第35話 アクセプタンス

 川沿いの遊歩道。川に当たって涼しくなった風が、芝生をこすり、天然のASMRを生み出す。


 橋で雪乃さんを見つけた後、僕たちは遊歩道まで歩き、ベンチに腰かけていた。


「はい、アイスティ」


 近くの自動販売機で買ったアイスティを渡すと。


「ありがとう。あたしの好きな物を選んでくれて」


 うれしそうな微笑が罪悪感をかき立てた。


(ここで怯んで、逃げちゃダメだ)


 ウジウジして行動しなかったら、鬱展開が永遠に続く。


 脳内で、『逃げちゃダメだ』を繰り返す。

 オタク的に刺さる言葉で、自分を追い込む。ホントに刺さる。


 コーラを一口飲む。炭酸の刺激が、アドレナリンを放出させたのか、元気が出てきた。


「雪乃さん」

「ん?」

「僕とやり直してほしい」


 雪乃さんは目を見開く。僕を見上げる形になる。黄色い瞳に夕陽が射し、朱に染まる。


「僕は雪乃さんと一緒にいたい」

「……」

「僕、自分勝手だった。雪乃さんの気持ちも考えずに、自分で最良の選択だと思い込んで、逃げ出してしまったんだ」


 無言で表情が変わらない雪乃さん。氷の女王の二つ名に恥じぬ反応。

 クールな雪乃さんは凜々しいけれど、感情が読めないのも困る。


 最低なことをした後だし、僕を嫌いになったのかもしれない。


 それならそれで、仕方がない。

 けれど、勝手にダメだと思って、諦めるだけは勘弁だ。


「僕、これからは逃げずに雪乃さんと向き合うから」


 琥珀色の瞳に訴えかける。


「僕にもう一度チャンスをくれないかな」


 僕は深く頭を下げる。

 雪乃さんの顔が見えなくて、不安に襲われる。


(いや、無表情だったら意味ないか)


 彼女の判断を待っている時間が長く感じられる。


「ねえねぇ、元彼氏さん復縁を迫ってるっぽいよ」

「見た感じ若そうだけど、青いなぁ」


 通りがかりの女性の会話が聞こえた。絶対に僕のことだ。


(あっ!)


 自分の発言を振り返ってみる。


(復縁を迫ってる元彼氏じゃん!)


 急に恥ずかしくなった。


「雪乃さん、ちがくて」

「ん?」

「付き合ってもないのに、復縁を迫る痛々しいオタクじゃないから」

「ぷっ」


 雪乃さんが噴き出した。


「そんなの気にしなくていいのに」

「えっ?」


 どうやら認識の違いがあるようだ。


「雪乃さん、僕の勘違い発言に引いてたんじゃないの?」

「あたしが翔琉くんに引くなんてありえないわ!」


 1分ほど前から打って変わり、雪乃さんは反応は豊かだった。


「翔琉くんがどれだけ自分を責めても、あたしは……あたしだけは翔琉くんの味方よ」

「雪乃さん」

「もし、翔琉くんが死にたいぐらい苦しくなっても、あたしが全部受け止めるから」


 雪乃さんの言葉は力に満ちていて。


 ほっそりした彼女の中に、太陽が格納されているのではないかと思うほど、エネルギーにあふれていた。


 さすが、夏川ひよりちゃんの魂。ひよりちゃんの陽気さも雪乃さんの一面で。

 ここ数日間の悩みが嘘のように溶けていく。


「僕、もう雪乃さんを離さない。だから――」

「だから?」

「僕、雪乃さんの家で暮らしていいかな?」

「っつ!」


 雪乃さんは頬を染め、口元をにやけさせる。

 ところが、数秒も経たずに。


「でも、あたしと一緒にいたら、翔琉くんは苦しむんだよ?」

「ん?」

「だって、翔琉くんがあたしの両親を死なせたと思ってるんじゃないの?」

「あっ」

「だから、罪悪感であたしと一緒にいるのがつらいんじゃ……」


 きちんと説明してなかった。


「ごめん、それ、嘘なんだ」


 雪乃さんのメンタル面を心配して、本当の理由を言っていなかった。


 世の中的には嘘は良くないが、かといって、正直すぎるのも時には問題がある。

 一例が雪乃さんみたいに心の傷を負った子。彼女の気持ちが楽になるなら、嘘を吐くのもありだ。


 雪乃さんを思っての行為だとしても、不誠実だった。雪乃さんを信じ切れてないことになるのだから。


「僕が悪者になれば、雪乃さんの自責がなくなると思ったんだ」

「自責?」

「雪乃さん、ご両親の事故を自分のせいにしてるでしょ?」

「うん」

「僕から見ると、悪いのはあおり運転をした方で、雪乃さんは被害者なんだよね」

「うーん」


 雪乃さんは困ったようにうなる。


「べつに、雪乃さんを責めてるわけじゃないんだ」


 そう言った後で。


「先週の僕は雪乃さんの思考にバグがあると思っていた」

「……」

「上から目線で嫌な奴だよな」

「ううん」


 雪乃さんは首を横に振る。


「あたしのためを思ってなんでしょ」

「だとしても、僕は自分なら雪乃さんのバグを直して、アプデできると思い上がってた。傲慢としか言いようがない」

「翔琉くんなら嫌じゃないよ」


 僕を肯定する雪乃さんの姿に胸を打たれた。

 ここで真摯な対応をしなかったら、今度こそ終わってしまう。


「でも、僕は間違っていたんだ」

「間違っていた?」

「僕が雪乃さんの家を出た後、学校を何日か休んでいた。今日、学校で会ったときも追い詰められているようで、僕は自分の過ちを実感させられたよ」


 罪の告白はここまで。


「僕は考えを改めた」


 僕は雪乃さんの手を握る。


「雪乃さんがご両親の死について、自分を責めるなら、それでもいいじゃないか。そう思うようになったんだよね」

「どうして? あたしにはバグがあるんでしょ?」

「雪乃さんは自分を責めてるけど、どうにもならないんでしょ?」

「うん。自分でも変なのはわかってるわ。でも、どうしても直らないの」

「なら、無理に直すんじゃなくて、感情を受け入れればいい。そうしたら、気持ちが楽になる」


 湧き上がる気持ちに蓋をするのではなく、受け流す。灯籠流しのように感情を舟に乗せ、川に漂わせる。そんなイメージ。


「翔琉くんの言うとおりかも」

「雪乃さんの考えを無理やり変えようとするよりは、雪乃さんのつらい気持ちに寄り添うこと。これからはそうしていきたいんだ」

「……ありがとう。あたしを大事にしてくれて」


 雪乃さんは僕の手を自分の方に引き寄せる。

 彼女の目はとろけそうで、熱を帯びているようだった。


「いまの翔琉くん、あたしが好きになったときの翔琉くんね」

「えっ?」


 いろんな意味で衝撃だった。

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