52.リセット【記憶抹殺】

「エスティアについてだが……」


 バルフォード家の大きな屋敷。明りも控えめに灯された薄暗い部屋。卿は集まったふたりの娘の前で言った。



「様々な報告、彼女の状況、それらを総合的に考えて結論を出した」


 ふたりの姉妹は息をのんでその言葉を待つ。バルフォードが言う。



「エスティアをることにした」


「!!」


 ふたりの姉妹の顔色が変わる。姉のシャルルが尋ねる。



「それはどういう意味で?」


 バルフォードが答える。



「安心しろ。そっちの『る』じゃない。記憶抹殺リセットの方だ。私も可愛い娘を消すようなことはしたくない」


 少し安堵したふたり。妹のラクサが言う。



「父上、で、その対象は?」


 バルフォードは葉巻に火をつけながら答えた。



「無論、勇者レインに関するすべて、だ」



「そう……」


 ふたりの姉妹は安堵しつつも悲しみのような表情を浮かべた。






(私がけじめをつけなきゃ。私が行ってちゃんと話をして来なきゃ)


 エスティアは鏡の前に座り自分の顔を見て強く思う。そして考える。



(でもどうしてバルフォード家が勇者レインを狙うのかしら。誰かが担当しているのにお義父様や姉さんまでが出て来るなんてちょっと異常だわ。どうしてそこまでして勇者を殺したい? ……まあいいわ。それも行ってちゃんと聞かせて貰おう)


 エスティアは自分が着ている黒の暗殺者の衣装を見つめる。



(正直、似合わないわよね。前から思ってはいたけど。やっぱり……)


 エスティアは衣装棚に掛けられた花柄のフリルの付いたワンピースを見つめる。


(あの服を着て外を歩いていたいわ。その方がずっと楽しい……)



 エスティアは大好きな服を着てレインの横を歩いた姿を思い出す。そして自分の指につけるはずだった銀色の指輪を思い出す。


(奇麗な指輪だったなあ。でも、今はまだお預けね……)


 そう言って指のあたりを少し撫でて鏡を見つめる。そこに映る覚悟を決めた自分の顔を見て小さく頷いた。



 そして次の瞬間には部屋の中からエスティアの姿が消えてなくなった。




 翌朝、朝食に現れないエスティアに気付きレインが言った。


「あれ、エスティアは?」


 ティティが答える。


「レインさんが知らないのに私達が知っている訳ないでしょ?」


「ああ……」


 レインは少し恥ずかしそうな顔をして外を見つつ、なぜか少し胸騒ぎがした。






(何か月ぶりかしら……、懐かしい……)


 エスティアは一晩かけて懐かしい育ちの家であるバルフォード家へ辿り着いた。

 外から見る育ちの家は何ら変わりがない。表向きには上級貴族バルフォード家の屋敷だが、暗殺者の屋敷らしくその前に立つエスティアに既に幾つかの視線が向けられている。


 エスティアは門に近付き金属製の家紋の下につけられたノッカーをカンカンと鳴らす。すぐに現れる使用人。そして小窓からエスティアの顔を見て驚いて言った。



「これは、エスティア様……」


 使用人は一瞬嬉しそうな顔をしてからまたいつもの無表情に戻り門を開ける。エスティアが言う。


「ありがと。元気そうね」


「はい、お陰様で」


 暗殺者一族の使用人。多少のことでは動揺しないよう訓練されているが、それでも任務途中で戻って来たエスティアを見て内心驚いていた。

 エスティアは慣れた庭を歩き屋敷の門の前に立つ。



(緊張する。この門を見てこんなに緊張するのは、初めてここに連れられてきた時以来かな……)


 エスティはまだ幼かった頃、実家に売られてここに来た時のことを思い出す。


(でもあの時と今は違う。私も自分で考え、自分の意思で行動できるようになった。いや、そうしなきゃいけない。例えそれがお義父様の意思にそぐわないとしても……)



