13.認めたくない認めたい気持ち

 土砂降りの雨。嵐のように吹き付ける強風。エスティアの叫び声を聞いたレインがその名を大声で呼ぶ。


「エスティアあああああ!!!!」


 激しい濁流の川の中に落ちたエスティア。レインは躊躇ためらいもなく川に飛び込んだ。



 ゴオオオオオオオ!!!


 荒れ狂う濁流の中、必死にエスティアを探すレイン。強烈な水の勢いに逆らって水面、水中にもぐりエスティアを探す。しかし圧倒的な自然の力の前に徐々に体力が落ちて行く。


(ダメだ……、力が出ない。そうか、俺、泳げなかったんだよな……)


 レインは水に沈みながら体に力が入らなくなるのを感じる。しかし同時に頭に浮かぶエスティアの笑顔。レインは気合を入れて剣に手を掛けた。





「ぷはーーーーっ!! い、いや、本当に死ぬところだった……、はあはあっ」


 濁流から岸に上がったエスティアが大きく息をつきながらひとり言った。

 息を整えながら地面に座り暴れる竜の如く流れる濁流を見つめる。滝の様に降り続ける豪雨、嵐のような風。落ちればまず助かることのないような荒れた川であったが、エスティアは暗殺訓練で得た特殊な遊泳技術のお陰で辛うじて川から這い上がることができた。

 そして自分を追って川に飛び込んだレインの姿を思い出す。



(や、やったわ。あいつも確かに飛び込んだはず。これなら確実にれるはず……)


 エスティアは大きく息をしながらその濁流を見つめる。轟音を立てながら流れる川。容赦なく降りつける雨。エスティアが少し暗い顔をしてそれを見つめる。


(あ、あいつ……、少しは私の魅了に掛かってくれたのかな……、躊躇ためらいもなく飛び込んじゃって……)


 エスティアの脳裏にレインが必死になって川に飛び込む光景が蘇る。真剣な顔。勢いよく飛び込む姿。エスティアの心臓の鼓動が速くなる。そして気付いた。



「あれ、私、泣いている……?」


 雨ではない。それは紛れもなく自分が流した涙。その時だった。



 ドオオオオオオン!!!!


「えっ!?」


 エスティアがその音がした川の方を見ると、水面から竜巻の様なものが上空に伸びている。そしてその中心には剣を持った勇者レインの姿が見える。回転しながら竜巻を起こす勇者の剣技のようであった。



「レイン!!」


 しかしレインは気を失っているのか、上空に飛んだ後そのままぐったりとしたまま音を立てて川に落ちた。




 ドボン!!!


 エスティアは無意識に川に飛び込んでいた。


(死んじゃう、死んじゃう。あれじゃ本当に死んじゃうよ!!!)


 濁流の中を泳ぎながらエスティアは、本当はレインを殺そうなんてことは全く思っていないことに気付いた。




 ――試したかった


 私のことをどう思っているのか。

 私が困ったら助けてくれるのか。

 酷いことをしても私を見てくれるのか。


 本当に来てくれるのかな……



「ぐぼぼぼっ、ぐふっ!!」


 泳ぎが得意なエスティアですら体の自由があまり効かない濁流。容赦なく水が口に入る。しかし思う。



 ――助けなきゃ!! 私があなたを助ける!!!


 暗殺者はどんな時でも体力の一部を残して行動する。最後逃げられなくなるのを防ぐのと、暗殺に失敗し捕まった際に自害する為である。

 だがエスティアは初めて全体力を使って救助に向かった。



(いた!!!)


 時々浮かんでは沈み川に流されるレインの姿をようやく発見。エスティアは体中の力を全て出して泳ぎレインの体を掴む。容赦なく体に当たる濁流。重いレインの体。



 ドン!!


「きゃあ!!!」


 エスティアはレインの体を抱きしめたまま流され、思いきり崖にぶつかった。



(痛い、痛い、背中が……、でも、掴んだわ!!)


