55.求め合うふたり

「レインさん、大丈夫かな……」


 レインのいなくなった拠点ホームに残ったマルクとローラン達。ローランが言う。


「大丈夫だって。あいつは殺しても死なない奴だからね」


「ロ、ローランさん、ふざけないでくださいよ!!」


「マルクは心配し過ぎだよ、レインさんは誰にも負けないよ」


 一緒にお茶を飲んでいたティティも言う。マルクが下を向いて答える。



「うん、分かってるけど。負けちゃう相手もいるよ、レインさんだって」


「何だい? 誰だ、そりゃ?」


 ローランがマルクの方を見て尋ねる。マルクが答える。



「エスティアだよ。男ってね、好きな女の子の前ではほんと無力なんだよ……」


「ぷっ、ぷはははっ!!」


 ドン!!


「わっ!!」


 ローランは笑いながらマルクの背中を叩く。そして言う。



「何、いっちょ前の大人みたいなこと言ってんだよ!! 大丈夫だって!!」


 マルクは笑うローランやティティを見ながらエスティア、そしてレインの身を案じた。






「うぐぐっ……」


 レインは脇腹に突き刺さった短剣を握りしめる。

 手の平からも滲み出る鮮血。レインはエスティアに刺された短剣を引き抜くと廊下に投げ捨てた。



「あなたが勇者レインね!! ここで死んで貰うわ!!!」


 エスティアは残ったもう一本の短剣を持って構える。しかし全く反応しないレインを見て言った。



「何をしている!! このまま殺すわよ、あなたっ!!!」


 エスティアは短剣をレインに突き付けて叫んだ。レインがゆっくりと答える。



「君になら殺されてもいい。君が望むのならば私はそれを受け入れよう……」


「!!」


 レインは額に汗をかきながらそう優しく言った。エスティアに動揺が走る。



(なに、何でそんな訳の分からないこと言ってるのよ……、このまま殺される? どうして抵抗しないの? 私に殺されてもいいって……)


「エスティア……」


 脇腹の痛みを堪えながらレインがエスティアに微笑む。エスティアが思う。




(動けない……、体が、短剣を持っている腕が動かない。どうして? どうしてか分からないけど、私の体が彼を殺すことを拒否している……)


 エスティアは何故か動かない体を不思議に思いつつ目の前の勇者を見つめる。



(覚えている? 覚えていない。初めて? 初めてのはず……、でもなんだろう。この懐かしいような温かいような感覚は……)


 同じくエスティアを見つめていたレインが言う。



「君に殺されるのなら私はそれを受けよう。ただ……」


 エスティアがその言葉を黙って聞く。


「もし願いが叶うのならば私をずっと君の傍にいさせて欲しい」


「!!」


 エスティアはまるで電気ショック受けたような衝撃を感じた。



(なんで、なんでだろう。その言葉、私、覚えている……)



「エスティア……」


「えっ!?」


 レインは目の前で動けなくなっているエスティアを思いきり抱き締めた。



「あ、あ……」


 レインに抱かれて動けなくなるエスティア。

 心臓がバクバクと鳴り、血管はまるで逆流するように熱くたぎる。


「エスティア……」


 レインが耳元で自分の名前をつぶやく。

 そして更に強く強く抱きしめられる。エスティアが思う。



(この人は暗殺対象。殺さなきゃ、任務……、殺さなきゃいけないのよ、なのにどうして……)


 エスティアは抱きしめられて抵抗するどころか、しまっている自分に気が付いた。



(私は暗殺者、私は暗殺者、最高の暗殺者バルフォードに鍛えられた最高の暗殺者。こいつは殺す。こいつは……、んんっ!?)


