45.ミシェル姫の陰謀

「しまった。私としたことが……」


 ラクサは椅子に座ったままひとり落ち込んでいた。窓際で腕を組んでいた姉のシャルルが声を掛ける。


「仕方ないわよ。落としちゃったんだから」


 ラクサはエスティアと戦った際に不意を突かれて短剣を弾かれ、そしてその場に残してきたことを悔やんだ。ラクサが言う。



「絶対に気付かれたよなあ、エスティアに……」


 シャルルが言う。


「そうねえ~、あの子、ああ見えても暗殺者としての腕は一流だからね。すぐに気付くと思うわ」


「だよなあ……」


 ラクサは溜息をつきながら言う。

 そして思い出すエスティアのとの戦い。もちろん殺すつもりはなかったが、一切手を抜いた訳でもないのに押され気味であった。

 今でも残る刃と刃がぶつかった時のジンとした衝撃。義姉として強くなった妹の成長を喜ぶと同時に複雑な心境にもなる。シャルルに言う。



「なあ、俺達、本当に……」


 シャルルが人差し指を口に立ててラクサを見つめる。静かになるラクサ。シャルルが言う。


「それ以上は考えなくてもいいのよ。私達は私達の仕事を行う。例え


 シャルルは笑顔で言ったが、その顔は笑っていなかった。ラクサが返事をする。


「ああ、分かってる……」


 暫くの間、ふたりの間に沈黙が流れた。






(姉さん……)


 エスティアは拠点ホームに帰って来てから自室にいることが多くなった。机の上に置かれた義姉ラクサの短剣。使い込まれた品で柄の部分に彼女の所有物であるRの文字が刻まれている。


 本来、暗殺者は身元が判明するのを嫌うので持ち物に自分の印などを入れることはなかったのだが、ラクサにとってこの短剣は特別な物であり『絶対に無くさない』との自信もあって特別に文字を刻んでいた。

 もちろんエスティアもそれを知っている。だから気付いてしまった、戦ったのが義姉であるということを。



(どういう事なんだろう、家が本格的に勇者暗殺に乗り出したってこと? でも、一応形式上は私が任務に当たっている。お義父様だってそれは知っているし、途中での横やりはご法度。でも、実際起きた。どういう意味だろう……)


 エスティアはひとりどれだけ考えても答えは出なかった。



(私は狙われてなかった。でもレインは狙われていた。そしてそれらに私の一家が絡んでいる。何も分からなくても今はその事実だけを胸に刻んで置こう。そしてそれはまだ秘密に。まあ話せないけどね。話す時は、そう……)


 エスティアは鏡に映った自分を見て言った。



「何かが終わる時、そして始まる時……」


 エスティアはしばらく自分の顔を鏡で見つめた後、食事の為に部屋を出た。






「姫っ、ミシェル姫!! どうかご慈悲を!! 私を見捨てないでください!!!」


 ミシェル姫は自分の前に膝まづく貴族の若い男を上から見下ろしながら言う。



「ああ、あのガゼニル家のベルグラント様が、ああ、何て無様なお姿で」


「姫、姫、私は、私はあなたが居ないともう……、ぎゃ!!」


 足元にすがりつこうとしたその男を足蹴りにするミシェル。そして笑いながら言った。



「もう飽きたの。あなたに飽きちゃったのよ。だから消えて。私の前から消えてくださる? もう二度とその無様な顔を見せないで頂戴。言いつけを守らなければ、いい? あなたの家、潰すわよ」


「ひ、ひいぃ!!」


 足元にうずくまっていた男は情けない声を上げるとそのまま逃げるように去って行った。ミシェルは自分専用の豪華な椅子に深く腰かけると詰まらなそうな顔で言った。



「ああ、くだらない。貴族の男なんてみんな腰抜け。もっと強い男。強い男がいいわ」


「……」


 姫ミシェルの傍で無言で立つ若い女。若いながらも非常に有能な侍女で、ミシェルの父ランシールド王国が自ら命じて娘のをさせている。ミシェルが言う。



「ねえ、エリス」


「何でしょうか?」


 ミシェルは前を向いたまま女に言う。


「私ねえ、勇者が欲しい。勇者レインが」


 エリスが無表情で答える。



「前にも申しましたがそれはなりませぬ。レイン様は勇者とは言え一般人、姫とは身分の差が大きゅうございます。それは国王であるお父様からも……」


「欲しいのよっ!!! 欲しいの!! レインが!!!」


 突然大きな声を上げたミシェルにエリスが少しだけ表情を変える。


「なりません。それは決してなりませぬ」



「ちっ」


 ミシェルはひとり舌打ちをする。しかしにやにやと笑いながら思った。


(いいわ、見てなさい。私に不可能などないことを分からせてあげる。お父様にも、ね……)


 無表情で立つエリスの隣で、ミシェルはひとり気味の悪い笑みを浮かべて笑った。






「レインさん、お手紙ですよ」


 食事に現れたレインにティティが手紙を渡す。それを手にしたレインの表情が変わる。手紙にはランシールド王国の紋章が刻印されていた。この紋章を使用できるのは王族のみ。

 レインは手紙を手にしながらそれをじっと見つめる。



(王族から直々に手紙とは。嫌な予感がする。何だろう……)


 レインは皆より先に食事を済ますとひとり部屋に戻りすぐに封を切り中身を読んだ



(私に? 一体何の用だ……?)


