」

「そのまさか。らしいですよ」

「参ったな。私の眼が届かないのをいいことに」瀬勿関先生の麗しい溜息が僕の鼓膜をくすぐる。「こっちも探ってみるとしよう。わざわざすまなかったな」

「いえ。今夜にも囮捜査仕掛けてみるそうで」

「そうか。時間と場所はまだなんだろ?わかったら報せてくれ」

「はい。よくおわかりで」時間と場所がまだ。

「甘味料のやりそうなことだ。苦労だな。つらくなったらいつでも連絡をくれ。拉致しに行く」瀬勿関先生は、胡子栗を研究材料にすべく虎視眈々と狙っている。

「スーザちゃんてどこ行ったか知ってますか」

「実家に帰った」

「実家?に」なんでこの時期に?盆暮れ正月でもないのに。

「なんだ。てっきり三行半だと」

「違いますから」



      4


「わたくし、実家に帰らさせていただきますわ」これから出かけるってときに、どんな切羽詰まった事情で出鼻をへし折りに来たかと思えば。スーザちゃん。

 いつもの単色ワンピースに。

 白のカーディガンを羽織って。死体が入りそうなくらいでっかいキャリィケースを転がさんとしている。

「それ、俺に言うセリフじゃなくない?」

「ええ、ボーくんに言うセリフではございませんわね」わかってるじゃん。わかってるなら。

「言わないでくれる?」

「本部でございましょう?」俺の行き先。「ボーくんのそのお出掛けは義務ですの?ご趣味? 対策課はすでに本部長さまのお手を離れておりますわよ」

「鶴の恩返し的な? 義理堅いんだよね俺は」

 対策課を立ち上げ、さらに。

 民間委託にしようという。

 ケーサツの根底を揺らがす改革を。

 あくまで実験的事業としてなら。という建前で持って。

取り入れてくれたのは。

 本部長だけだった。

 全国ケーサツ組織の中で。本部長だけが。

 信用に値する。

「その恩人の円満なご家庭を粉砕するおつもり?」

「円満?さあてね」

にしてもやっぱり、キャリィがでかすぎやしないか。

 デカでも入ってるのか。ムダ君とか。

「ご心配には及びませんわ。さくさくと用事を済ませとんぼ返り致します所存ですのよ。ですからムダさんには」

「言ってかない理由がよくわかんないなあ」余計心配すると思うけど。「あーなに?実家イコール」

祝多。

 ムダ君が全世界を股にかけて追いまくってた巨悪の正体が。

 スーザちゃんのママ。兼、師匠。兼、祝多出張サービス初代店主にして。

 対策課の民間委託先。並びに、イブンシェルタ創始者。だなんてね。皮肉にもほどがある。

「まーだねちねちと忘れらんないわけ? いー加減くどいね」

「本当に羨ましいですわ。ママは、常にわたくしの先を」

そうやって追い越そうとして、消しちゃったんじゃまあ。

 ムダ君がぶち切れないのがおかしいくらいで。

「いつか殺されんじゃない?」

「それはそれでおよろしいですわ。ムダさん手ずから最期を戴けるのでしたら」

 俺には理解不能。

 愛する人には殺されたくない。

「ごめん。行く」待たせてるし。「実家、休まらないと思うけど。ほどほどにね。あ、お土産は」

「消えたご友人をお連れしましょう」

「黄泉の淵から?」笑えない。「死体ならいーや」

 死んでるよ。

 生きてたって。限りなく死体に近い。

 自分の意志で動けてないなら。

 それは死人も同然。果たして俺は、

 死体か否か。

「伺いましたわ」小学生集団。「そちらもご無理をなさらぬよう。事件が事件でございますから」

「心配はいーから蹴ってってくんない?」

 スーザちゃんは、自分が履いてる靴を見て。

 踵の高さ。

「こんなではご満足できませんでしょう?帰ってきましたらお見舞いして差し上げますわ」

「あーそれでいーよ。お土産。ただいまのちゅー?的な」

「ただいまのちゅーはムダさんに戴きますわ」

「もらえたらいーね」

「奪うまでですわ」

それ、

 俺に言ってる?対抗意識。

「譲りませんわ」

「嫌われてはないんでない?」

悪いけど俺は、

 遊びだから。

 本気なんて。どっか彼方に。

 放り投げたきり。

 戻って来ない。未熟なフリスビィ。

「夜毎ムダさんが遅くまで事務所に残っておられるのは今更咎めませんけれども。ええ、咎めませんわ。咎めませんとも」スーザちゃんは俺にお門違いな嫉妬心を抱いている。

「んなに邪魔なら消せばど? 命を拾ってもらったご恩を仇で返すふざけた真似してる俺とか俺とか」

「消えたい方はどうぞご自分でお消えになって? わたくし、自殺志願者の背中を突き飛ばしたり台座を蹴飛ばしたりする悪趣味など毛頭ございませんのよ」

 ああ、そうか。俺は、

 消えたいのかもしれない。この世から。

 あれは、

 これからしようとしてることも。毎晩ムダ君とシてるのも。

 ぜんぶ、

 自傷行為だ。

 生きたいという。生きたい?

 どうして。

 道路に転がってる阿呆を迎えに来てくれる親切なお節介は。

 もういないのに。

「まだ消えたくはないのでしょう?」ご友人が。「生きているかもしれない、と。わたくしが囁いたからお心残りですわよね」

「未練たらたらだよ」

 死ねなくなった。

「早く行きなって」実家でもなんでも。

 祝多に会いに。

 死体かどうか定かじゃないけど。

「法事?」

黒のワンピース。

「宗教が違いますわね」

 まさか。その中身。

 ホントに入ってない?

