第31話 つながり
話し終えると、口の中がヒリヒリしていた。
「翔琉くん」
雪乃さんの琥珀色の瞳は充血していた。
「雪乃さん、ごめん、泣かせちゃって」
「あたしの方こそ、ごめんなさい」
「えっ?」
「あたしが頼んだから、つらい話をさせてしまって」
「いいんだ。いつか言わないといけないと思っていたから」
死を考えていた雪乃さんに下手な刺激を与えたくなくて、隠していたんだ。
一方で、僕が雪乃さんを助けたい動機でもあって。
「あたし、翔琉くんの話を聞いて、思ったの」
「ん?」
「現実から逃げて、自分が楽になったようでも……後に残された人を傷つけるって」
「雪乃さん?」
「だから、もう言わない」
雪乃さんはまっすぐな目で僕を見つめる。
「パパとママの後を追いかけようなんて」
あまりにも純粋で、彼女を全力で守りたくなる。
「たとえ、あたしのせいで事故が起きたのだとしても、死を選んじゃいけなかったんだね」
彼女の決意がうれしくなるとともに。
「ごめん、雪乃さん」
罪悪感に胸が圧迫されて、息苦しくなる。
雪乃さんの両親の死は、あおり運転の犯人に非がある。雪乃さんに罪はない。実際、裁判でも、犯人に実刑判決が下っている。
だというのに、いまだに雪乃さんは自分のせいで事故が起きたと思い込んでいて。
自分の責任でない出来事を自分のせいと思い込む、認知バイアスの一種。
いわば、雪乃さんの思考にバグがある。
バグがあるかぎり、雪乃さんは自分を責め続ける。
僕が愚痴を聞いたり、風呂や添い寝に付き合ったりすることで、軽くはなってるかもしれないが、根本的な解決にはなっていなくて。
雪乃さんが自分の思考の過ちに気づかないかぎり、彼女は救われなくて。
本来ならば、精神科医やカウンセラーの力を借りるのがいいとわかっているが。
僕なら、雪乃さんを過去から解き放てる。
「まだ話していないことがあるんだ」
打ち明けてしまったら、僕たちの関係は元に戻らなくなるかもしれない。
わかっていても、僕はトリガーに指をかける。
「なに?」
今ならギリギリなんとかなる。
適当に冗談を言えばいい。明日花をダシに使って、エセ関西弁誕生秘話とか。
けれど、僕はあえて苦難の道を選ぶ。
それしか、方法はないから。
たとえ、雪乃さんに嫌われても、後悔はしない。
「雪乃さんの両親を殺したのは、僕のせいなんだ」
雪乃さんの顔が真っ青になる。
「どうして?」とでも言おうとしているのか、口をパクパクさせているが、音は出ていない。
賽は投げられた。投げられてしまった。もう引き返せない。
「父を死に追い込んだ上司の名前は――」
名前を告げる。
雪乃さんの唇がワナワナと震える。
彼女が言葉を反すうするのを待ってから、僕は口を開く。
「じつは、父は遺言を残していた。銀行に宛てて、『死をもって、身の潔白を証明する』と書いたうえで、上司の罪を告発したんだ」
上司の巧妙な罠に父ははめられた。
けれど、文字通り決死の行動は、警察や銀行を動かす。
「上司は追い詰められていく。逮捕も近づき、焦ったのか上司は逃げ出したんだ」
口が渇いてたまらない。雪乃さんが入れてくれたアイスティで口を潤す。
「地方を転々と逃走する日々。ある日、高速道路に乗って、苛立ちから――」
「……」
「僕の両親を殺した人間は、雪乃さんの両親も奪った」
運命の皮肉を呪いたくなる。
「だから、僕の家の事件がなかったら、雪乃さんの事故も起きてなくて」
僕は雪乃さんに向かって、頭を下げる。
「僕のせいで、雪乃さんを苦しめて、ごめんなさい」
雪乃さんは眉根を寄せる。
「どうして、翔琉くんが謝るの?」
「だって、あの日、僕が父と一緒に風呂に入って、父に優しくすれば、父は……」
過ちを犯さなかったかもしれない。
そう言いたいのに、言葉が声にならない。
「翔琉くんは悪くない」
雪乃さんは僕の後頭部に手を回すと、そのまま自分の方に引き寄せる。
温もりと香りが甘くて、身をゆだねたくなる。
しかし。
「雪乃さん、ありがとう」
雪乃さんの気持ちを受け取りつつ。
「ごめん。僕には雪乃さんといる資格はないんだ」
彼女を傷つけないよう力を加減しながら、彼女から離れていく。
「あたしといる資格がないって、どういうこと?」
「僕のせいで、雪乃さんの両親が亡くなったから」
「ちがう!」
雪乃さんは叫ぶ。
「悪いのは、あおり運転をした犯人じゃない!」
彼女は言い終わった直後、口を手で押さえる。
「あっ、あたし」
僕の狙いどおりに事が運んで、少しは安心した。
「観覧車の中で、翔琉くんがあたしに言ったことを、今度はあたしが翔琉くんに言ってる」
「だから、雪乃さんは悪くないって言ったでしょ」
観覧車の中で、僕が言っても雪乃さんは納得しなかった。でも、逆の立場になって、彼女は理解できたのだろう。
今は混乱しているが、しばらくすれば、雪乃さんは罪悪感から解き放たれる。
この感じなら、雪乃さんは二度と死のうとしないはず。
もう、僕の役目は終わりだ。
僕は椅子から立ち上がる。
「ちがう」
「……」
「翔琉くんは間違ってる」
雪乃さんは僕の背中にすがりついてくる。
「翔琉くんは悪くないの。悪くないの」
僕は振り返ると、雪乃さんの体を引き離した。
「僕はつらいんだ。自分が悪いと思ってるから、雪乃さんと一緒にいるのが」
半分ホントで、半分ウソだ。
「だから、僕はここを出ていく」
「……」
「もう、僕がいなくても大丈夫だろ?」
「……嫌。まだ、あたしは夢を見ていない」
「ごめん、その目標は偽物なんだ」
僕は雪乃さんに背中を向けて言う。
「あえて、曖昧な達成条件の目標を立てておいたんだ」
「どういうこと?」
「雪乃さんに死んでほしくなくて、とりあえず僕がいる理由を作った」
これも、半分ホントで、半分ウソだ。
当時も今も本気で、雪乃さんに夢を見てほしいと願っている。
「でも、もう雪乃さんは死のうとしていない」
「そうだけど」
「なら、僕がいる必要はないよね」
「……嫌。あたし、翔琉くんと一緒にいたいもん」
「ごめん、僕、つらいんだよね。どうしても、雪乃さんを見てると、自分を責めちゃうから」
最低だ。
でも、これしかない。
僕がいたら、雪乃さんは気を遣う。
彼女の精神的な負担を減らしたいのに、これでは僕の存在が重荷になる。
「大丈夫。ひよりちゃんの配信はこれからも見るから」
「……嫌」
「僕と雪乃さんの関係は昔に戻るだけ」
諦めたのか、雪乃さんは口を閉ざす。
僕は荷物を持って、自分の家に戻った。
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