 レインはエスティアを抱きしめながらその小さな唇に自分の唇を重ねた。



(なに、これ……、温かい、柔らかい、優しいキス。私は覚えている、このキスを、こうやって抱きしめられながら重ねる口づけを、私は覚えている……)


 エスティアの体からどっと力が抜ける。

 エスティアはもう自分で立っていられないぐらい力が抜けてしまい、その体を全てレインに預けた。

 エスティアの目に涙が溢れる。そして接触するほど近くのレインの顔を見つめながら尋ねる。



「あなたは、誰?」


 レインが答える。


「私はレイン。君に生涯付き添う者だ」



 エスティアの涙が頬を流れる。


「私はあなたを知らないのよ」


 レインがエスティアの頭を撫でながら答える。



「私は知っている。もうずっと前から、ずっとずっと昔から。もう君を失うことは耐えられない」


 レインの目も赤くなる。そして優しく言った。



「私は君を愛している」


 エスティアは理解できなかった。

 初めて会うこの男、殺さなきゃならないこの男を自分は知っている。


 そしてエスティアは理解できなかった。



 ――どうしてこのひとを忘れてしまったのかな……



 今度はエスティアがレインを強く抱きしめる。



「レイン、さん……」


 初めて口にしたその名前。

 初めてなのに何故か懐かしく大好きな名前。


 エスティアは更に強くレインを抱きしめる。


(ああ、覚えている。こうやって抱きしめ合う感覚。誰かは覚えていないけどこれだけは分かる)



 ――その記憶にある人は間違いなく今、目の前にいるこの人……



 エスティアはレインの胸に顔を埋めて涙を流す。レインはエスティアの頭を撫でながら言う。



「エスティア」


「はい……」


 目を真っ赤にしたエスティアが顔上げレインを見つめる。レインが言う。



「私のことは覚えていなくてもいい。これからふたりで新たな思い出を作ろう。ただ、その前に……」


 レインはそう言うと服のポケットから何かを取り出し、そしてエスティアの手を持って言った。



「この指輪を君にはめることを許して欲しい」


 頷くエスティア。

 そしてレインがゆっくりと銀色の指輪をエスティアの指にはめる。



「レイン、レインさん……」


 その瞬間、エスティアの中で堰き止められていたが崩壊した。



「レインさん!! レインさーーーーん!!!!」


 エスティアが大粒の涙を流しながらレインに抱き着く。戸惑うレインにエスティアが言う。



「思い出したの、思い出しの全てを!!! 私はエスティア、そして私は。あなたは……」


 レインが笑顔になってエスティアに言う。



「私はレイン。君と生涯を共にする者だよ」


「はい、レイン……」


 ボロボロと涙を流して泣くエスティアをレインは優しく抱きしめた。







「そう……、やっぱり……」


 記憶を取り戻したエスティアは、レインから義父バルフォードの人身売買について聞かされた。心の中ではある程度覚悟していた事だったが実際にそう分かると非常に辛い気持ちになる。


「ここに来る前に拠点ホームに手紙を残しておいた。間もなく国軍がやってくるだろう」


「はい……」


 レインはふうと大きく息を吐くとエスティアに言った。



「さて、じゃあ私達のそろそろ……、ぐっ!」


 そう言って立ち上がろうとしたレインが脇腹を押さえて苦痛の表情を浮かべる。慌ててエスティアが持っていた布で傷口を押さえる。



「無理しないでください。傷は浅くないので……」


 エスティアは自分で刺しておきながら何を言っているのかと恥ずかしくなった。レインが言う。



「君に刺されてもいいとは思ったが、実際刺されると痛いもんだな」


「レ、レインさん!!」


「あはははっ、うっ、痛むなあ……」


 エスティアが少し笑って言う。



「でも、殺された私の痛み、少しは分かってくれたかな?」


「え、お、おい、そんな怖いこと言うなよ……」


 少し笑うエスティアを見てレインが言う。エスティアがレインの隣に座り頭を肩に乗せる。そして言う。



「もう少し。もう少しこのままでいましょ、ね」


「あ、ああ、そうだな」


 レインはエスティアの頭を優しく撫でた。

 スティアは心の中で大好きだったレビンを思い出し涙を流した。

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