42.目覚めの口づけ

 レインの解呪法を求めてやって来た深い森の屋敷。

 そこに居た小柄ながらも強力な魔力を発する老婆にエスティアは飲み込まれそうになる。しかし声を振り絞って言う。


「お願いがあって来ました!!」


 エスティアは目をそらさず老婆を見つめる。一緒に居たレナードが言う。



「婆さん、久しぶりだ。そう言う訳で以前の貸し、ここで払って貰うがいいか?」


 レナードの言葉を聞いた老婆が一瞬頷くそぶりを見せて、消えた。



(え? 消えた!?)


「きゃ!!」


 消えたと思った老婆がいつの間にかエスティアとレナードの間にいる。そしてレナードに向かって言った。



「何だい、私への貸し、もう使ってしまうのかい?」


「ああ、そうだ。こいつを診て欲しい」


 レナードはそんな老婆に驚きもせず背にしていたレインを下ろす。老婆が降ろされたレインを見ながらレナードに言う。



「レーちゃんの頼みなら仕方ないねえ」


「そ、その呼び方は止めろっ!!」



(レ、レーちゃん!?)


 エスティアはにこにこしながらレナードと話す老婆を驚いて見た。エスティアの存在などまるでないようにレナードと話している。レインを見ていた老婆が言う。



「これは呪石による呪いだね。……愛の呪い。そう、これは愛の呪いだよ」


「愛の呪い?」


 エスティアが老婆に言う。

 老婆はエスティアの存在に初めて気づいたような顔をして答えた。



「そう、愛する者を眠らせる呪い。いつ呪われたのか知らないが、これは酷いねえ。明日の朝にはもう死んでしまうぞ」


「ええっ!!! そ、そんな」


 それを聞いて驚くふたり。特にエスティアの顔が真っ青になる。レナードが言う。


「解呪法はないのか?」


 老婆が笑って言う。


「あるさ。この呪いの解呪はそれほど難しくはない。が見つかれば、だが」


「その人?」


 エスティアが難しい顔をして言う。老婆が説明する。



「そうだ。この男が心から愛する女性が、この男を心から想いながら口づけする。それだけだ」


「えっ!?」


 驚くふたり。老婆が言う。


「簡単だろ? お互いを心から愛し合う者が唇を重ねることで目を覚ますことができる。私が眠ったら、レーちゃん。口づけしてくれよ」


「な、何を言っている!! そんな事よりも、その女ってのは……」


 老婆がエスティアを見て言う。



「お前でいいのか?」


「え、ええっと、その……」


 突然聞かれたエスティアが顔を真っ赤にしながらしどろもどろになっていると、レナードがその背中をドンと叩いて言った。



「そうだ、婆さん。こいつだ。よろしく頼む」


「レナードさん……」






「レインさん、大丈夫でしょうか……」


 拠点ホームで心配そうな顔でマルクが言った。ローランが答える。


「大丈夫だよ、安心しな」


「でも……」


 泣きそうな顔になっているマルクにローランが続ける。



レナードが『心当たりがある』って言って連れて行ったんだ。大丈夫だよ」


「って言うと?」


「レナードは腕っぷしの強さも相当だけど、レインと違って裏の世界に精通している。あたいらの知らないような世界や人脈もある。そんな奴が連れて行ったんだ、エスティアと共に」


「あっ」


 マルクが言う。


「分かったかい? 奴も本気だよ、あの子を連れて行った時点で」


「そうだ、ね……」


 マルクは少し安心したような顔をしてそう答えた。






「ここでいいかい、婆さん?」


 レナードは屋敷の奥にある部屋の上にレインを寝かせると老婆に言った。


「ああ、そこでいい」


 老婆はそう言うと持って来ていた聖水をレインと、そしてエスティアに振りかける。そして何やら呪文を唱えてからエスティアに言った。



「あとはお前の気持ちをこの男に伝えて口づけだよ。じゃあね」


 そう言ってレナードと共に部屋を出る老婆。

 バタンと言って閉じられる扉。レインとエスティア、ふたりだけの静かな世界がそこに現れた。





「あれで良かったのかい?」


 部屋を出た老婆がレナードに言った。


「ああ、助かる。ありがとう」


 老婆が口をすぼめてレナードに近づいて言う。



「じゃあ、今度は私達の接吻の時間だね!!」


「や、やめろ、ババア!! 気持ち悪いっ!!」


 レナードが老婆の体を押し返す様に言う。老婆が笑って答える。



「冗談だよ、冗談。それにしても、優しいねえ。あんたは」


 レナードは少し間を置いて答える。


「ふざけるな。俺は裏の冒険者レナード様だぞ。それに、俺はあの男が大嫌いだ」


「はいはい」


 老婆は笑いながらその言葉を聞いた。






(レインさん……)


 部屋のベッドの上で眠るレイン。黙ってベッドに横になる彼を見てエスティアが思う。



(奇麗な顔……)


 レインの手を握る。大きな手。この手で何度も救われ、頭を撫でられ、抱きしめられた。

 今は動かないその手を見て涙が溢れる。そして自分に問う。



(私は、あなたを愛しているのでしょうか。自分はレインを殺すためにやって来た暗殺者。仲良くなったのも、お付き合いを受け入れたのも、すべてあなたを殺す為。そんな私にあなたを目覚めさせることなんてできるのかな……)


 そう思いながらエスティアはソフィアが最後に叫んだ言葉を思い出す。



『あなたを愛する私だけが、あなたを救える!!』


 今その言葉の意味がようやく理解できた。エスティアが思う。



(彼女は子供の頃からずっとレインを愛して来た。私のような中途半端な女じゃない。彼女は命を懸けてレインを愛している。私は……、私はソフィアの様にはあなたを愛せない)


 小さな息をする音がレインから聞こえる。

 エスティアは涙を頬に流しながら思う。



(私は暗殺者。今ここで無防備に横たわるあなたを寝首を掻くことは可能……)


 エスティアは腰につけた短剣に手を乗せる。そして力強くそれを握ってから放す。


(できない。やっぱりね、できないよ。だって私、まだあなたの極悪非道人の証拠を見つけていないし、それに……、それにもう分かっているの……)


 エスティアが大粒の涙を流しながら、横になるレインの顔に両手を添える。そして思う。




 ――私は、あなたを愛しています



 エスティアは目を閉じてゆっくりとレインに唇を重ねた。そして強く願う。



(起きてレイン。私の想い、届いて、あなたに……)


 エスティアは涙を流し、唇を重ねながらレインの頭を抱きしめる。



 しかし目覚めないレイン。

 エスティアは顔をぐしゃぐしゃにして心の中で名前を叫ぶ。



 ――レイン、レインーーーーーーーっ!!!!



(えっ?)


 その時、ゆっくりと眠っていたレインの両手が動き、唇を重ねていたエスティアを抱きしめる。



「レイン、さん……?」


 レインは目を開けながら小さな声で言う。



「これは夢なのかな……、エスティアが私に口づけしてくれている……」


 エスティアの目から更にたくさんの涙が溢れ出す。


「レインさーーーーんっ!!!」


 そう言って大声で泣きながらレインに抱き着くエスティア。

 レインは目覚めたばかりで状況がつかめない。ただ自分の上で大泣きするエスティアを見て一言いう。



「何があったのか全く覚えていないが、ありがとう。エスティア。君が助けてくれたんだね」


「レインさん、レインさん!!!」


 エスティアはただただ泣きながらレインの名前を呼んだ。

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