 それはランシールド国王の娘であるミシェル姫から『重要な用件があるから登城せよ』との命が記されていた。



「重要な用件とは一体……」


 更にこのことは極秘事項なので決して他言しないよう記されていた。


(明日の朝一番で登城か。皆に気付かれぬようここを出なければな……)



 レインは一抹の不安を感じながらも、王族の呼び出しには素直に応じようと思った。やはり重要な用件と言うのも気になる。ギルドを通すこともできない依頼なのかもしれない。レインは色々と考えながら眠りについた。






(エスティア……)


 翌朝、エスティアの部屋の前を通りレインは、最近すっかり元気のなくなってしまったエスティアを思って心を痛めた。先のニセの人身売買組織密会の情報、どれだけギルドを調べても情報元は架空の貴族であり嵌められた原因は特定できなかった。

 それよりもレインはあれ以来元気のないエスティアの方が気になっていた。彼女は何も話してくれない。でも何か悩んでいることは明白だった。


(私にできることがあれば……)


 レインは自分の不甲斐なさを情けなく思った。そしてそのまま静かに拠点ホームを出てランシールド城へと向かった。





「レイン様、よくいらしてくれました」


 ミシェルはランシールド城の姫の間へやって来たレインを見て笑顔で言った。

 一面大理石の床、壁には大きな鏡や父であるランシールド国王やその妃の肖像画が掛けられている。壁自体は白色を基調とした明るい色合いで、金色の細かな装飾が付けられて豪華さを強調している。

 また部屋の隅にはひとりで寝るには大きすぎるベッドも置かれている。



「レイン・エルフォード、お呼び頂き馳せ参じました。して、重要な用件とは一体?」


 ミシェルはひとり用の大きな椅子に座ってレインを見つめる。そして甘えた声で言った。


「用事ぃ? ん~、何だっけかな。それよりもさ、レイン様。私のことどう思う?」


「……」


 突然意味の分からない話を振られたレインが黙ってミシェルを見上げる。そして言った。



「姫にございます」


「は? 何それ? つまらな~い。でもまあいいわ。レイン様やっぱりいい男だし、お強いし。許してあげる」


 状況が理解できないレイン。ミシェルに尋ねる。


「姫、それで重要な用件と言うのは?」


 ミシェルは自分の髪の毛をいじりながら答えた。



「そうそう、そうね。大切なお話。レイン様、私と結婚なさって」


「え?」


 ミシェルを見上げたレインの体が固まる。ミシェルが続ける。



「貴族の男は飽きちゃったの。口ばかりで貧弱だし、ちょっとお金あるからって外で威張ったり。でもレイン様は違うよねえ。本当に強いし、威張ったりしないし」


「姫、仰っていることが良く分かりませんが……」


 ミシェルが少し不満そうな顔で言う。



「だ、か、ら、私と結婚なさい。勇者レイン」


 ミシェルはレインを見つめて言った。レインはふうと息を一度吐くとその場に立ち上がって言った。



「姫、ご冗談ならば私はこのまま退出致します。他の依頼もありますし、大切な仲間が待っています。では御免」


 そう言って振り返って歩き始めようとしたレインの体が急に重くなる。



「うっ……、これは、一体……?」


 レインが周りをよく見ると部屋の四方に呪石が置かれている。そしてその石の傍にはいつの間にか呪術師が立っている。



(しまった。既に姫の術の中か……)


 レインは動かなくなる体に必死に力を入れる。それを黙って見ていたミシェルが立ち上がり、笑いながらレインに近付いて来る。



「おほほほほっ、流石の勇者レインでもこの古代呪石の力には敵いませんのね。動けないでしょ? いいのよ、そのままで。はい、これ」


 カチャン


(な、何をはめた!?)


 ミシェルは手にしていた金色の首輪をレインの首にはめた。そして笑いながら言う。



「あははははっ、これはね『奴隷の首輪』って言って、はめられた者の力を根こそぎ奪うもの。どお? 動けないでしょ? 力でないでしょ??」


 レインはさらに力が抜けていく体を感じながら前に倒れる。



「おーほほほほっ、おーほほほっ。勇者レイン、私が頂くわよお!!!!」


 美しい姫の間に、下品な笑い声が響いた。

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