 エスティアは崖に背中をぶつけながらもその崖の岩を片手で掴む。そして顔を水面に上げ冷静に周りを見渡す。



(あそこ……、このまま真っすぐ流れて行けばあの岸に上がれる!!)


 片手で抱きしめているレインの体は既に冷え切っており反応もない。一刻も早い応急処置が必要である。



「行くわよっ!!!」


 エスティアは気合を入れると崖から手を放し、レインを抱いたまま這い上がれそうな岸に向けて泳ぎ出す。



 ドン!!!


「ぐっ!!!」


 再び自分の体を岸に当てるエスティア。そして岸にある岩を掴むと思いきり力を込めた。



「うぐぐぐぐっ!!!!」


 先程よりは低い岸。レインを掴んだままのエスティアは体の力を振り絞って自分と、そして意識のないレインの体を引き上げた。




「はあ、はあ、はあ……、あ、あそこへ……」


 川から這い上がったエスティアは、すぐ近くに人が数名入ることができるようなくぼみを見つけた。あそこに行けばとりあえず雨風を防ぐことができそうだ。

 エスティアはレインの肩を担ぐとすぐにそのくぼみへと移動する。




「い、息をしていない!?」


 エスティアはすぐにレインの異常に気付いた。

 そこからのエスティアの対応は速かった。


 すぐに気道を確保し、腕で胸骨圧迫を行う。それに合わせてレインの口から人工呼吸。それをセットにして自分で呼吸ができるまで続ける。



「お願い、お願いだから息をして!!!」


 エスティアは泣きながらレインの心肺蘇生を続ける。そしてレインが動いた。



「ぶはっ、はあ、はあ……」


 レインが少し水を吐き、そして自分で呼吸を始めた。



「よ、良かった……」


 まだ目を閉じ反応はないが、最悪の事態は回避できたようでエスティアはひとまず安堵する。しかしすぐに冷え切ったレインの体を温めなければならない。

 どうしようかと周りを見回すエスティア。しかしただの崖にあるくぼみ。使える物など何もない。

 エスティア決意し自分の上着を脱ぐと、すぐに彼の濡れた服も脱がす。そして横になるレインの上半身を抱きしめながら、壁に向かって魔法を唱えた。



「火神フレイムの契約により発動せよ! ファイヤ!!!」


 エスティアは疲労で自身も倒れそうになりながら、無我夢中で魔法で壁に火を起こす。一刻も早く体を温めないと低体温症で再び命を落とす危険がある。



「ファイヤ、ファイヤ……」


 ただの崖のくぼみ。燃やせるものは何もない。エスティアはひたすら自分の命を燃料に魔法を唱え、体を温める火を灯し続けた。

 雨は防げたが、横から入る強い風が容赦なく火を消そうとする。その度にエスティアは再度強く魔法を掛け直す。エスティアは気を失いそうになるのを必死に耐えながら魔法を唱え続けた。





「……レビン。起きてよ、!!」


(あれ? ラスティア……?)


 レビンが目を開けると涙を流しながら自分の名前を呼ぶラスティアの顔が目に入った。ラスティアが言う。



「良かった、目が覚めて……」


 そう言ってラスティアは膝の上に寝かせていた恋人レビンを抱きしめる。



「俺……」


 ラスティアが言う。



「あなた泳げないのに、ほんとに無茶ばかりして……」


 レビンは思い出した。

 川に来て遊んでいたふたり。川の中で倒れて溺れそうになったラスティアを助ける為に、泳げない癖に飛び込んだレビン。

 浅い川で大事には至らなかったが、結局ラスティアに助けられて介抱を受けていた様だ。



「ごめん、俺、泳げないのに、無茶しちゃって……」


「大丈夫よ、レビン……」






「……イン、レイン、レインさん!!!」


「エスティア……?」


 レインは目が覚めると目の前で涙を流すエスティアの顔が目に入った。エスティアは少し笑いながら小さく言った。



「泳げないって、それなのに無理ばかりして……」


 エスティアの膝の上で横になっているレイン。状況は分からなかったが、ただひとつ彼女に助けられたことだけは理解できた。




 ドン!


