第36話 夢

「僕は夢を見てるのかな?」


 手で自分の頬を叩く。ベタなネタを決める。


「翔琉くん、なにしてるの?」

「信じられなくて」


(ちょっと落ち着こうか)


 雪乃さんの発言を整理してみる。


『いまの翔琉くん、あたしが好きになったときの翔琉くんね』と言われた。


 彼女の言葉から読める内容は……。

 今現在、雪乃さんは僕が好き。

 同居を始めてから、どこかの時点で雪乃さんは僕を好きになった。

 一時期、雪乃さんは僕が嫌いだった。これについては明白。一方的に家を出ていったし、嫌われてもしょうがない。


 というか、冷静になってみたものの、現実感はない。


「やっぱ、夢だよな?」

「翔琉くん、現実だよ」

「夢と現実の境目ってなんなんだろうな」


 幽体離脱したかのように自分が自分でないみたい。


(こういうの離人症って言うんだっけ?)


 ぼんやりした頭で僕はつぶやく。


「もしかしたら、僕という存在そのものが虚構かもしれない」

「えっ?」

「実は人類が滅亡寸前で、AIがコンピュータの中に世界を構築していて、僕たちはAIが生み出した存在で肉体を持ってないとか」

「映画やアニメでときどき見かける設定ね」


 雪乃さんはクールに言い放つと。


「じゃあ、あたしの感触も偽物なの?」


 雪乃さんが抱きついてきた。

 僕は雪乃さんの温もりと、動悸と、吐息と、香りと。

 雪乃さんという存在を五感で感じ取る。


「本物だな」


 僕は自分の言葉を噛みしめる。


「VTuberは外見こそ虚構のキャラだけど、中身は生の人。こうやって、触れるし、話せるし……傷つく」

「そうね。夏川ひよりというキャラを演じていても、雪乃という人格もひよりに影響を与えている」


 銀髪に風になびき、僕の首筋を撫でる。


「だから、夏川ひよりは夢咲翔琉が好き。そういう解釈も成り立つわね」

「…………………………夢ですか?」


 だって、推しが僕を好きなんだぞ。

 ラノベじゃないんだし、ありえない。


「やっぱ、夢だよな?」

「翔琉くん、壊れたラジオなの?」

「僕が同じことを繰り返してるからだろうけど、表現が古いですね」

「あっ」


 雪乃さんは僕から離れると、ポンと手を叩く。


「翔琉くん、『ループ再生』を押しちゃったの?」

「今度は動画サイトのたとえだし、配信者らしいよ…………って、そうじゃない!」


 ボケてる場合じゃない。


「ひよりちゃんが僕を好きってどういうこと?」

「そのままよ」


 3度目の『夢ですか?』は言えなかった。

 あまりにも雪乃さんの目がまっすぐだったから。


「現実でいいんだよな」

「うん。夏川ひよりは架空の存在。でも、恋をしている気持ちは事実よ。心は目に見えなくても、胸のときめきは真実を告げるから」

「……夢って、身近なところにあったんだな」


 これまで、僕が考えていた夢とは……。


 推しの配信を見て、少額ながらもスパチャを送って。

 アニメやラノベの世界にのめり込んで。

 過酷な現実を忘れさせてくれる桃源郷。


 それが、僕にとっての夢だった。


 しかし、現実にも夢はあったのかもしれない。


「あたしも気づいたの」

「ん?」

「夢がわからないと言っていたけど、実は夢を見ていたのかもしれないって」

「どういうこと?」


 雪乃さんは豊かな胸に手を添え、切なげに目を細める。


「翔琉くんがいない間に思い知らされたの」

「ご、ごめん」

「ううん、ひとりぼっちにならなかったら、自分の気持ちがわからなかった。だから、気にしないで」

「ありがとな」


 クールな微笑に癒やされる。


「翔琉くんとすごした2ヶ月。あたしにとって夢のような時間だった」


 雪乃さんは暮れゆく空を一瞥する。


「両親が亡くなって、居心地の悪い伯母の家で暮らして……自立して、ひとり暮らしを始めたのはいいけれど、寂しくて、孤独に押しつぶされそうで」

「雪乃さん」

「でも、あたしは不器用だから、学校では誰にも話しかけられない。春菜が声をかけてくれるのを待つだけ。しかも、親友にすら、あたしは悩みを打ち明けられない」


