35.エリオットのパン

「はあ、はあ……、もう真っ暗だよ」


 エスティアは急いでエリオットを迎えに彼を放置してきた山へ向かった。



 カーン、カーン……


 真っ暗な山の中で響く剣で木を叩く音。その音に向かってエスティアが走る。



「やあ、頑張って木を切っているね!」


 突如暗闇の中から現れたエスティアを見て一瞬驚いたエリオットだが、すぐに泣きそうな顔になって言った。



「お、おまえ、エスティア! どうしてこんなところに置いて行くんだよ!!」


「ごめんね、ちょっと迎えが遅れちゃったわ」


「ふ、ふざけるなよ!! 僕はジャンフェナーデ家の嫡男の……」


 そこまで言ったエリオットにエスティアが尋ねる。



「で、どんだけ木を切れたの? 見た感じ全く倒れていないようだけど?」


 エリオットが怒って言う。


「こんなのまったく切れる訳ないだろ!! あれだけだよ!! そもそもこんな剣で……」


 エスティアは少し離れた場所にある切り倒された細い木を見てから言った。



「全然ダメじゃん。まあ今日は初日。明日からまた頑張ろうね」



「ふ、ふざけるなよ!! 僕はこんなの望んでいない!! 僕は君が欲しいんだ!! 僕の女になれよ。ほら、こういった宝石だって幾らでもくれてやるぜ!!」


 エリオットはそう言うと懐からたくさんの宝石の付いた豪華な首飾りを取り出した。そしてエスティアに近付いてそのネックレスを首に付けようとする。



「痛ててててっ!!!」


 一瞬。ほんの一瞬でエスティアが消えたと思ったエリオットは、すぐに腕に激痛を感じて声を上げた。気が付くとネックレスを持っていた腕が逆方向にねじ上げられ、無表情のエスティアが睨みつけている。そして抑揚なしに言った。



「馬鹿なの、あなた? 私がそんなもの欲しがると思っているの?」


 エリオットは汗をかきながら答える。


「ど、どうしてだ? 俺の女になればこんなプレゼントなど幾らでも……」


 エスティアが持っていた腕に更に力を込めて言う。



「そもそもそのネックレス、どうやって手に入れたの?」


「パ、パパにお願いすればこんなものすぐに……」


 エスティアは持っていた腕を離す。そして腕を押さえるエリオットに言った。



「本当にダサダサね。あなた、一度は自分で稼いだお金で女の子に何か贈ったことあるの?」


 エリオットが驚いた顔で答える。


「あ、当たり前だ。そもそも僕は毎月給金を貰ってそれで生活している」


「給金? 誰に?」


「パパに」


「仕事は?」


「仕事は屋敷にやって来た女の子の相手とかしている」



「はあ、そりゃダメだ……」


「は? 何がダメなんだ?」


 エスティアが言う。



「それ遊んでるだけじゃん。しかもたったそれだけの事で大金貰っているんでしょ? 論外よ」


「じゃあ、どうしろって言うんだ?」


 エスティアは少し考えてから言った。



「そうね、街中に張ってある求人から応募してみて。身分を隠して。そこで働けばお金の大切さが分るよ」


「な、なんで、僕がそんなことを……」


 まったく言っている意味が理解できないエリオットが言う。エスティアが言う。



「ま、どうせあなたにはできないでしょ? そんなこと」


「な、何を!! ぼ、僕だって!!」


 憤るエリオットにエスティアが笑って言う。



「まあ、別に無理して分からなくてもいいわ。さあ、帰るわよ」


「あ、おい、待てよ。僕を置いてくなよ!!」


 エリオットは闇夜に消えるエスティアを必死に追いかけた。





「エリオット様ああ~!!」


 拠点ホームに戻って来たエスティア達。エリオットの帰りをずっと待っていた令嬢達がその無事な姿を見て安堵の涙を流して抱き着いた。エリオットが言う。


「おうおう、僕のカワイ子ちゃん達。寂しい思いをさせてごめんよ。僕に会えなくて寂しかったかい~」


 エリオットは令嬢達に抱き着かれ満面の笑みを浮かべてエスティアを見る。



(何そのドヤ顔? バッカじゃないの、この男。暗殺の対象に入れるわよ!!)


 エスティアは敢えて無表情でその光景を眺めた。エリオットは令嬢達の腰に手を回しながら言った。



「じゃあね、また」


 エスティアとレインは軽く手を上げて出て行くエリオットを見送った。





「本当に失礼な女ですわね!!」


 エリオットと同じ馬車に乗った令嬢達がつぶやく。エリオットはずっと黙って馬車の窓から外を眺めている。令嬢が言う。


「これから、エリオット様のお屋敷にお伺いしてもよろしいでしょうか? 大好きな愛の全身マッサージをして差し上げますわ」


 それを聞いたエリオットが言う。



「いや、今日はいいよ。疲れたんだ」


「じゃあ、明日は……」


「ごめんよ、明日もちょっと行かなきゃならない場所があって……、さあ、着いた。君達、今日はありがとう」



「えっ? エ、エリオット様っ!?」


 エリオットは令嬢達に手を振ると、ひとり馬車を降り自分の屋敷へと消えて行った。




 翌朝、エリオットはひとり王都にあるパン屋の前に立っていた。


(これで何十件目なんだろうか。雇って貰うだけでどうしてこんなに大変なんだ? だけど絶対諦めない!!)


