24.人身売買の密会?
「眠れんかった……」
エスティアは結局、夜一睡もできないまま朝を迎えた。
(唇……、お姫様抱っこ……、わ、私……、う~)
どれだけ必死になって眠ろうとしても、レインの唇、自分を軽々と持ち上げるお姫様抱っこ、そしてくすぐったい鳥肌が立つ様な感覚が一晩中体を襲い全く眠れなかった。目を閉じても頭に浮かぶのはレインのことばかり。
朝になって思い出すだけで心臓がドキンドキンと高鳴ってしまう。
(顔が火照ってる……)
ベッドで天井を見つめたままエスティアは自分の頬に手を当て赤くなっていることに気付いた。寝不足か、興奮か、はたまたその両方か。エスティアはまだぼんやりする頭で立ち上がり朝の支度を始める。
(あんなことされたら、私……)
エスティアは認めちゃいけない気持ちを整理する様に大きく息を吸って吐き出す。そして頭を左右に振って別のことを考える。
(あと、あそこにいた暗殺者……、やはり引っかかるわ……)
間違いなく訓練を受けた一流の暗殺者。自分と同じ者の匂い。それもひとりやふたりではなく、組織としてあの拠点に滞在していた。エスティアは更に考える。
(だけど、そもそもレインはどうして自分の組織の拠点を潰しちゃったのかしら? 怪しまれないため? でも、昨日流した涙は決して嘘じゃないと思うし……)
エスティアは両手で顔をバンバンと叩き前を見て思う。
(ああ、もう分からないことを悩んでいても仕方ないわ! 私の仕事は暗殺。勇者レインの暗殺。今はそれをやるだけ。そう、暗殺……)
エスティアは鏡に映った自分の悲しそうな顔を見て思う。
(まずは私の魅了でレインを落とす。私の魅了で、彼をもっとメロメロにして、キスだけじゃなくもっともっとふたりで……)
そこから先を想像して顔を真っ赤にするエスティア。
(わ、私は何を考えて……、いやこれは任務に必要だから、そう、必要だからやるだけ!! が、頑張れ、私っ!!)
エスティアは拳を作ってそれをひとり真上に上げた。
(はあ、暗殺者失格よね、本当……)
朝食を終え、ひとり部屋に戻ってきたエスティアがベッドに座って思った。
冷静を装ってテーブルの席に着いたものの、向かい合って座るレインの顔をまともに見ることすらできずにずっと下を向いて食べていた。
――恥ずかしい!! でも見て貰いたい……
矛盾するふたつの思いがギュウギュウと心を締め付ける。そこには暗殺の『あ』の字も無かった。
(大丈夫。相手を魅了するにはまずこちらも好意を持たなきゃ。そう、そうよ! 以心伝心という言葉もあるし、見て貰うにはこっちもそう言った気持ちが必要だわ。うん、そうよ、絶対、そう!!)
エスティアはベッドに座りながら鏡に映った自分を見る。
(暗殺者の掟は絶対。私は世の為にあいつを殺さなければならない。そう、世の為に……)
ガチャ
そんなことを考えていたエスティアの耳に、どこかでドアの開く音が聞こえた。
依頼がない今日は朝食後、皆外出している。残っているのはエスティアとレインぐらい。エスティアはドアにゆっくり近づくと耳を澄ませて外の音を聞いた。
(外出する!? もしかして、もしかして人身売買の密会に行くの!? いよいよだわ!!)