 祝多とか。

 ムダ君が発狂するよ。

「それでは。行ってきますわね」

祝多出張サービスの最高権力者スーザちゃんがいないことで。事態はより、

 収拾に時間を要した。

 端的に言うと、長引いた。

 俺の無駄な命みたいにだらだらと。




 第2章 キングN


      1


 23時02分。

祝多出張サービスのビル界隈でも充分に。立ちんぼが横行している雰囲気はあったのだが。

「それじゃしょーばい上がったりじゃん?」胡子栗の裏声がイヤフォンから漏れ出る。「見つけ次第撤去してるよ。ちゃりんこと違って無傷で戻ってくるかは対応してくれたおニィさんによるけども」

 昨夜、胡子栗を拾った高架トンネルからも離れた。

 公園に延びる、街灯の少ない歩道を散歩している。

胡子栗を、

 数十メートルあとから尾行中。

の僕を、

「歓楽街のほうが」

「地場リフラが歓楽街真っ只中で襲われてる。俺もほぼ歓楽街圏内。まったく同じ場所には出ないよ。ムダ君みたいなのに張られてるかもしんないし?」

 そのまた数十メートルあとから。

 スーザちゃん御用達のお面部隊(本日はお面なし。あるじ不在のため?)が二重尾行してくれている。

 車通りもないので自分の足元でさえ勘。躓いたりこけそうになったら確実に、胡子栗に鼻で笑われる。ので、そんな失態を晒すわけにいかない。と、足元に気を取られると突き放される。胡子栗の足は案外速い。容赦なく自分のペースでずんずん公園に。

 奇抜で難解な野外彫刻を片手に小径があり、敷地片隅のミニ噴水に導かれるコース。胡子栗はそこで折り返し、敷地中央のメイン噴水へ。ステップを上がって足を止め。

 たかと思ったら、駈け出した。その方向はまさに噴水しかなく。

「どうしたんですか」

 胡子栗は僕の声に構わず。

 何にも構わずに。噴水に。

 飛び込んだ。

「どうしたんですか?」

明らかに常軌を逸している。この薄寒空の下、

 噴水内に。

 何かを。見つけたのだ。

「あの」

 胡子栗がずぶぬれで。

 髪の長い少女を抱き上げる。

「車!早く」

 僕の後方のお面なし部隊に命令したようだった。内一人がパーキングへ戻る。

 23時23分。

「息は?」僕は少女の口元に手を。

 微かに。

 だが、あんまり予断を許さない感じで。全身がここぞとばかりに冷え切っている。血の気のない顔色。白い腕。

「救急車のほうが」と当たり前の常識にとらわれた僕の視線を。

 少女の首から下へ誘導する。濡れて張り付いているのでぱっと見はわからなかったが。着衣が、

 不自然に。

 乱れている。着衣水泳してもそうはならない。

 もともとふつーに。

 衣服を身にまとっていたとは思えない。一旦、脱がされて。

 また、

 てきとーに戻されて。噴水内に、

 捨てられた。

 殺そうとしたのか消そうとしたのか。

 隠そうとしたのか。

「わかったなら代わって?」胡子栗は少女を僕に押しつける。

 あり得ないくらい軽かった。

 長い黒髪が地面に一直線に。滝のごとく。

 僕らの乗ってきたワゴンが公園内を爆走してくる。ものすごく他人のふりをしたかったがきっと誰にも見られていないと。道交法は基本、現行犯なので。と必死で言い聞かせて。停車したが早いか飛び乗って。

 対策課事務所。の入っているビル。

「先生に」診てもらったほうが。てっきり瀬勿関先生のアジト・更生研究所へ向かうものだと思っていたのだが。

「どんだけかかると思ってんのさ」治療費のことじゃない。

 距離と時間。

胡子栗が少女を受け取って。ひょいと背中に載せる。エレベータを呼びつけて。

「服買ってきて。この子の着替え」

「あなたは?」↓を押したようだが。事務所に戻るなら↑を押すべきなのだが。

「混浴?」

「こんなときに冗談はやめてください」

 B2にあるシャワーを使いに行くのだ。少女と自分の体を温めるために。

 僕も一応、ずぶ濡れの少女から。

ずいぶんとお湿りを戴いてしまったのだが。

「わかりました」

行くしかない。行けというのなら。

どこへでも。地獄でも。

女の子向けの衣類や下着を購入する変質者となって。

23時46分。

しまった。閉まってる。

僕の服を着てもらうわけに。いかないか。

おそらくは高校生。

この夏吊った、

阿邊流秋に似ている。白く細い腕と脚。

そんなびみょーな頃合いの娘が、

三十路も過ぎたおっさんの使い古しの服とか。

着るくらいなら死んだほうがマシとか。

言われないかねない。

切ないがそれが現実だ。

いいことを。思いついて階段を一気に最上階まで。

祝多出張サービスの奥は。

スーザちゃんの私室。服の一つや二つ。

借りても。

合カギもないくせに。

名案は頓挫する。明暗を分ける。

 僕と胡子栗の権能の歴然の差。

「切れすぎてかえって退路なくしてんだよ」階段の踊り場から胡子栗が。着替えもシャワーもまだだった。

 少女を最優先したのだろう。

「どっか付け入る隙がないとね」放り投げる。

 受け取る。

 カギ。

「いいんですか」店主に黙って。

「君の無断侵入なら望むところじゃない? 空き巣でも下着泥でも」

 これからやろうとしていることが。

 まさにそれなのだが。

「知りませんよ?」

開ける。

 香。

 あの匂い。残り香。

 祝多出張サービス。

 スーザちゃんのプライヴェイト領域に踏み込むのがこれが初めてなので。侵入方法も含めて凄まじく後ろめたいのだが。

「しばらく帰って来ないよ」胡子栗が遠くで叫ぶ。何やってんだという催促。

 カギはかかっていなかった。

 カギが掛かる仕組みになっているにもかかわらず掛けないということは。掛け忘れはあり得ない。スーザちゃんに限って、

 わざとだ。

 クローゼットと洋服ダンスを漁らせてもらって。

 単色ワンピース以外にも服があって意外だった。僕はその服装しかお目にかかったことがない。

どれを持っていっていいのかわからなかったので、一番奥に仕舞ってあったやつを。気に入っているからだいじに奥に仕舞ってあるのか、気に入っていないから奥に追いやられたのかはわからない。