 エリオットは求人の紙を持ってパン屋のドアを開ける。



「あのー、ここで働きたいんだけど」


 店の奥から威勢のいい声が響く。


「おう、ちょうどいい。今すごく忙しいんだ! すぐにこっちへ来い!!」


 エリオットは言われたままに店内へ入って行った。




(疲れた……、一日働かされて、本当にたったこれだけなのか……)


 エリオットは夜になって店を出て、手にある数枚の銅貨を見て思った。そしてその僅かな銅貨をポケットに入れひとり屋敷へと帰って行った。





「あれ? エリオットはもう来なくなったのか?」


 拠点ホームの今で寛ぐエスティアにレインが尋ねた。エスティアが答える。


「ええ、一週間ほど休みが欲しいって連絡がありました。初日以外来ていないです」


「そうか……」


 レインは少し安心したような顔をしてエスティアの横に座る。同時に漂う甘い香り。レインは周りに誰も居ないことを確認してから、膝の上にあるエスティアの手に自分の手を載せて言った。



「エスティア、私をあまり心配させないで欲しい。君が他の男と一緒と思うだけで私は……」


(いやいや、まだ初日しか一緒に居ないし、しかもその日だって連れて行って山に放置してきただけだし……)


 エスティアは真剣に悩むレインの顔を見て言った。



「大丈夫です。心配なさらないでください」


「エスティア!!」


「きゃ!!」


 レインは隣にいたエスティアを力強く抱きしめた。そして小さく言う。



「私は、私は、君がいないと……」


 そう言ってエスティアの唇を求めるレイン。エスティアは首を横に反らしてそれを断る。



「ここじゃあ、ダメですよ」


「エ、エスティア……」


 レインが寂しそうな顔をする。



「あー、こんなところで乳繰り合ってるう!!」


 突如ふたりの背中から掛けられる甲高い声。振り向くとそこにはにこにこと笑うティティの姿があった。慌てて離れるふたり。


「す、すまない、ティティ。我慢できなくて……」


(は、恥ずかしい~)


 エスティアは顔を真っ赤にして下を向いた。







(そう言えば昨日で一週間経ったよね。あのボンボン、今日来るのかな?)


 エスティアがふとそんなことを思っていると、拠点ホームのドアがゆっくりと開かれた。



「エスティア……」


「あれ、エリオット? ど、どうしたの!?」


 一週間ぶりに現れたエリオットに少し驚くエスティア。少し印象が違う。前のような軽い感じが抜けてスマートになっている。

 エリオットはエスティアにひとつの紙袋を渡した。



「何これ?」


 エスティアがその紙袋を受け取る。少し温かく、そしていい香りがする。エリオットが言う。



「パンだ。僕が今朝焼いた」


「パン?」


 エスティアが不思議そうに言う。エリオットが答える。



「うん、あれからパン屋で働かせて貰って、まだ早いって言われたんだけど何とか僕に店のパンを焼かせて貰って、それを買って来たんだ」


「へえ~、そうなんだ」


 エスティアはそう言って紙袋を開ける。こんがりとしたいい香りがエスティアの顔を包み込む。エスティアが言う。



「食べていいの?」


「ああ、もちろん。君を想って焼いたんだ」



(えっ? な、何言ってるの……)


 そう思いつつも素直になったエリオットの笑顔を見てちょっとだけどきっとしたエスティア。黙ってパンを取り出し口に入れる。



「美味しい!!」


 焼きたての手作りパン。作り手の気持ちがこもったパンは間違いなく美味かった。エリオットが安心した顔で言う。



「良かった。喜んで貰って。受けて貰えて。嬉しいよ、エスティア」


 エスティアが尋ねる。



「これ、自分で働いて買ったんだよね?」


「ああ、大変だった……」



「そうか、それはよくやったね。よしよし」


「えっ?」


 エスティアはエリオットに近付くと笑顔でその頭を撫でた。驚くエリオット。そして何故かどきどきが止まらなくなる。



「エ、エスティア……」


 エリオットは思った。

 心から本気で目の前の女性を愛おしく思った。

 これまで周りにいた女達とは違う、真剣に自分に向き合ってくれる女性。お金や地位など関係なく自分に接してくれる存在。あの勇者レインが惚れるだけの理由がようやく分かった気がする。

 エリオットはいい加減だったこれまでの自分が恥ずかしくなった。そしてその目に自然と涙が出る。



「あれ、どうしてかな……」


 涙を拭うエリオット。

 それを見たエスティアが言う。



「どうしたの?」


 エリオットが答える。



「何でもない。今日からまた剣術を教えてくれるかな」


「いいわよ。私、厳しいから覚悟してよね。山放置とか」


 エリオットが笑って答える。



「分かってるよ、そんなこと」


 エスティアもそれを見て一緒に笑った。

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