9.小さな騎士

(本当に中々尻尾を出さないわね……)


 エスティアは洞窟から戻って来てからもずっとレインの行動を注意深く見張っていた。

 最初に気が付いた時々半日ほど留守にする以外、これと言って怪しいところはない。ギルド関連以外で個人的に訪ねて来る客もいないし、自室にいる時は何をしているのか知らないが手紙を出すこともほとんどない。



(やはりあのお出掛けをいずれ調べるべきね)


 朝食を終えたエスティアが皆が寛ぐ居間で飲み物を飲んでいると、隣にマルクがやって来ておどおどしながら横に座った。そして下を向きながら小さな声で言う。



「あ、あのぉ、エスティア……」


 カップを手にしながらエスティアが答える。


「どうしたの、マルク?」


 いつもおどおどしているマルクが更におどおどしている。マルクが言う。



「あ、あの、ちょっと付き合って欲しい場所があるんだけど、駄目かな……?」


「付き合って欲しい場所? どこ?」


 マルクは居間に誰もいないこと確認してからエスティアの耳元で小さく言った。それを聞いたエスティアが言う。



「いいよ。今日予定ないし」


「え、本当!? いいの?」


 マルクが喜びの表情を浮かべて言う。エスティアが尋ねる。



「いつ行くの? 今から?」


「え、ええっと、ちょっと準備をして……、後で迎えに行くね!!」


 マルクはそう言うと慌ただしく自室へと走って行った。エスティアもゆっくり飲み物を飲み終えると部屋へ戻って行く。




「あれ? 確かここにエスティアが居たはずだったんだが……」


 少し遅れて居間にレインがやって来る。しかし誰もいない室内を見て自室へと戻る。



(ちゃんと、もう少しちゃんと話がしたいな……)


 レインはひとり部屋へと戻って行った。






「場所は王都ね。好きなんだ?」


 エスティアは一緒に歩くマルクを見て笑顔で言った。マルクが下を向いて答える。


「うん、大好き。……でもやっぱり、おかしいかな?」


 エスティアが首を振って言う。



「そんな訳ないじゃん、私も大好きだよ!」


 そう笑ってマルクを見つめる。

 深く被った帽子、子供ながらに目いっぱいお洒落をした服装。エスティアも唯一持っている街歩き用の花柄のワンピースを着て来たが、そろそろ新しい服も買わなきゃなと思った。



「こ、ここです……」


「わあ、可愛い!!」


 マルクが連れてきたお店は、ピンクの外壁が印象的な花がたくさん植えてある『ケーキ屋さん』であった。ケーキを買って帰ることもできるが、中でそのまま食べることもできる。

 昼前であったがそこそこ広い店内にはたくさんの女性客が甘いデザートを楽しんでいる。エスティアが言う。



「さあ、入ろっか」


「う、うん……」


 マルクが躊躇するのも当然であった。

 この世界では子供とは言え男がケーキ屋に入るなどと言うことは、社会通念上『恥ずべき行為』として認知されていた。無論男も食べることはあるが、このような店に入るのは女の役割であり決してそこに男の姿は見られない。


 エスティアももちろんその事は知っていたが、貧乏貴族、そして閉ざされた暗殺訓練の生活を長く送っていた為、その感覚は一般の人よりも幾分少なかった。エスティアが戸惑うマルクの手を引いて店内に入る。



「え、えっ……」


 マルクは柔らかいエスティアの手に触れどきどきしながら、初めて入るその甘美な店内を見つめた。



(奇麗……)


 マルクは店内、そしてショーケースに並べられたたくさんのケーキを見て心から思った。そして同時に向けられる自分への冷たい視線を感じ戸惑う。



(うっ、うう……)


 明らかに男がいると言う場違いからの拒絶反応。そんな視線をひしひしと感じるマルクをよそに、エスティアが手を引っ張ってどんどん店内へと入って行く。マルクは恥ずかしさで顔が真っ赤になってしまった。