前者だった場合に。

捧げるお詫びの言葉をシミュレイトしつつ。

「なにやってんの?ムダ君?」胡子栗がうるさい。再三要求。

「そうゆうシュミはありませんので」投げ捨てる。

受け取る。

「どの口で」胡子栗は階段を下りて行った。

心配なので瀬勿関先生に連絡を入れておく。

時間が時間なので電話をやめてメールにした。が、すぐに折り返しがあった。

「間に合わなかったのか」

 そうゆうことだ。僕は、

 また。

 未然に防げなかった。

「ムダ君のせいじゃないな」

「市内のすべての女性の夜間外出を禁じるしか方法がないのでしょうか」

「甘味料はなんと言ってる」

「まだ」なにも。「囮捜査も途中で」

流れてしまった。

 被害者の少女を発見したため。

「来ていただけないでしょうか」いまから。これからが。

 とても心許ない。

 胡子栗が突き進む道が果たして最良なのか。

「夜行性なのは君たちだけだ」瀬勿関先生が言う。「何かできるとしても、私は君たちとは違う方向からやってみるよ。致命的な落ち度があるかもしれない」

 来てもらえないのか。

 僕だけではどうにも。

「すみませんでした。無理を言って」

「発見した少女の身元がわかったらまた連絡をくれ。おやすみ」

「はい。おやすみなさい。失礼します」電話を切る。

 対策課の事務所。

 少女をソファに横たわらせて。

 真正面から。胡子栗が睨みつけていた。

「眠ってるよ」

なぜか女装装備で。

「先生の安眠を妨害しただけでした」

「いちいち連絡しなくていーって」

 胡子栗の隣に座る気が起きなかったので。デスクのほうに。

「おつかれさーん」帰れと言っている。

「一人で大丈夫ですか」

「殺人犯見張るわけじゃないんだよ?」胡子栗は僕を見ない。「大して活躍もさせてあげらんなくてごめんね。また明日」片手だけ挙げた。

「昨日と同じ展開なんですけど」昨日と同じ。

 ああ、そうか。

 そうやって前代表から。話を。

「あの、僕も対策課の」

「今回のはムダ君には不向きだ」

「不向きでもなんでも」僕だって。確かにまだまだ新人だが。

「だから、不向きなんだって」胡子栗が鼻で嗤う。「この子は誰にレイプされたわけ?」

男だ。

「あなただって」男じゃ。

 女装。

 仕事でしかしない。と本人は言い張るが。

「少なくとも君よりはいい」

「見た目だけじゃないですか。そんなの」張りぼてだ。

 空洞で。

 中は空っぽ。何もない。

「だったら先生のほうが」女だ。「何があったか知りませんが、もっと先生を頼ったほうが」

「ムダ君。君の上司は誰?セナセキ?」

「上司でも。絶対服従しなきゃいけないという決まりは」

「絶対服従だよ」胡子栗が言う。静かに。「嫌なら異動願いでも出せば?こーせーけんきゅーじょ?」

 僕は胡子栗を真上から見下ろせる距離に行く。

 胡子栗は相変わらず。

少女を注視している。

「殴る?」

「表出ろよ」

「そこでホられたいわけだ?」胡子栗が。

 顔を上げる。

 上を見る。僕がいる。

「さっきの噴水?」

「溺死させてやる」

「窒息プレイは割と好みだけどさ」胡子栗が眼線を落とす。「俺の最期はちゅーで呼吸困難の窒息死、て決めてるから」帰れと。

「明日は来ません」

「もう来てるよ」

 0時01分。

 思わず時刻を確認した僕がすごく腹立たしかった。



      2


 短気は損気なムダ君は放っておいて。

 ドアに八つ当たりするもんだから。しっかり閉まってない。

 閉めに行く。ここらへんが几帳面。

「ちょーヒワイなチワゲンカじゃないですかあ」

「やっぱ起きてたね」ソファに戻る。

 少女が。

 眼を開ける。

「あーあ。バッグ置いてきちった」

「塾の帰り?」発見時は私服だったが。

「おネいサンのですかあ?」ブラウスとプリーツスカート。偶然なのかムダ君の意識下で強烈な影響をもたらしたのか。

 只今の俺のカッコとカブる。

「キモー」

「仕事のときだけだって」

「仕事とかキモすぎなんですけど」

 この年代の子は苦手だ。どうしてみんなスーザちゃんみたいに。

 寛大な心を持ってないんだろう。

「ヤなら真っ裸でいればいんでない?」

「着替えさせたのとかって」少女が顔を歪める。「ヘンタイですよね」

「君との違いはたぶんそんなにないけど、世の中の役に立とうとしてるかどうかの意気込みは評価してもらってもいいんじゃない?」

「意味わかんないし」少女が体を起こす。「あたし帰ります」

 手を掴む。

「放して」

「常習犯をほいそれと帰すわけに」蹴られた。

 なかなかいい脚をしている。

 ピンポイントで狙ってきた。

下半身を確保。

「残念。ふつー阿鼻叫喚の急所なんだけどさ」

 足の指がもさもさ動く。

 靴下的なものは穿いていない。

「やだ。や、キモ」少女は上半身だけばたばたと暴れる。

「おネいサンは女の子とプロレスごっこするシュミはない」

 ムダ君じゃないんだから。

「おネいサンと朝までナマ」

蹴られた。

「いちいちキモすぎ」

 少女の名は、マイナ。証明できるものがないので自称。

 堂々と偽名をまかり通してる俺なんかが言えた義理じゃないが。

「おネいサンは?あたしも言ったんですから」

「トール」茫洋たる亡羊の嘆(たん)。「エビスリトール」



     2王


 トヲルにはほとほと困り果てる。

 僕が拾いに行かなかったらホントに死んでいた。

 そうゆう場面をもう何十回、何百回。は大袈裟か。

 いいように使われているだけなんだろうか。

 からかわれてる?

