22.暗闇の口づけ

(暗い……)


 その古い洋館に入ったレインとエスティア。ふたりはしっかりと閉じられた分厚いカーテンによって日が届かない暗い部屋を見て思った。レインが小声で言う。


「気を付けて。ゆっくり行こう」


 エスティアは無言で頷く。しかしすぐにその違和感に気付いた。



(何だろう、これ……、何かいる? この感覚、どこかで……、まさか!?)


 エスティアはすべての攻撃・防御を捨てて、気配を察知することに集中する。そして気付いた。



(同業者……、暗殺者がいる!!)


 それはエスティアが長い時間をかけて叩き込まれた暗殺者の気配。ほぼ完全に気配は消されているが、それでも全集中をすることで僅かな動きを察知できる。


(レインは……、気付いていない……)


 一流の暗殺者が気配を消せば、いくら勇者とて容易にはそれを感じることはできない。実際エスティアから見ればレインの行動は目を閉じていても感じられる。



(やられる、このままではレインはやられる……)


 エスティアの額に汗が流れる。

 暗殺者としてはこのような動揺、汗ひとつ流すだけでも失格であったが、目の前を歩くレインを見ているとどうしても心の動きが止められない。


 そしてその瞬間はいきなり訪れた。




(来た!! 横っ!!!)


 レインの真横で気配を消した暗殺者の気が動く。それが一気にレインを襲う。エスティアの体はそのまま歩き続けるレインに向かって勝手に動き出した。



 カン!!


 エスティアのナイフと暗殺者のナイフが甲高い音を立てて響く。すぐに奇襲を知ったレインが剣を抜くが、それよりも先にもうひとりの暗殺者のナイフがレインを襲う。


(危ないっ!!!)


 エスティアは姿勢を崩しながらその敵に体当たりをする。



 ドン!!


(ぐっ!!!)


 素早い動きで体当たりを食らわすエスティア。

 レインは突然の事態に状況が把握できないまま、その信じられない光景を目にした。



「えっ!? エスティアあああ!!!」


 目の前にいたエスティアの姿が一瞬で消えた。正確に言えば突然床に空いた穴にエスティアが落ちて消えて行った。



(えっ、なに、これ? 落とし穴!! トラップ!?)


 エスティアは体当たりをして姿勢を崩していた為、突然空いた穴に対処できずそのまま穴へと落ちて行く。そして直ぐに閉じる穴。レインはその穴を両手で叩きながら叫んだ。



「エスティア、エスティアあああ!!!」


 レインの周囲にいた暗殺者達がその名前を聞いて一瞬動きが止まる。しかしすぐにナイフを構えてレインに向ける。レインはゆっくり立ち上がると剣を抜いて言った。



「どけ、お前ら。今、俺の邪魔をすると殺すぞ」


 放たれる勇者の本気の覇気。それは強烈な怒りを伴い、暗殺のプロである彼らをも凍り付かせた。






「痛ったーい……、死ぬかと思った……」


 穴に落とされたエスティア。下が針とかじゃなくて助かったと思いつつ、叩きつけられた痛みに苦痛の表情を浮かべる。

 光のない暗闇。どこに落とされたのか状況を確認しようとして、突如感じる腕の鈍い痛みに気付き顔色を変えた。



(斬られている……、腕、さっきやり合った時かしら……?)


 エスティアは斬られた腕を少し舐め、直ぐに吐き出す。そして顔をしかめる。



(これは毒。暗殺用の毒が塗ってあるわ。このままじゃ……)


 エスティアは奥歯に仕込んであった解毒剤を噛みきり急いで飲み込む。これで一命は取り留めたが、斬られた右腕が痺れて上手く動かない。それでもすぐに痛みを我慢し集中して周りの気配を探る。



(何人? 四人、いや五人……、くっ、既に囲まれている……)


 エスティアは左手でナイフを握ると周りの気配に集中する。



(どうしてこんなに暗殺者がいるの? しかも相当の手練れ……、どうなってるのよ、一体……)


 エスティアは額に汗を流しながら慣れない左手でナイフを強く握った。





「ふう、こんなところか。急ぐぞっ!!」


 レインは襲い掛かる暗殺者達をすべて倒し、館の中を移動する。侵入者に気付いた館の者達が応戦に現れるが、レインが発する強力な覇気の前に体がすくみ現れてはすぐに倒されていく。レインは走りながら心の中で叫んだ。



(エスティア、エスティア、待ってろ。死ぬな!!!!)