エスティアはすぐに外出の支度をして気配を消し、レインの後を追う様に外へ出る。
レインは以前少女の服を買いに出掛けた時に着た目立たないコートを着込み、背には大きな鞄を背負い郊外へと歩き出す。エスティアは絶対に気付かれないよう細心の注意を払って後をつける。
(一体どこまで行くのかしら……)
朝出発したレインは既に昼を過ぎているのにまだまだ歩き続ける。王都からは遠く離れ、辺りに小さな街などがいくつかある程度の地方まで来ている。
(こんなところに人身売買組織のアジトがあるのかしら? うん、そうだわ。目立たないように田舎にあるのよね)
エスティアはあまりにも不自然なレインの行動に、やはり彼が人身売買を行なっていると思い直し始めた。もしここで証拠を掴めば冷酷に徹して任務に当たれる。エスティアは様々な思いを胸にゆっくりと後をつける。
一方レインは、歩きながら昨日のことを思い出していた。
(エスティアは普段通りに見えたが、やはり怒っているだろうな……)
レインは立ち止まって空を見上げる。
(『我慢できなかった』って、それじゃあまるで野獣の様じゃないか……)
そう思いながらもレインはエスティアの小さな体、そして柔らかく甘い唇を思い出す。
(だが、エスティア。私は君の前ではどう足掻いたって……)
――ただの野獣なってしまうよ。
レインは少し笑うと前を向き再び歩き始めた。後をつけていたエスティアが思う。
(えっ、なに? 道に迷ったの? にやにやして……、きっとまた悪いことでも考えているんだわ!!)
エスティアも気配を消して後をつける。
更に歩き続けるレイン。そしてお昼を随分過ぎた頃、とある街外れに古い建物の前へと辿り着いた。レンガ造りの二階建ての建物。古く年季が入っている。四角の窓が規則正しくあり、どちらかと言うと小さな学校のような建物であった。
レインはその建物を取り囲む鉄の柵にある門を開け中に入る。少し錆びた鉄が擦れる音がギイギイと辺りに響く。エスティアは遠くからそれを眺め思う。
(何ここ? ボロボロの建物……、ここが人身売買の拠点なのかしら?)
エスティアはじっとその建物を見つめる。そして聞こえてくる子供達の騒ぐ甲高い声。窓の中には楽しそうに走り回る子供の姿が見える。
(子供!! や、やっぱり子供をここに監禁してるんだわ!!!)
エスティアはレインが完全に建物の中に入るのを確認すると、自身も素早く門に近付き、中に入って建物に近付く。そして聞こえる子供達の声。だがそれはエスティアの想像とは少し違ったものであった。
「きゃはははっ、待て待て!!」
「うわー、やめてよ!!!」
「あははははっ!!」
それは監禁と言うよりも、自由に遊ぶ子供達の声に近かった。エスティアの頭が一瞬混乱する。
(監禁……、って雰囲気じゃないわね。軟禁? それとも何か別の理由が……)
そう考え始めたエスティアの目に、エントランスに掲げられたプレートの文字が映った。そしてそれを読んで驚いた。
(『養護院マリアの家』……、よ、養護院!?)
それは戦争や魔物などによって親がいない子供を預かって育てる施設。魔王や魔物の襲撃が頻繁に起こる中、このような施設の需要は各地に増えていた。エスティアが思う。
(こ、ここが密会の場所なの? なんて手の込んだアジト……、ほ、本当に人身売買なんてやっている拠点なの、ここ?)
一瞬。
ほんの一瞬、動揺したエスティアの気配が乱れた。
バン!!
突然開かれるエントランスのドア。
(しまった!!)
エスティアは戸惑いから強い気配を放出してしまった事に気付いた。
「誰だっ!!!」
ドアを開けて現れたのは勇者レイン。エスティアは建物の壁に座り込み青い顔をしてその男の顔を見つめた。レインが言う。
「エ、エスティア!?」
剣を握り締めていたレインの手の力が抜けて行く。エスティアが慌てて言う。
「ち、違うの。違うんです、レインさん!!」
エスティアを見つめたまま固まって動けないレイン。その後ろからたくさんの子供達が顔を出す。
「あー、この人誰? レイン兄ちゃんの恋人ぉ?」
我に返ったレインが慌てて否定する。
「い、いや、そんな、まだ、そんな訳じゃない、あ、いや、ち、違うぞ……」
明らかに動揺するレインに群がって色々尋ねる子供達。そんな光景をぼうっと見ていたエスティアだが、子供達を落ち着かせたレインが目の前までやって来ると真剣な表情になった。レインが言う。
「エスティア。さ、中に入って。話を聞かせてくれないか」
「は、はい……」
エスティアはレインの言葉に頷いてゆっくりと建物の中へと入って行った。
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