 さぞからかい甲斐があるだろう。

 こんなに阿呆なお人よしもいない。自分で言ってて世話ない。

 捜査会議の最中に。

 その手の掲示板を見ている僕も大概仕事熱心だが。

 トヲルの居場所がわかるカラクリはこれ。

 トヲル本人が自分で書き込んでいる。いつどこどこで。

 立っていると。

 待ってますと。

 一部特定多数に向けてのメッセージ。

 僕以外の。

 僕以外が会いに来てくれることを期待して。

 まさか僕が。

 毎日これを見ているとは思っていないだろう。

 本名など晒さない。トヲルはそこで、

 偽名を使用している。

 トールと。

 違いがない。ほぼ同名。

 呼ばれれば同じ。

 トヲル。

 トール。

 文面でわかった。とか嘘八百を並べてまで。

 僕とトヲルの関係を自惚れたいわけじゃない。

 何もない。

 僕とトヲルをつなぐものは。手は、

 つないだことはあるが。

 つなぐためにつないだわけじゃない。手を貸しただけ。

 手を、

 つなぐことができる。そうか、僕は。

 トヲルと手をつなぐために毎日。

 トヲルを助けるだとかかこつけて。

 たとえそれ以上のことがあったとしても。

 トヲルは。忘れてしまうだろう。

 次の日太陽が昇れば。

 トヲルが夜に待ち合わせる、どこの誰ともわからない。

 一部特定多数と同じく。

 忘れ去られてしまう。その場限りの。

 それではダメだ。イヤだ。

 だから、

 毎日迎えに行かなければならない。

 あきもせず。

 あきれられても、

 記憶に留めてもらいたい。僕のことを。僕が、

 トヲルを。

 忘れられないことを。

 捜査会議が終了し、ペアを組まされている先輩中年刑事が。

 僕が上の空だったことを叱咤する。

 どうでもいい。

 連続少年誘拐事件だとか。

 夜中に危ない通りを出歩くほうが悪い。攫われたくなかったら、

 縄でもつけて。

 檻に入れておけ。

 昨日で5件目。5人も、

 坊ちゃんが攫われている。行方不明。失踪。

 家出だろう。

 全員が。塾帰りを狙われている。

 市内すべての塾を閉校しろ。

 それで安心だ。

 僕らも毎晩当てどなく張らなくてよくなる。

 トヲルが今夜立つ場所に。

 ほど近い予備校。いいような悪いような。

 よくなかった。

 その日、

 とある少年を助けたがために。

 助けられなかった。トヲルは、

 僕が駆け付けたときにはもう。

 そこにいなかった。

 そこで、

 いなくなっていた。迎えにいかなかったからだ。

 その日以来、

 掲示板の書き込みもなくなり。僕は、

 トヲルの居場所を見つける手掛かりを失う。

 いまもどこぞに立っているとは思えない。

 やめているだろう。僕が、

 迎えに行かないとなれば。と、

 自意識過剰な。

 あんなガキ、

 助ける価値もなかった。



      3


 あんまりにあんまりにも腹が立ったので。

 警察本部。

 0時21分。

 到着したその瞬間に帰ろうと思い立つ。

 何しに来たんだか。

 僕はもともとここの人間じゃない。対策課に飛ばされる前は、もっと大きな。国内に留まらない枠外での。

 彼女を。

 追っていた。いまは亡き。

 未練がましい。忘れなければ、

 絶えず思い起こしていれば、

 生き返るとでも言うのか。馬鹿馬鹿しい。

 下らない。

 無駄な。感情そのもの。

 足は自然と。

 以前、対策課があった掘っ立て小屋のあたりへ。

 建物自体はすでに取り壊されており。なにも。

 ない。

 ケーサツ組織の一部ではないということ。

 僕がしたかったことは、

 二度と。できない。

 彼女がいないこの世界では。

「戻ってくる気になったのかね」本部長だった。

 相変わらずにこりともしない。背中を取られたら確実に。

 奪られる。

 タマを。そういう凄まじい恐ろしい。

「遅くまでお疲れ様です」仕事は一段落したのだろうか。

「さぞ血眼だろう。潰れてないかね」

「なにがでしょう」と、訊いて愚問だったことに気がつく。

 本部長が気遣うのはただ一つ。

 胡子栗。本名は、

「オズ君だよ。彼が対策課を立ち上げるきっかけになった」

「あの、対策課は登呂築前課長が」娘のために創ったと。

 祝多主張サービス初代店主・祝多さんとともに。

「時間はあるかね」本部長がコート(用途防弾)をなびかせて歩きだす。「そのために来たんだろうに」

 お見通しでしたか。「貴重なお時間を戴きに参りました」

「なんということはない。オズ君のためだ」だから、

 どんなただれた関係なんだ。

あんたがたは。

「君から連絡をくれるとはね」本部長が歩道橋を渡る。

 深夜につき車なんか来やしないが。

 なんとまあ律儀に。

「緊急事態なんだろう」

「課長の、ですが」対策課存続の危機。

 欠員が出るかもしれない。

 近々。

「課長が一人で暴走してしまって」

「それを止めるために君がいる。違うかね」

 黙々と競歩すること一三分。

 市内屈指の繁華街。そして、歓楽街。

 祝多出張サービスのビルもこの界隈にある。ことを、

 本部長は知っているのだろうか。知らないはずはないか。

「どちらに行かれるんですか」まさか対策課じゃないだろう。

 立ちはだかる呼び込みが一切、本部長に声を掛けない。掛けたが最後、

 最期を迎えてしまいそうだから。

 相当の存在感。威圧感。

 どう見ても摘発ですけども。

 地下街に通じる階段の降り口に。制服がいた。

 気合を込めた敬礼。をするも、

 当の本部長は見ちゃいない。哀れなのでお付きの僕が返しておいた。

「先刻拾いものをしただろう」噴水に浸かってた少女のことだ。

 なぜ本部長がご存じなのか。

 我らが課長様が逐一報告しているからに他ならない。僕には先生に連絡するなとか言っておいて。

「それとほぼ同時刻、ここで非行少年グループを補導した」

 待ち合わせによく使われる噴水。

 またも噴水。

 しかし、すでに地下街は閉店時刻を迎えており、それに伴って出口も封鎖されるはずなのだが。

ほぼ同時刻?