 レインの覇気がさらに強くなる。






「はあ、はあ……」


 エスティアはナイフ片手に暗殺者達に囲まれていた。辛うじて二名ほど倒したがまだ圧倒的に不利な状況である。



(一体どうしてこんなに暗殺者がいるの? なんなのここ? 私、暗殺者に殺されるのかな……)


 解毒剤が効き始めているとは言え、毒のせいで感覚が少し狂って来ているエスティア。少しでも気を抜けば倒れそうになる。

 無言の暗闇。意識を集中する。微かに響くお互いの息の音。先に動いたらやられる。お互いそう思っていた。



(ダメ、意識が……)


 エスティアは斬られた右腕に手を当てる。まだ流血が続いているようだった。極度の緊張に流血。そして毒。逃げようにも相手も暗殺者なので容易ではない。どこまでやれるか分からない、だが命尽きるまで戦わねばと覚悟を決めた。


 その時、その普通じゃない覇気が一体を包んだ。



(えっ!? 何これ……!?)


 エスティア、そして周りにいた暗殺者がその覇気に飲まれて一瞬体が動かなくなる。



 シュン!!! バタン、バタン……


 そして耳に響く剣が空を切る音。周りの者達が倒れて行く音が聞こえる。




「エスティア!!」


 そこには白く輝くレインが立っていた。どれだけ敵を斬ったのだろうか、体中に真っ赤な返り血を浴びている。レインはふらふらのエスティアに駆け寄ると思いきり抱き締めた。そして体を震わせて言う。



「すまない、すまない、私の為に……、生きていてくれて、良かった……」


 エスティアは何故かぼんやりと光るレインに抱かれながらようやく落ち着いて来た。



(ああ、なんで彼に抱かれると、こんなに落ち着くんだろう……、私……)


 腕の傷はまだ痛む。毒のせいか意識もぼんやりしている。それでも感じた。レインの心を、温かさを。そして小さな声で言った。



「良かった。無事で……」


 レインはその言葉に心が震えた。

 自分を守ってくれて怪我をして、こんなになってまで自分のことを心配してくれている。レインはその抱きしめている小さな女の子がとても愛おしくなった。


 真っ暗な暗闇。レインはエスティアの首筋から頬に掛けてゆっくり手を添えると、目を閉じて優しく



(え、え、ええっ、ええええええええええっ!!!!!)


 朦朧としていたエスティアだったが、いきなりの口づけで一気に目を覚ました。



(ちょちょちょ、ちょっとおおおおぉ!!! な、何、してるの!? え、ええっ、口づけ、せ、せ、せ、接吻っ!? 私、キズぅしてるうううぅ!!!!)


 エスティアの全身の力が抜けていく。

 心臓は爆発しそうなくらい音を立て、顔は真っ赤になり湯気が出始める。唇を重ねたまま動かないレイン。エスティアから汗が噴き出し始める。



(い、いや、しかも長いでしょ!? ま、まだ私の唇、貪っている……、でも、でも初めてなのに嫌じゃないとか思っちゃってるのは何故……? きゃー、私……)


 レインは左手でエスティアの体を強く抱き、そして右手は首から頬、そして髪をへと移動していく。



「んん……」


 エスティアが少し声を上げる。


(い、いかん、息が苦しくなってきた……、鼻ばかりで息してるから、グカーグカーと音立てているし、いや、恥ずかしいっ!!)


 そう思っているとレインの右手が背中へと回される。そしてようやく唇を離し、両手で強く抱きしめて小さく言った。



「ごめん、でも、我慢できなくて……」


 エスティアはその声が涙声である事に気付いた。そして言う。



「だ、大丈夫です……」


(いや、大丈夫じゃないでしょ!? ナイフで切られて血ィながし、毒で朦朧な上、穴から落ちて敵と戦ってふらふらな状態で、せ、接吻って!? ああ、体内の血が逆流して、ほら、腕の流血、もう止まらないよ……)



 レインが言う。


「急なことで驚かせてしまったが、いい加減な気持ちじゃない。それだけは分かって欲しい……」


「は、はい……」


 エスティアが小さく答える。レインが続ける。



「そしてこれからもずっと私の傍にいて欲しい……、エスティア……」


 そう言ってレインは再び強く抱きしめる。エスティアが思う。



(い、いや、あんたを殺さなきゃならないから、ああ、そう、そ、傍にはいるけど。それよりも、あ、あんまり強く抱かれると、血ィが、血ィが……)


「血が、血ィが……」


 ようやくエスティアが自分の腕の怪我をレインに知らせる。それを見て驚くレイン。



「うわっ、これは酷い!! どうして黙っていたんだ、待ってろ、直ぐに手当てする!!」


 レインはそう言ってエスティアを寝かせ応急手当を行う。横になりながらエスティアが思う。



(いや、止まりかけていた血、あんたが悪化させたんでしょ……)


 そう思いつつも先程の口づけを思い出しエスティアは再び顔を赤く染めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る