第33話 癒やし系同級生が僕にだけ厳しい
「翔琉ちゃん、私がなんで怒っているかわかる~?」
放課後。僕は桜羽さんと喫茶店に待ち合わせていた。彼女が先に来ていて、僕が座るやいなや先ほどの質問である。
注文の暇すら与えてくれないところから彼女の怒りが伝わってくる。
明日花はまだしも桜羽さんには気を遣う。
(どう答えればいいんだよ?)
難題を前に戸惑うが、彼女は僕を観ていない。
肩と首を回している。
(肩こりが激しそうだもんな)
テーブルの上にドカンと乗った胸は癒やし系そのものなのに。
「なんで黙ってるのかな~?」
「すいません」
「謝らなくていいから、私の質問に答えて~」
隙がない。
さすが、人気VTuber。人当たりが良さそうでいても、ただものではない気配を放っている。
「僕が雪乃さんに無責任なことをしたから?」
「わかってんじゃん」
店員がやってくる。僕はアイスコーヒーを頼んだ。
「翔琉ちゃん、事情があるとか言って、自分の家に帰ったんだよね~?」
雪乃さんの家を出ていった後、僕は桜羽さんに雪乃さんの家に行ってくれるようお願いした。
雪乃さんのことが心配だったから。
(あんなことをしておいて、心配するなんて虫がいいんだけどさ)
「じ、事情はある……ね」
嘘はついていないけれど、堂々と答えられない。
「雪ちゃん、学校と配信を休むぐらい悩んでるのにさ~私が聞いても、なにも言わないんだよ~」
桜羽さんはため息を吐く。僕は彼女の双丘から目をそらした。
「雪ちゃん、私には気を遣って、愚痴らないんだよね~」
桜羽さん自身も高校に行きながら、秋空まりぃとして活動していて、かなり忙しい。だから、雪乃さんは桜羽さんに遠慮していると、桜羽さんは以前も言っていた。
「そんな雪ちゃんなんだけど……昨日、ポツリと言ったの」
桜羽さんの声が下がる。
数秒の間が僕の不安をかき立ててくる。
「『あたし、仕事を引退するかも』って」
脳が情報を理解するのを拒否した。
「翔琉ちゃん、ちゃんと聞いて~。現実から目をそむけないで」
同級生が僕の欠点を指摘する。
僕は親の死から目をそむけ、娯楽に走り。
雪乃さんを助け、推しとの同居生活に夢を見て。
都合が悪くなって、また逃げ出して。
明日花のおかげで、過ちに気づいたけれど、まだ逃げ癖を直せていない。
「私に心配かけまいとする雪ちゃんが、そこまで言ったの~」
雪乃さん、自分とは真逆なひよりちゃんを演じることに罪悪感を持っている。
が、どれだけ真剣に取り組んでいるかは僕は知っている。
推しを失う悲しみ以上に、雪乃さんを追い詰めた自分が不快でたまらなかった。
「私、言ったよね~? 雪ちゃんを傷つけたら許さないって」
「全面的に僕が悪い。殴ってくれてもいいよ」
「……そんなことして、あなたが怪我をしたら、雪ちゃんはあなたを心配するの~。雪ちゃんのためにも、あなた暴力には訴えない」
自分の感情ではなく、冷静に行動できる桜羽さんが大人びて見えた。
「それに、私も雪ちゃんの力になれてないじゃん」
「いや、それはちがうだろ」
つい反論してしまった。
「桜羽さん、いつも陰から雪乃さんを見守っていてくれて、めっちゃ癒やされてると思うよ」
「そこなんだよね~」
「へっ?」
彼女は嘆息をこぼしながら、軽く上体ごと下を向く。
「私って、存在自体がASMRでしょ~」
豊かな胸がテーブルに押されて、見ているだけで脳がとろけそうになる。
間延びした声にくわえて、母性あふれる光景もあいまって、彼女の発言をすんなり受け入れられた。
(普通の子だったら、痛々しいんだけどな)
というか、桜羽さんにも悩みがあるらしい。
「私はASMRが得意だけど、一方通行なの~」
「どういうこと?」
「私は自分で癒やし空間を作って、他人に届けられる~」
断言できるのがすごい。
「けど、私が一方的に発信するだけ~」
「いや、ASMRでもコメントを送ってるリスナーは普通にいるんじゃ」
「そのとおりなんだけど、私の言いたいことはちがくて~」
桜羽さんは説明に戸惑っているようだった。
「私、翔琉ちゃんが雪ちゃんの愚痴を聞いてるのを見て、私と翔琉ちゃんは真逆の存在だと思ったの~」
「真逆?」
「そう。翔琉ちゃんは雪ちゃんの愚痴を聞いたり、甘やかせたり。雪ちゃんから出たものを翔琉ちゃんが受け止める感じかな~」
「あぁ、たしかに」
桜羽さんの言いたいことが呑み込めてきた。
「逆に、私は私から話しかけるタイプ~」
「そうだな」
「雪乃×翔琉が翔琉ちゃんたちの関係~」
「う、うん」
「春菜×雪乃が、私たちの関係~」
わかりやすい。オタクにしかわからないけど。
『×』の前が攻めでリードする方、後ろが受けで文字通り受け身になる方だ。
「つまり、僕は受け側で雪乃さんを支えて、桜羽さんは攻め側ってこと?」
「そんな感じ~」
ASMRの達人が攻めなのかはさておき。
「納得感はあるよな」
「だから、私は翔琉ちゃんの代役はできないの~」
桜羽さんは僕をじっと見すえる。ルビーの瞳に怒りと悔しさがにじんでいるようだった。
「私にできることは学校帰りに寄って、雪ちゃんと一緒にいることだけ~」
「桜羽さん」
「雪ちゃんを悩みから救ってあげられるのは、翔琉ちゃんだけなんだよ~」
「……」
「だから、雪ちゃんのところに行ってあげて~」
彼女は頭を下げてくる。
「わかった」
もう迷わない。
「ありがとう~」
「いや、そもそもは僕のせいだし」
「そう。翔琉ちゃんが雪ちゃんを傷つけたのが悪いんだよ~」
言い方は優しいけど、やっぱり桜羽さんは怒っている。
「今度は受けじゃなくて、翔琉ちゃんから雪ちゃんを抱きしめてあげて~」
「そうだな」
「って、私が言ったからじゃなくって、本心なのかな~?」
「……どういうこと?」
「翔琉ちゃんは雪ちゃんのことをどう思ってるの?」
その言葉が刺さった。
僕は間違いなく彼女が好き。
けれど。
夏川ひよりというVTuberの魂に恋しているのか?
清氷雪乃という女子高生に惹かれているのか?
わからない。
それでも。
「そんなの決まってる」
どっちでもいい。
「僕は雪乃さんを離さない」
僕は財布から札を出すと、テーブルの上に置く。
「どっちの彼女も大事だから」
椅子から立ち上がる。
「……翔琉ちゃん、許した~」
「桜羽さん、おかげで僕の役割に気づけた」
「私への礼はいいから、早く行ってよ~」
喫茶店を後にする。
朝の曇り空が嘘のように太陽は猛々しかった。
汗が流れるのも構わず、僕は走った。
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