 23時23分に。

「どうやって入ったんですか」

「彼が躍起になるのも無理はない」本部長が、その場にいた全捜査員から敬礼の雨霰を受ける。「懐かしいな。私が彼を補導したのもここだよ」

「誰が」誰を。

 補導したって?

「また補導されたいようだ」手のひら大のぬいぐるみが三つも四つもぶら下がったスクールバッグを鑑識から横取り。本部長が、僕に横流す。「○○高校3年。降走満否(ふるばしり・みついな)。拾い者の落とし物だ。補導した少年たちが所持していたよ。中身の保証は出来かねるが」

 僕に持ち場に戻れと言っている。

「よろしく頼むよ」オズ君を。

が省略されている。


      4


「助けてくれたお礼ということで」マイナが腹筋を使って。

 俺の首筋に息を掛ける。

 足の爪先も、俺が解放しないのを見越して。

 そこに留まっている。

「てのが流行ってるんですよお。マイブーム?」

「対象外だけどなあ」

「トールおネいサンてえ、ケーサツの人ですかあ?」マイナが、指先で。

 俺の首のネクタイをいじくる。

「あたしぃ、ケーサツの人まだなんですよお。ね?」

「がっかりするだけだと思うよ」

抵抗するのが面倒なので。

 そのまま好きなようにさせておく。

「職業リストがありましてぇ?」マイナの指が。

 俺のシャツの下を這う。

「いーっぱいレ点付けたいんだぁ」

「そうすると利点があるの?」

「自慢できるじゃないですかあ」マイナの眼球のガラス玉が。

 近づく。

「自発的にやってるの?こうゆうこと」

「ウらされてんじゃってぇ?じょーぉだん」

「おカネが欲しいわけじゃなくて」

「シゲキが欲しいわけでもなくってぇ?」マイナの膝が。

 俺の脚と脚の間に固定される。

 やわやわと揺すられる。

「自慢したい。レイプのお礼にプレイってのを」誰に。「君を襲ったことになってるガキどもは、刺激を求めてやってんだと思うけどさ」誰に。「仕向けられてるのかってのが」

「会いたいんですかぁ?」マイナがせせら笑う。

「そのために君を助けた。君らみたいなガキ煽って俺を誘き出そうとしてるみたいだから」

乗ってやろう。

 違う。

 乗せられたい。待っていた。

 あからさまな餌が垂らされるのを。

 ぱくりと喰いついて。

 喉元に釣針を引っ掛けて引き上げられて。お前の、

 手元に辿り着きたい。

 キャッチアンドリリースだとしても。

 一瞬でいいから。釣り人の、

 眼前に踊り出たい。

「連れてってよ」

黒幕へ。

「じゃあぁ、ケーサツにレ点付けてくれますぅ?」

「俺ケーサツの人じゃないんだよね実は」

 マイナが表情を曇らせて。

 ソファから離脱する。

「なにそれ。ウソついたんですか」

「そっちが勝手に思い込んだだけなんだけどなあ」離脱の際に下腹部を蹴られた。今日は蹴られてばっかだ。「女装屋てのはないの? そこいらの雑草という雑草を根絶やしにするあれ」

「なにそれ」洒落が通じなかったようだ。

「俺はケーサツの人じゃないけど、元ケーサツの人てのはいるよ」

「元じゃダメなんですぅ」

「他にレ点希望の職業ってある?」

「ぜーきんどろぼー」

「なんか恨みでもあんの?」



      5


 届けるはいいが。さっきから、

 バッグが小刻みに震えている。

 中に生き物が入っているだとか。そうゆうことではなくたぶん、

 ケータイが振動してるだけだとは思うが。

 そろそろ諦めてくれ。

 本人じゃないのだ。出られない。

 切れてはまた震え出す。

 余震は続く。果てしなく。

 着信数がおぞましいことになっているはず。

 それでもまだ震え続ける。

 無視して移動している僕の身にもなってくれ。無理か。

 もうすぐだ。もうすぐ着くのだ。

 対策課に。

 そうしたらそこにいる少女に出てもらえるから。

 それまでもう辛抱。

 やっと門番係に上下見されなくなった。慣れてもらったのだ。

 エレベータを待つよりも。

 走れ。階段を。

 上から二つ目のフロア。

 ドアノブ。

 動かない。嘘だろう。

 カギは持っていないことはないが。取り出すのが面倒だとかそうゆうことでもなく。そうではなくて、

 中に誰かしらがいて掛けている。のだったら、酷く如何わしい展開になっている可能性が。

 いやしかし、胡子栗だ。少女相手にどうにもこうにも。

 カギが掛かっているということは、通常考えるに。

 中に誰もいないという。

 開錠。

 蛻の殻。ソファの上もデスクの下も。

 そんなこちらの突発で衝撃的な事情に構うことなく、バッグは無意味に震え続ける。これでは自暴自棄にならざるを得ず。

「もしもし?」ケータイもじゃらじゃらと重たいことに。なまじ本体よりも重い。

「てめえの下で寝てる女モドキに代われ」

 ?

 ??

「ええーっとですね、多少込み入った事情がありまして。僕と少女とはまだ面識がなく」

なにせ眠っていたから。

 あれがタヌキ寝入りでなければ。

 シャワーを浴びて服まで変えてそれでもなお、

 気を失ったままなんてことがあればだが。甚だ疑い深い。

 女モドキ?