 レインを介抱していたエスティアがそのまま横に倒れて気を失う。



「エスティア!!!」


 慌てて飛び起きるレイン。そして倒れたエスティアを抱きしめながら周りを確認する。



(川に飛び込んだのに……、ここは崖のくぼみ? 僅かにまだ暖かい。そしてあの壁の焦げあと、まさかずっと魔法で?)


 レインは外の豪雨、そして川に飛び込んだにもかかわらず自分やエスティアが着ている服がすっかり乾いていることに驚いた。

 そして同時にこの気を失っている小さな女の子が全力で自分を救ってくれたことを理解した。



「エスティア……」


 レインが大粒の涙を流しながらその衰弱した小さな体を抱きしめる。



(私が、私が守ると誓ったはずなのに、逆に助けられてしまうとは……)


 レインはエスティアをぎゅっと抱きしめると、吹き付ける風から彼女を守りながら目を閉じる。



(エスティア、あとは私に任せろ。必ずお前を、助ける!!!)


 レインは不思議と体の底から湧き上がる力を感じながらエスティアに誓った。






「あれ……?」


 エスティアは大きな背中の中で目が覚めた。レインが言う。


「起きたか、エスティア。良かった……」


 エスティアはレインに背負われていることに気が付いた。日は落ち、周りはすっかり闇に包まれている。嵐は過ぎ去った様で空には星が綺麗に瞬いている。

 エスティアを背負いながら歩くレインが言う。



「ありがとう、エスティア。私を助けてくれて」


 エスティアは今日起こったことを全て思い出した。

 嵐が来たこと。濁流の川。レインを騙してその川に落ちたこと。そして助けたこと。エスティアが言う。



「い、いえ、ごめんなさい。助けられたのは私の方で……」


「いや、エスティアのお掛けだ。本当にありがとう」


 無言になるエスティア。そして言う。



「レインさん、泳げないんですよね?」


「え、あ、ああ、そうだけど、どうしてそれを?」


「寝言で言ってましたよ」


「そうだったか……」


 顔は見えないがレインが照れているのが分かる。エスティアが言う。


「無理はしないでくださいね」


「……ああ」


 そう返事しながらもレインは思う。



 ――お前を守る為ならば、俺はどんな無理でもする。




 少しの間を置いてレインが尋ねる。



「なあ、エスティア」


「はい?」



「……ラスティアって知ってるか?」


 エスティアはムッとした表情を浮かべ頬を膨らませて言った。


「知ってますよ!!」


「えっ?」


 驚くレインにエスティアが言う。



「さっき村でお会いしたお婆さんでしょ? いくら私でも覚えていますよ!!」


 レインは苦笑して答える。


「ああ、そうだったな。そうだった……」




 暗くなった街道。瞬く星に月明かりがふたりを照らす。エスティアは同じリズムで揺れるレインの背に顔を埋めながら思う。



(またこのシチュエーション。殺す相手がここにいるのに、私、何やってるんだろう……)


 暗殺者としては失格なこの状況。

 殺す相手が目の前にいるのに殺さない。

 殺さないどころか助けてしまっている。



(私、私……)


 エスティアは自分を理解していた。

 ただそれを認めたくない自分がいることにも気付いていた。

 認めたくないけど認めざるを得ないこの気持ち。エスティアの頬に涙が流れた。



(……ん?)


 そしてエスティアはある事にもまた気付いた。



(え、ええっ!? む、胸パッドがあああ、無くなってるうううううぅ!!??)


 濁流に揉まれながらどこかに流されてしまった胸パッドを思い、心の中で悲壮な悲鳴を上げた。

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