「ここがいいわね。さあ、座って」


 おどおどするマルクを座らせるエスティア。生花やドライフラワーが飾られたお洒落なテーブル。エスティアはマルクの食べたい物を聞き出し、そして手際よく店員に注文する。そして下を向いて黙るマルクに言った。



「恥ずかしがることないわよ、マルク。食べたいんでしょ?」


「……うん。でも」


「でも、なに?」


 エスティアが水を飲みながら尋ねる。マルクが言う。



「でも、エスティアも恥ずかしいでしょ。こんな場所に僕と来て……」


 マルクは途切れそうな小さな声で言った。マルクが話すごとに集まる周りの視線。エスティアが答える。



「別に。いいじゃない、行きたい場所に行けば」


「えっ?」


「私、幼い頃から貧しくてね、その後もちょっと特殊な環境にいて……、だからこういったお店とか食べ物とかあまり詳しくないの。だから嬉しいよ、連れて来て貰って!」


「エスティア……」


 マルクの目が赤くなる。店員がケーキを運んでくる。



「わあ、美味しそう! いただきます!!」


 そう言ってエスティアは満面の笑みでケーキを食べ始めた。マルクも注文したケーキを食べ始めたが、正直味などどうでも良かった。



 ――なんて明るい笑顔だろう


 目の前で笑顔でケーキを食べるエスティアがまぶしかった。ケーキを食べたかったのは本当だけど、彼女と歩き始めてからそれよりも別の気持ちが強くなっていた。



(こうやって一緒に、ずっと一緒に居たいな……)


 エスティアのことは良く知らない。

 レインが連れてきた新しい仲間。いつも明るく、そして時々ほんの少しだけ見せる暗い表情。エスティアよりは年下だったが、男でありクルセイダーであるマルクはある想いを強く抱くようになっていた。



 ――彼女を守りたい


 ちょっとおっちょこちょいな面もあるエスティアを見て、マルクの心の底にあるとしての気持ちが叩き起こされた。そんなことは全く知らないエスティアがマルクに尋ねる。



「ねえ、レインさんってさあ……」


 ケーキを食べていたマルクの手が止まる。そして笑顔を作って答える。


「レインさん?」


「うん。以前、魔王に敗れたって聞いたことがあるんだけど、何か知ってる?」


 マルクは少し考えてから答えた。


「僕もまだここに入って間がないから詳しくは知らないけど、前いたメンバーで戦って負けたみたいだよ。ひとりは怪我で冒険者引退して、もうひとりは……、詳しく知らないけど離脱したとか言ってたかな……?」


「そう、あんなに強いのに、それでも負けるんだ」


 エスティアは少し難しい顔をして言った。更に尋ねる。



「あ、あと、さあ。レインさんって時々どこか出かけるでしょ? どこ行ってるのか知ってる?」


 マルクは再び尋ねられたレインの話に、表情が暗くなって行った。そして思う。



(そうだよね、僕は彼女にとってただの仲間。僕は、僕は、今日だって……)


 無言になるマルクにエスティアが心配そうに言う。



「ね、ねえ、何か話し辛いことがあるならいいよ……」


 そんなエスティアの顔を見てマルクが首を振って答える。


「ち、違うよ。ごめん。でも、僕も知らないんだ。依頼がないときはみんな自由だし。レインさんが何やってるかまでは……」


 エスティアは椅子に座り直して笑顔で言う。



「そう、ごめんね。変なこと聞いちゃって」


 マルクが顔を上げて言う。


「ち、違うんだ。僕は……」



 そこまで言い掛けた時、エスティア達のテーブルの横にひとり女が来て言った。


「どうして男なんかがこのお店にいらっしゃるのかしら?」


 エスティアとマルクがその女を見る。上品な身なりの髪の長い女性。どこかの貴族だろうか。マルクがここにいることが不満らしい。女が言う。



「男のくせにこんなお店でケーキなど食べて……、ああ、


「ちょ、ちょっと、それは言い過ぎよ……」


 女の後ろにいた友人らしき女性が小声で言う。女は気にせずに今度はエスティアに言う。



「あなたもあなたよ。こんなお店に男なんて連れ込んで。非常識にもほどがあるわ!」


 バン!!