「誰だてめえ」

「どうも夜分遅くに。僕は対策課の徒村と」

「てめえの名前を聞いてんじゃねえんだよ」

「聞いたじゃないですか」誰だと。「そちらこそ」

誰だと。

 僕が予想するにおそらくは、

 今回の黒幕的人物。幸先いいやら悪いやら。

 さあこれからこつこつレベルを上げて冒険を進めようとした矢先にいきなりラスボスに遭遇してしまったかのような。ある意味反則的な裏技かもしれないが。

 生憎と何の準備もできていない。初期装備でしかない。

 僕には何の手駒も最終奥義もなく。

「マイナさんの保護者の方ですか」

「なんだてめえ、なっしーじゃねえのかよ」

 なっしー?

「すみませんが人違いかと」

「はあ? なんで最初に言わねえんだ」

「聞かなかったじゃないですか」

「そうか」意外と、

 ものわかりはいい?ガサツな口調の割に。

「悪かった。マイナの野郎に会ったら道草食ってねえで帰れっつってくれ。ガキどもがサツの皆さんにご厄介にだな」

「そうですか」それを僕に言うかな。「ついいましがたですね、そのサツの親玉にこれを、いま話してるこれです。預かりまして。容れ物ごと、持ち主に返してほしいと」

 彼はようやく気づけたようで。

自分がずんずん掘り進めている墓穴に。

「やべ」を吐き捨てて乱暴に電話を切った。

 ラスボスの靴磨きとかしてる人だったかもしれない。代わりに電話を掛けるのも業務の一環で。

 1時02分。

 ところで、暴君な課長様は。

 少女とどちらへ。

 お出掛けでしょうか。未成年者略取で現行犯だ。





 第3章 ルビィ姉さん



     1


 さすがに限界を感じたので。事務所のソファで朝を迎えた。

 8時32分。

 途切れ途切れなうえに浅い眠り。

 寝心地もよいとは言えない。足が余るし、首が痛い。

 自宅に帰るのが面倒だっただけだ。

 胡子栗が帰ってくるのを待ってたわけではなくて。

 帰ってくるはずはない。帰って来たときはそれは、

 すべてが解決している。

 僕そっちのけで。

 スーザちゃんはまだなのか。まだなんだろう。

 実家だかなんだか知らないが。

 さっさと帰って来てほしい。とにかくいまは、

 まともな情報がほしい。

 本部長にも釘を刺されているわけだし。ブレーキになれと。

 無理だろう。

 ああもう僕には。

あなたを頼るほか。

「おはようございます」

「私は昼型なんだがな」瀬勿関先生は電話に出てくれた。「身元がわかったか」

「ああ、はい」

 降走満否。

「聞かないな」ブラックリストにはないということ。「彼女は。一晩休んで落ち着いたか」

「それが」胡子栗に誘拐されて。

「私情で動いてるな、あの甘味料は」

「手を貸してはいただけないでしょうか」

「君の知っていることはそれだけか」

情報の共有。

 降走満否を暴行したらしい加害者は、

 非行少年のグループ。地下街で屯って夜な夜な。

 それを一斉補導。

「いままでのも」同一犯。

 前代表の知っている五件。

 地場李花のと、今回の降走満否ので。

 七件。

「そいつらはどうなった?補導されて」

「そちらで預かっておられるのでは?」国立更生研究所。

「対象外だよ。うちはあくまで、更生可能な奴しか収容れない」

という建前の下、国家予算がつぎ込まれているのだ。

「更生不可能だとどこに行くんですか」

「管轄外だ」余計なことは聞くなということ。「それより甘味料の暴走だが」

「本部長は手綱を放すなとかご無理を」

「アレクサは駄目だ。お人よしが過ぎる」先生の大きなあくびが聞こえる。「悪いが大脳が働かない。正午に掛け直す」切られた。

 荒種というのは本部長のことだが。

 呼び捨てとは。いやはや。

 そんな度胸もへったくれもない下っ端の僕は、

 地にへばり付いて聞き込みでもしよう。それがお似合いだ。

 と決意した矢先に。

 暴君で名を馳せている課長様よりメール。

 時刻と場所。

 昨日拾った少女を進呈してくれるらしい。



      2


 下のフロアでムダ君がぐーすか惰眠を貪っている隙に。俺が、

 上のフロアで曰くつき被害者に一晩中見張られていたとは、

 思わないだろう。だから君は、

 ムダ君なのだ。

 ランデブは、人工林に囲まれた噴水。

 デートと友だち同士。どちらが多いのか数えていた。マイナは寝ても覚めてもケータイをいじくっている。俺のなんだけど。

「ホントに来んの?」

9時にここ集合。

「迷ってるかもです」

「そっちが指定したんでしょ?」

「昨日ヘマしたガキどもがパクられちゃいましてぇ」マイナが横眼で。「返してくれません?て、ストマクが」

黒幕の通称。

 確実に偽名。本名は、

 俺が知ってる。

「交換条件てこと。はーん」やるじゃないか。「昨日のは学芸会だったわけ?すーっかり騙されちゃったなあ」

 非行少年たちに非行を唆して俺を誘き出したいのが、黒幕だとしたら。

 こいつ本人の狙いはなんだ。レ点を付けること?

 俺が。噴水に沈んでるのを拾わなかったら。

 死んでた?いや、

 来るのがわかってた。から、待ってたのだ。

 路上に転がってるどっかの誰かみたいに。

「俺に用事?」対策課がケーサツ組合の一員だと思われている。

「そのカッコのときは一人称、気をつけたほうがいいんじゃないですかあ」マイナがケータイを耳に。「いまどこすかあ。あー、そっちじゃなくってぇ。そーすよね噴水だらけで」

 対策課自体を認識されている。ことのほうが問題かな。

 バラして回ってる奴がいる。

 イブンシェルタ新代表。奴が、

 対策課を挑発している。なぜ?