 僕は雪乃さんの手を握る。


「翔琉くんと暮らすようになって、あたしは思い出したの。人の温もりを。大切な気持ちを」


 僕は彼女の語りに耳を傾ける。


「翔琉くんがいなくなって、翔琉くんとの同居生活そのものが……あたしが見たかった夢なんだってわかった」


 彼女の言葉が胸に染みる。


「あたしは夢を探そうとしたけど、夢って近くにあったんだね」


 推しの微笑が尊すぎて、僕は幸せ者だ。


「そうかもな」


 現実そのものが夢の可能性もあって。

 そうなると、結局、現実と夢の違いはよくわからない。


(どうだっていいじゃんか⁉)


 僕たちは哲学者ではないんだし。夢がどうとかでウジウジしていても意味がない。


 スッキリしたら、自分が何をしないといけないか見えてきた。

 いや、何をしないといけないかではなく、何をしたいかだ。


「雪乃さん、僕の気持ちを聞いてほしいんだけど」


 あらたまって、雪乃さんに向き直る。


「な、なに?」


 雪乃さんは姿勢を正すと、頬を朱に染める。

 僕の覚悟が伝わったのかもしれない。


「僕も同じ気持ちだから」

「?」

「僕も雪乃さんが好き」


 彼女の瞳に訴えかける。


「夏川ひよりじゃなくって?」

「ひよりちゃんも好きだけど、雪乃さんも好き」


 信じられないのか、雪乃さんは口をパクパクさせている。


「雪乃さんが言ったんでしょ。『夏川ひよりというキャラを演じていても、雪乃という人格もひよりに影響を与えている』って」


 雪乃さんは首を縦に振る。


「なら、夏川ひよりと清氷雪乃は明確に区別できない。どっちも僕にとっては大好きな女の子で――」


 彼女の琥珀色の瞳に僕が大きく映る。


「夏川ひよりの中にいる清氷雪乃に僕は恋していたんだと思う」


 無邪気で明るく、元気いっぱいな夏川ひよりちゃん。

 僕は彼女の心を浄化するところに惹かれて、彼女を推すようになった。


 けれど、夏川ひよりには確かに清氷雪乃の魂が流れていて。


 クールな清氷雪乃と、陽気な夏川ひより。

 一見正反対であっても、根幹は同じだ。


「雪乃さんと暮らすようになって、僕は氷の女王の意外な面を知った」

「意外な面」

「甘えん坊なところ」


 すると、雪乃さんが僕の胸に頬を押し当ててきた。


「そういうところもかわいくて、好きになったんだよね」

「……翔琉くん、ちゅき❤」


 スリスリ。頬ずりと一緒に、胸も僕の腹に当たって。

 なぜか、添い寝で触れるときの何倍もドキドキする。


「雪乃さん好き。これからも一緒に暮らそう」

「ん。翔琉くん、一生あたしから離れないで」


 少しだけ重いと思いつつ。


「本当に甘えん坊なんだから」


 僕は彼女の銀髪を撫でる。


「安心して。ありのままの雪乃さんを受け入れるから」

「なら、もう死んでなんかいられないね」

「これで僕の目標は達成だな」


 同居するにあたっての目的は叶えられた。


「ウソつき。1分も経たずに、出て行こうとするなんて」

「まさか。雪乃さんに嫌われないかぎり、出て行かないから」


 太陽も沈みかけている。川はゆらゆら揺れている。


 昼なのか、夜なのか、曖昧で。

 雪乃さんの美しさもあいまって。

 幻想的な光景を生み出す。


「きれいすぎて、夢を見ているみたい」

「なら、こういうのはどう?」


 ――チュッ。

 頬になにやら柔らかいものが触れた。


「僕は夢を見たのか?」


 だって、推しにキスをされたのだ。夢にちがいない。


「信じてくれないなら、もう一回」


 今度は額にキスをされた。


「わかった。現実だと認めるから」

「やっと?」

「僕たちは現実の恋人だもんな」


 僕は雪乃さんを抱き寄せる。


「もう暗くなったし、帰るか」


 ふたりで雪乃さんの家に向かう。

 見慣れた景色が、いつもとちがって見えた。

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