 その言葉を聞いたマルクが机を叩き立ち上がる。



「取り消せよ、その言葉! 彼女は僕が誘ったんだ!!」


「な、何よ、あなた……」


 マルクが言う。



「彼女に非はない! 僕が嫌なら僕が出る、彼女の事を悪く言うな!!」


 女が顔を赤くして言う。


「な、何を仰ってるの!? 野蛮な!! そもそも男のあなたが……、きゃあ!!」


 そう言い掛けた女の顔に突然水が掛かった。



「エスティア……」


 マルクが見るとエスティアが水が空になったグラスを無表情で掴んでいる。水でべたべたになった女が大声で言う。



「あ、あなた!! 何をいきなり……」


 エスティアが座りながら女を睨みつけて言う。


「ごめんなさいね。手が滑ったの」


「うっ!」


 その視線はまるで女を今すぐにでも殺すかのような冷酷な視線。女は突如死を宣告された様な恐ろしい視線を前に後退しながら言う。



「ふ、ふざけないで!! 覚えてらっしゃい!!!」


 女は連れの女性と共に店を慌ただしく出て行く。エスティアはすぐにやって来た店員に謝罪すると、残っていたケーキをマルクと食べて店を出た。そしてマルクに言う。



「ごめんね、私が……」


 そう言い掛けたエスティアにマルクが言う。


「ありがとう、エスティア。僕、嬉しかったよ」


 そう笑うマルクの顔を見てエスティアは頭を撫でて応えた。




「おい、待ちな」


 店を出たふたりに数名の男達が声を掛けた。ガラの悪い男達、手には棍棒やナイフを持っている。マルクがエスティアに言う。


「エスティア、あいつら……」


「ええ、まあ、十中八九来ると思ってたけどね」


 男が言う。



「お前らか? お嬢さんに恥かかせたのは?」


 マルクがエスティアの前に出て言う。



「帰れ」


「はあ?」


 男達は前に立った子供のマルクを見て笑いながら言う。



「何言ってんだ、お前? お姉ちゃんに守って貰いなよ~!!」


 ゲラゲラ笑う男達。マルクは再度言う。



「もう一度言う、帰れ」


 それを聞いた男達の表情が一変する。そして憤慨しながら叫ぶ。



「ふざけるな、このクソガキ!!! てめえら、ヤリに来たんだよおおお!!!!」


 男達が一斉にマルクへと突撃する。マルクは右手を前に出して言った。



「シールド」


 ドン!!


「ぎゃっ!!」


 突然現れた空気の壁にぶつかり次々と倒れる男達。状況がつかめない男達が倒れながら混乱する。マルクは倒れる男達に歩み寄って上から言った。



「僕とやろうって言うなら、本気で相手するよ」


 倒れた男のひとりが、間近でその顔を見てリーダーらしき男に言う。



「な、なあ、こいつ、勇者パーティの、ク、クルセイダーじゃねえか……?」


「な、何だって!?」


 男達は改めて見る少年なのに動揺ひとつしていない盾使いを見て恐怖を感じ始める。後ろにいた男が逃げ始める。



「す、すいやせんでしたーーーーっ!!!」


 それと同時に皆が逃げるように散って行った。



 エスティアがマルクの傍にやって来てその『小さな騎士』の頭を撫でながら言う。


「ありがとう、守ってくれて。カッコ良かったぞ」



「えっ、あ、ああ。うん!!」


 マルクは頬を赤らめながら頷いてエスティアを見つめた。

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