 エスティアが建物の扉を開けようとすると、その扉が先に開いた。


「ラクサ姉さん!?」


 そこには短髪の義姉ラクサが腕を組んで立っていた。驚くエスティアにラクサが言う。



「もしかしたら来るんじゃないかなってな」


 エスティアは既に自分の知らない所で何かの話が進んでいるのだと気付いた。エスティアが懐から義姉の短刀を取り出し手渡して言う。



「これ、返すわ」


「ああ、ありがとう……」


 エスティアはそれ以上何も言わずに屋敷の中に入る。

 張りつめた空気。一瞬でも気を抜けば何をされるか分からない緊張感。


 ラクサは決意堅い義妹が横を通り過ぎるのを黙って見つめた。




 コンコン


 義父バルフォードの部屋の前に付いたエスティアがドアをノックする。

 大きく真っ黒なドア。昔と同じく威圧感のあるドア。

 バルフォード程の者になれば廊下を歩く足音、そしてノックの音で誰が来たのかが分かる。エスティアは大きく深呼吸をして返事を待った。



「入れ」


 中から低く静かな声が聞こえた。

 エスティアは全意識を体に集中してドアを開け中に入る。




「お義父様……」


 その薄暗く広い部屋にある机に義父バルフォードが座っていた。

 エスティアが気配を探る。この部屋にバルフォード以外の人物はいないようだ。つまりにさえ気を付けていれば殺される心配はない。エスティアを見たバルフォードが尋ねた。



「久しぶりだ、エスティア。で、お前は今大事な試練の最中、一体どうしたんだ?」


 エスティアは何もかも知った上でそのような質問をする義父に単刀直入に尋ねた。



「どうして私達を襲ったの? 勇者レインは私の標的のはずよ!!」


 バルフォードは椅子に座ったまま葉巻に火を付けて言った。


「何のことだ? 言っている意味が分からないぞ、エスティア」



 白を切る義父にエスティアが言う。


「答えて! どうして私の任務中に勇者レインを襲ったの? どうしてそこまで彼にこだわるの?」


 真剣な視線をバルフォードの目から逸らさないエスティアが再度尋ねる。バルフォードが答える。



「何かお前は勘違いをしているようだな。それよりお前こそどうしてここに戻って来た? 任務中の帰省はご法度だぞ」


「私は、私の心で動く。納得できない暗殺は、できない……」


 エスティアは少し悲しそうな顔をして言った。対照的に厳しい視線をエスティアに向けるバルフォードが言う。



「個々の感情などどうでもいい。心を殺して、を殺して任務に当たる。それが仕事、それが暗殺者だっ!!」


 大きな声で怒鳴る義父にエスティアが一瞬黙る。そして強く心に思う。



(それは分かる。分かってる。暗殺者失格なのかも知れない。だけどやっぱり理由ない暗殺には同意できない。私の心がそれを受け入れない!!)


「分かってます。だけど……」


 義父を睨みつけるように声を出すエスティア。バルフォードが言う。



「もういい。お前とこれ以上話をしても無駄だ。もうもできないだろうし」


(えっ!? どういう意味、それ……!?)


 エスティアは義父が放った言葉の意味が理解できず考える。そして感じた。



(誰っ!? 誰かいる!!!)


 突然感じる義父とは別の人間の気配。しかしそれを感じると同時に目の前の景色が揺れ始めたことに気付いた。

 直ぐに襲う激しい頭痛。エスティアはその場に倒れながら部屋の隅に居た綺麗な女性の足を見つつ意識を失った。



「本当はこんなことしたくないんだけどね~」


 その足の綺麗な女性は、部屋の四隅に置かれたを拾いながら言った。バルフォードが言う。



「ご苦労、シャルル。エスティアを彼女の部屋に運んでおけ」


「は~い、分かったわ」


 シャルルはそう返事をすると床に倒れたエスティアの肩を抱き部屋を出る。



「俺も手伝う」


 バルフォードの部屋の前で待っていた妹のラクサがエスティアの肩を担ぐ。シャルルが言う。



「ありがとうね、ラクサ」


「ああ、殺されるよりはましだから……」


 ラクサは納得いかない顔をしつつもそれに耐えエスティアを彼女が使っていた部屋へと運ぶ。



「姉さん、俺は……」


 部屋のベッドに運ばれそこで眠るエスティアを前にラクサがシャルルに言った。



「何も考えない。何も思わない。私達は暗殺者。今こうしてエスティアが私達の前で息をしていることを喜びましょう」


「ああ……」


 ラクサは目の前で眠るエスティアを見て目頭を熱くした。






 翌朝、自分の部屋で眠るエスティアに声が掛けられた。


「エスティア」


 エスティアはぼうっとする頭の中で誰かに呼ばれていることに気付いた。そして目を開ける。そこには義父バルフォードが立っていた。



「お、お義父様!?」


 エスティアは驚いて半身起き上がる。バルフォードが言う。



「許可もなしに部屋に入ってすまなかった。の時間になっても来ないので心配してな……」


 エスティアは部屋にある時計を見て驚く。


「ご、ごめんなさい!! 私、寝坊しちゃったみたい!!」


 慌てるエスティアにバルフォードが言う。



「構わぬ。毎日の訓練で疲れているんだろう。準備をして朝食をとったら来なさい」


「は、はい!」


 エスティアは自分を恥ずかしく思いながら返事をした。バルフォードが言う。



「じゃあ、訓練場で待っている」


「はい、ごめんなさい。お義父様……」


 バルフォードはエスティアに笑顔を向けて部屋を出て行った。

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