 そっちとは協力体制を敷いてたはずなんだけど。

「あのカス、なにちんたらやってんだか」マイナが舌打ちする。

「そのカス、一日借りれる?レンタル」

「紹介してくれるってゆったじゃないですかぁ」

現役ケーサツ官。

「昨日とおんなじ場所でおんなじことして保護してもらえばいんでないかな」

「いいんですかぁ?じょーしゅーはんですよ?」

「バトンタッチしよっと」

こうゆう面倒な役目は、

 優秀な部下に押し付けるに限る。

「連れてっていーよ」

「変なことしてませんよね?」木立の陰からムダ君。

「君はストーカには向かないね」張り込みが下手すぎる。「あと煮るなり焼くなり好きにして」

何したって食えないと思うけど。

 少女が少女でないと気づかない限りは。

「昨日の」マイナが不満そうな顔をする。「このヘンタイ上司がケーサツ官じゃないんなら部下だって」

「なにゆってんのさ。超が付くエリートだよ?元」

「その超が付くエリートだった人がなんでこんなとこでヘンタイ上司にいいように使われちゃってんですかあ」

「そんなのは僕が聞きたいですけど」ムダ君も不満たっぷりに。「体よく押しつけてどちらに?説明してください。いま何が起こってるのか。何が起ころうとしているのかを」

「起こってなんかないよ。何も起こらないしさ」

「はぐらかさないでください」ムダ君が食いかかってくる。「昨日、本部長に会いました。暴走を止めろと仰せつかりました。僕がしゃしゃり出るのが気に入らないのならせめて本部長には」

「いつから本部長の部下になったわけ?」

「心配してるんですよ?いい加減にしてください」ムダ君は本気で怒っている。「わかりました。そんなに僕が気に入らないのならいまここでクビにしてください」

「クビにしてどーすんのさ。行くあて」

あった。

 セナセキもムダ君の切れっぷりを買っている。本部長もなんだかんだ言ってムダ君には甘い。

 スーザちゃんなんか。むしろ大喜びだろう。

 立場ないなあ、対策課課長。

「そもそも僕はあなたの部下じゃありません。殉職させられたかなんだか知りませんが、殉職される前の対策課に飛ばされた覚えはありません。僕はトロツキ課長の部下です。確かにあなたは本当の対策課の本当の課長かもしれない。ですがあなたのことを課長だとは思えないし、思うつもりもありません。短い間でしたが、いままでお世話になりました」頭を下げた。

