第30話 推しとの出会い

 夏真っ盛りの頃。明日花が一足先に退院することになった。

 退院の前日、彼女は僕の病室に来ていた。

 明日花から借りた日常系漫画を読んでいたら。


『夢るん、すっかりオタクやな』

『だって、キャラもかわいくて、心がぴょんぴょんするんだぞ』

『かわいいは正義や』

『日常系は平和のありがたさがわかるのもいいな』

『夢るん、歴戦の兵士みたい』


 当然、僕は兵士ではないのだが。


『なら、腹の傷を見るか?』


 命のやり取りをした経験はある。しかも、実の親と。


『しゃれにならねえやん!』


 明日花は関西芸人を思わせる大げさな仕草で突っ込んできた。

 僕たちは顔を見合わせて笑った。


 明日花のおかげで、父の事件をネタにできるようになったのだと気づく。

 少しは回復できて気分は明るくなるも。

 明日花の退院が寂しくなった。


『夢るん、あーしがいなくなって、ムラムラしたら』


 明日花が1冊の漫画本を僕に差し出してくる。


『この本を読んで、性欲の処理しとくんやで』


 どんな本なのかと思って、パラパラめくってみる。

 エッチな少年向け漫画だった。やたら主人公やヒロインが転んで、パンツが見えたり、胸を揉んだり。女子中学生が持ってくる本とは思えない。


『明日花って、実は男子なんじゃ』


 その頃には、もう名前で呼び合う関係になっていた。


『女子がエッチな漫画を読んじゃ悪い?』

『ごめん、言い方悪かった』


 素直に謝った。


『いいんや。夢るん偏見を持たない奴ってわかってるし』


 明日花は涙目になる。


『世の中には、エッチな漫画やラノベをくだらないとか言ってくる奴らがおるんや』

『う、うん』

『まあ、パンツやおっぱいに対して、不機嫌になる女性がいるのはしゃーない。彼女たちの不快な感情に文句を言うたところで、思想統制になるしな』


 彼女はバカそうに見えて、ときどき難しいことを言う。


『けどさ、一部の人たちは本屋でエッチなラノベを売るなとまで言うてくるからな』


 だいぶ、怒っていらっしゃる。


『それはやりすぎや』


 とりあえず、首を縦に振っておく。


『世の中には、ひそかに悩みを抱えた人もいる』


 今度は勢いよくうなずいた。


『毎日が限界で、いつ爆発するかわからない状態や。そういう人たちがパンツやおっぱいで少しでも幸せな気分になれるんだったら――』


 彼女の言いたいことがわかった。


『エッチなラノベを読んで救われる人がいるってこと?』

『そういうこと』


 明日花の言葉が胸に染みる。


『僕が証明する。明日花が正しいって』

『夢るん?』

『明日花に借りた漫画やラノベを読んで、心が軽くなったのは事実だし』

『夢るん、学校でも仲良くしような』

『なに言ってるんだ? 僕たちもう友だちだろ』


 そんなわけで、僕と明日花はオタク仲間になった。


   ○


 時は流れ、中3の4月。明日花とは別のクラスになったが、昼休みは一緒にすごしていた。


『夢るん、VTuberって知っとるか?』

『いや、知らない』

『なら、いい子を紹介してやろか』

『他人の話を聞いてない⁉』


 明日花は僕の抗議も気に留めず、スマホを差し出してくる。


 正直、オタク初心者としては、ラノベや漫画、アニメを消化するのに忙しい。他のコンテンツにまで気が回らない。


『いいから、いいから。絶対にはまると思う』


 明日花は中3平均よりもやや膨らんだ胸を張る。

 なお、明日花が勧められたものは、だいたい当たりだった。


『見るだけだぞ』


 画面に映っていたのは、夏川ひよりというキャラクターだった。

 デザインはかわいいし、屈託のない笑顔に癒やされる。

 直感で悟った。危険なブツだ、と。


『僕たち受験生なんだよ?』

『受験はなんとかなるけど、ドリカン3期生のデビューは今しかないんや』

『受験は一生の大事だと思うけど』

『あーしは捨てない女や。オタクをしながら勉強でも成果を出すのが真のオタクだぞ』

『……そうだな。目が覚めたよ』

『さすが、夢るん』


 明日花はスマホを僕から奪い取ると、動画共有サイトを立ち上げる。

 彼女はイヤホンの片方を自分の耳に差すと、もう片方を僕に渡してくる。


『とりま、昨日の初配信のアーカイブを見ようや』


 肩と肩が触れ合う距離。女の子らしい温もりにドキドキする。


『みなさん、はじめまして! ドリーミーカントリー3期生。夏担当の夏川ひよりでーす。今日が初めてですが、元気に暑く配信していきます。今は春だけど、夏が待ち遠しいです!』


 真夏の太陽の笑みと、元気はつらつとした声。


 恋に落ちるのに理由はいらなかった。

 挨拶だけで、僕は夏川ひよりちゃんに惚れてしまった。


 その頃の僕は明日花のおかげで立ち直りつつも、つらい日々の連続。

 学校では、教師や明日花以外の生徒からは腫れ物に触るような扱いを受け。

 家では、祖父が体調を崩し、入退院を繰り返している。


 とくに、こたえているのは祖父の件。日増しに弱っていく祖父。


 頭にちらつくのは、死の予感。

 自分から死のうとは思わなくなったけれど、死は僕を捉えて離さない。


『明日花、最高すぎる』

『あーしの勘すげえやろ』

『感動したよ、勘だけに』


 軽口を飛ばしながらも、鳥肌が立っていた。


 だって、夏川ひよりちゃんのキラキラした声を聞くだけで、死の恐怖を忘れることができたのだから。


 夏川ひよりは、生を象徴する存在で。


 明日花と一緒にひよりちゃんの初配信を見ながら、僕は誓った。


 ひとりでも僕みたいな子どもが減ればいい。

 そのために、将来は自殺予防に関わるような仕事がしたい。


 愚痴を聞くだけでもいいし。

 あの日、明日花が僕を抱いてくれたように、受け止めるだけでもいい。


 とにかく、僕は悩んでいる人の力になりたい。


 それが、僕の夢。

 雪乃さんのおかげで、僕は本当の意味で立ち直れたんだ。


 本当に、ありがとう。



 そして、ごめんなさい。

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