第5章 推しとの夏

第24話 推しと試験勉強

 6月も下旬に入り、梅雨空が続いている。

 土曜日の今日も、しとしとと小雨が降っていた。


 午前10時。僕と雪乃さんはリビングで勉強していた。期末試験が近づいているためだ。


 ――ピンポーン!


 玄関のチャイムが鳴る。


「僕が出るよ」

「お願い」


 他人の家なのに僕が応対する。じつは、理由がある。

 来客が期待の人物だと確認した後、エントランスのオートロックを解除した。


「やっほ~、翔琉ちゃん。元気してた~?」

「桜羽さん、昨日も学校で会ってるよね?」

「でも、学校だとつれないじゃん~」


 桜羽さんは頬を膨らませる。


(学校じゃ、明日花としか話さないしな)


 雪乃さんをクールキャラ扱いしてるけど、僕もたいがいだった。


「って、私は翔琉ちゃんを大事なパートナーだと思ってるのに、名前で呼んでくれないんだぁ?」


 最近では桜羽さんとも打ち解けるようになってきて、『翔琉ちゃん』と言われるようになった。

 学園の2大美少女とここまでお近づきになれるとは、自分でも信じられない。


「そんなことより、勉強会をするんでしょ。入って」


 桜羽さんが後ろ手でドアを閉める。

 そのとき、気づいてしまった。


「桜羽さん、服大丈夫?」


 彼女が着ていたブラウスが濡れていることに。

 ピンクの下は、黄色のおブラジャーでした。


(ってか、やっぱデカい)


 熟れ頃のメロンだった。


「横降りの雨で濡れちゃった~てへっ」


(指摘した方がいいんだろうか?)


 一瞬だけ迷った後、回れ右をした。

 気づかないフリをするのが優しさだと思うから。


 ふたりでリビングへ。


「おはよう~雪ちゃん」

「えっ?」


 雪乃さんが固まった。


「春菜。反則」


 雪乃さんは無表情で芳香剤のスプレーボトルを手に持ち。

 自分の服の胸元に何度も吹きかける。

 じゅわじゅわと染みが広がっていき。


 こっちは黒でございます。


「あの、雪乃さん?」

「早く勉強しましょ。期末試験まで3日よ」


 困惑する僕と、微笑を浮かべる桜羽さん。桜羽さんには雪乃さんの謎行動の意味がわかるらしい。

 ちなみに、雪乃さんが桜羽さんにタオルを貸して、事なきを得た。


 勉強会を始める。

 勉強会といっても、勉強そっちのけで遊んだり、教えあったりはない。


 昼食休みを挟んで、午後3時になるまで、もくもくと自分の勉強に打ち込んでいる。


 もくもく会だ。

 もくもく会とは、勉強したい人が集まって、参加者が「黙々と」勉強をする会のことである。自分ひとりで勉強するよりもモチベーションが上がるとか。


 僕的には、ひよりちゃんとまりぃちゃんに作業雑談をしてほしいんだけど。


(いや、さすがに迷惑か)


 勉強しながら雑談して覚えられるとは思えない。それで、ふたりの成績が下がったら、ふたりのファンに怒られそう。


「翔琉くん、あたしたちのことなら心配しなくていいわよ」

「私はともかく、雪ちゃんは学年で8位だしね~」

「春菜だって、12位でしょ」


(ウソだろ?)


 ふたりとも企業VTuberとして配信外の仕事もしているのに。

 僕は平均より上位であるものの、そこまで優秀ではない。


「作業雑談はともかく」


(って、雪乃さん僕の心を読んでた?)


 軽く驚いていたら。


 ――むぎゅ。

 腕が究極の柔らか物質に挟まれていた。


「雪乃さん、なにしてるの?」

「むにゅむにゅしてるの」

「見ればわかりますが」


 雪乃さんが僕に体を押しつけていた。


「だって、勉強でストレスが溜まったんだもん。翔琉くん成分を補充していいでしょ」


『翔琉くん成分』が何かは聞かない方がいい気がする。


「雪乃さんレベルでも、勉強でストレス溜まるんだね?」

「ん。学校には仕事のことを伝えるから、成績が悪かったら怒られそう。だから、プレッシャーがあるの」

「雪ちゃん、クールに見えて、メンタル弱いもんね」

「あたし、クソ雑魚メンタルだし」


 認めた。


「だから、翔琉くんにギュッとしてもいいの」


 開き直った。


「まあ、僕ごときの成分で気が楽になるなら、したいようにすれば」


 けっして、おっぱいを堪能したいからではあります。日本語的に変なのは、おっぱいのせい。


「ふたりって、ほんとに付き合ってないんだよね~?」

「「うん」」


 雪乃さんと声が揃った。


「バカップルにしか見えないんですけど~」


 疑われるのも無理はない。


「あたしは翔琉くんに寄りかかって生きていたい」


 推しが自分を特別扱いしてくれて、感激しかない。


 なのだけど。

 はたして、雪乃さんにとって良いことなのか疑問に思った。


「僕も雪乃さんには自立してほしいかな」

「あたしが嫌なの?」

「そうじゃない」


 僕は桜羽さんを真似て、微笑で答える。コミュ力強者にあやかれば、傷つけないと思って。


「僕がずっと同居して、雪乃さんを支えられればいいんだけど、わからないでしょ?」


 雪乃さんは瞳を伏せる。捨てられた子犬のよう。


「最近、雪乃さん、夢が見られそうって言ってるよね?」

「そうね。あたし、今の生活を続けたい。翔琉くんと暮らして、VTuberのお仕事をして。そんな日常が大好き。それが夢なのかはわからないけど、真剣に思ってるから」


 僕は言葉に詰まってしまった。


 だって、雪乃さんの夢は、今を続けることで。

 そして、僕が同居する目的は、雪乃さんに夢に見せること。


 目的を達成してしまったら、僕は雪乃さんの家にいる必要がなくなる。


 そのことを僕が指摘したら、彼女は永遠に夢を叶えられなくなってしまう。


 僕は将来を考えて、雪乃さんに自立してほしいのだが。


「わかった。雪乃さんの気持ちを尊重する」


 少しでも対応を誤ったら、悲劇が起きかねない。

 僕自身、雪乃さん《推し》との生活は楽しいし、いったん折れた。


「じゃあ、試験が終わったら、ご褒美のデートして」


 甘えてきた。


 僕は彼女の銀髪を撫でる。

 桜羽さんがニヤニヤしていたので、恥ずかしくなった。


「僕、デートしたことないんだけど」


 そう言ったら。


「夢のランドはデートじゃなかったんかい~?」 


 桜羽さんに呆れられてしまった。


(やっぱ、デートですよね?)


 雪乃さんを傷つけかけたし、お詫びの意味でもデートしてみよう。


「わかった。じゃあ、来週の日曜日にデートしようか?」

「うんっ!」


 雪乃さんの声は弾んでいた。ひよりちゃんモードになっていた。

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