 上げる。顔を。

「なんなら殉職でも構いませんよ?」すごく蔑んだ眼。

「謹慎。期限はいいってゆうまで。ばいばい」

「利用価値なんかないでしょうに」それを置きみやげに、ムダ君はその場を去った。

「自業自得じゃないんですかぁ」マイナがせせら笑う。

「黒幕は?」とっくに9時を回った。「迷うにしたって」

 聞こえた。

 俺の、

 その呼び名を知ってるのは。

「なっしー?」

 あのときの面影をごっそりかなぐり捨てたような。

 骨格だって。

 筋肉だって。

 いっそ他人。そう言ってくれたほうが、

 救われたかもしれない。

 ああ、救われたいのか。俺は。「君が黒幕?」

 久永幕透。

「トヲル」



      3紅


 トールには本当の名前がある。

 小頭梨英。

 私がオズ君と呼ぶと彼は嫌そうにする。

 なっしー。

 彼がそう呼ばれていたことを知っている。

 しかし、私にはそのような呼び方はできない。私にできるのは、

 彼に、

 こう言って、

連日の非行をやめさせることくらいのものだ。

「そんなに待ちたいなら私を待ちなさい」

 彼は私を見上げていた。

 虚をつかれたような虚ろな表情で。

 若者の笑い声。

 眩しい電飾。如何わしい有象無象。

「あの、どういう意味ですか」彼はようやくそれだけ言った。絞り出すような声だった。

「なんだ。私を待つのは不満か」

「待つと何かいいことがあるのでしょうか」

「当てどなく誰かを待つのはつらい。だったら形のある私を待ったほうが現実的でないかな」

「別に現実的なことをしたいわけじゃ」彼は困惑の表情になる。

「君が待っているのは、形がなく非現実的なものなんだろう?」

 パトカーのサイレン。

 私を連れ戻しに来た。

「連れて行きたいなら最初からそう言ってください」彼が俯く。「悪いことをしてるのはわかってます。でも、こうするしか」

「足に自信はあるかね」

「え?あ」

戸惑っている彼の腕を掴んで。「夜の散歩といこう。ちょうど月も綺麗だ。見たことないだろう、月」

 こんな光も差さないビルの合間に立っていたのでは。

 見えるものも見えない。彼には、

もっと、

 光り輝くものを見てほしい。彼自身が、

 いかに光り輝いているか知ってほしい。

 私のその連日のお節介が功を奏したのか、彼は。

 夜の歓楽街に立ち尽くすことをやめた。

 代わりに私を待ってくれているかどうかはわからないが、

 ほかに、

 待つものができたのだろう。喜ばしいことだ。

 しかし、待てども私は帰らない。都合のいいことだけを言っておいて。言い逃げの。

そんな私の背中を追って、

 私と同じ職業に就かせてしまったのならば。

 謝らなければならない。



      3


 もう嫌だ。金輪際譲歩するものか。

 スーザちゃんが帰ってきたら絶対辞めてやる。

 あんな奴。

 上司でもなんでもない。

 車に戻ったときに、勝手に助手席のドアが開いて。

「現役のケーサツ官て紹介してもらえませんかぁ」少女が。

「降りてくれていいけど」厄介なお荷物が自主的にひっついてきてしまった。

「それ、あたしのですよね?」スクールバッグ。

 そうだ。それを返そうと思って。

 持ったままだった。

「あげるから」降りろ。

「そんな。そんなですってえ」少女がすり寄ってくる。「あんなヘンタイ上司なんか見限っちゃって正解ですって。あたし、間違ってないと思いますよぉ全然」

「事故っちゃうから」

降りろ。

「降りませんって」何をご冗談、みたいな口調で返される。

「家どこ?」エンジンをかける。「玄関横付けしたげるよ」

「さっき言ってた本部長て。まさかですけどぉ」

「そのまさか」

「えーその人って」

「さっきのヘンタイとスキャンダラスな関係」

「えーなしなし。げー」少女は背もたれに吸い寄せられて。「ケーサツってそうゆうとこなんですかぁ。いがーい。もっとおカタいとこだって思ってましたぁ」

「ごめん。いまの聞かなかったことにして」

 9時33分。

 ちょっと早すぎるか。いや、でもせっかく。

 格好の餌食、でなくて利用者候補を連れているわけで。

 付いてきてもらってよかったじゃないか。結果オーライ。

 どちらにせよ、これ以上あのヘンタイと行動を共にさせるわけにもいかない。現役ケーサツ官でなくともそう判断する。

「ええっと、マイナさん。これから行くところは」

「○○県ケーサツ本部ですかぁ」

「そこはあとでね。イブンシェルタって」

「え?おニいサン知ってるんですかぁ」意外な返答が。「あたし、そこ一回行ってみたくてぇ。連れてってくれるんですかぁ」

 なんだその。

 万年混雑の超人気テーマパークみたいなノリは。




↓↓↓




 エリストマスク 初稿 補足という名のツッコミ


 はい。初稿を見て頂きましたが、アバンと、本部長が胡子栗(もといオズ君)を拾うシーンは同じですね。というか、そこは気に入ったのでそのまま使ったんでしょうね。

 全体的にムダ君が無能すぎて、全身イタタタタ(精神的な痛み)って感じですね。あと胡子栗課長とムダ君が仲険悪すぎるし、本部長がムダ君と謎の交流あるし、ムダ君ちょっと瀬勿関先生に頼りすぎ。スーザちゃんに至っては何故か実家に帰っているという。実家ってどこだ?北京か??

 更生不可能少女・マイナちゃんの出番多いですね。マイナちゃんの初出は別シリーズなのですが、そこではとある天才博士の実験場もとい収容施設にぶち込まれているので、なんでそこにぶち込まれることになったのか、過去を知りたかったってのがあって、時間軸的に問題なさそうだったので、本作に登場してもらいました。あの寛大(?)な瀬勿関先生も匙を投げるほどのイカレガールなのでね。でも喋り方あんなにねっとりしてたっけなあ。苦笑。

 一番謎なシーンは、少年課の刑事(なっしー)が、立ちんぼしてるトール(トヲル)を毎夜拾いに行っているシーンですが。なっしーて誰だ? 梨英(なしひで)のことか? 本稿に引き継がれなかった設定ですね。だって拾ってるのも転がってるのも同一人物なわけですので。このあたり、まだ胡子栗の過去エピソードに迷いが感じられますね。

 胡子栗がムダ君と毎晩シてるのが、自傷行為ってゆってるの面白いですね。最終話でも触れますけど、この二人はもともと同一体だったところから分離した男性性(アニマ)と女性性(アニムス)が、分かち難くちぐはぐに分離した不完全な半身だと分析できてしまったのでね。自傷行為という分析は単なる当初設定でしかなく。

 他に気になるところは、アバンその2で胡子栗課長が地面に転がっているシーンで、「自治体挙げての国際芸術祭」てありますが、これは4作目で瀬勿関先生が本部長に祝多の正体について語っている場面でも出てきますね。他シリーズでがっつり触れたのでお気づきの方もいるかと思いますが、ビイベシリーズは架空の名古屋が舞台ですので、あいトリ(あえて略称で)がモデルになっています。2回目以降はちょっと方向性が私の好みから外れてしまったのですが、第1回は本当に素晴らしくてですね。町屋や地下街や工場の駐車場、果ては路上でゲリラ的にパフォーマンスやインスタレーションが同化というか異物化したまま浮かびあがるディペイズマン的手法の虜になってしまい、フリーパスと地下鉄乗り放題券買って、仕事終わりの金曜の夜、そして土日いっぱい通いましたよ。夏にやってたのでね、名古屋の夏ってあり得えないくらい暑いんですが、汗だくになりながら名駅~伏見~栄エリアを駆けずり回ったのが懐かしいですね。4作目の裏話で、祝多のヤバい人体加工趣味について触れるときにまた。名古屋でやっていたとある企画展でインスピレーションを受けた話など。

スーザちゃんの「わたくし、実家に帰らさせていただきますわ」てゆう台詞は気に入ったんでしょうね。本稿でも出てきますね。

 黒のワンピースに白のカーディガン羽織っているので、色的にもしや、2~3作目はスーザちゃん不在だったのですかね? 話成り立たなそうですね。苦笑。

死体が入りそうなくらいでっかいキャリィケース。は、1作目のときにも触れましたが、ビイベシリーズがもともとドラマSPECの男女バディモノを目指してた名残で、主人公とーまさやさんがいつも転がしている赤いキャリィケースのオマージュです。でもスーザちゃんなら本当に死体が入っててもおかしくないのやばいですよね。

 ムダ君が胡子栗課長から鍵借りてスーザちゃんのプライヴェイト空間にがさ入れもとい着替えを拝借するシーンですが、本編でも一度もスーザちゃんの私室は出てきてないのでちょっとビックリしました。注目すべきは、祝多さんが焚いてる毒の香ですね。最終話で触れてますけど、これのせいでムダ君がおかしくなってるので、スーザちゃんも同じ状態になっていてもおかしくないという示唆かなと。正気の人が圧倒的に少ない。苦笑。

 ではでは、第2稿のほうにいきましょう。アバンがまるまる初稿と同じなので、そこは省略して第1章からのっけます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る