第22話 推しと観覧車

 空が紅色に染まっていた。

 テーマパークでの遊びも終わりに近づいている。


「同じ空なのに、観覧車から眺めると、風情があるわよね?」

「うん、観覧車の雰囲気が神だよな」

「観覧車の中で告白したくなるのもわかるわね」


 雪乃さんはしみじみとつぶやいた。

 冷静に分析している。


 もし、雪乃さんが僕を好きなら、クールでいられないはず。


(やっぱ、僕を恋愛的な目で見てないんだろうな)


 寂しいような、気が楽なような。


「子どもの頃は、観覧車は無邪気に楽しめていたのにね」


 雪乃さんの声が沈んでいた。


「なにかあったのか?」

「ううん。今日1日遊んでみて、夢について考えちゃっただけ」

「そっか」


 僕も非日常的な空間に身をおいて、実感したことがある。


「夢って非現実的なのよね」

「僕も同じことを思っていた」

「手を伸ばしても届かないところにあって」


 雪乃さんは雲に向かって、右手を斜めにあげる。


「無理だとわかっていても、ほしくなって、手を伸ばしてしまう」


 嘆息とともに小さな口から声が吐き出される。


「夢って、そういうものかも」

「そうだな」


 僕は相づちを打つと。


「少しは夢が見えてきたのか?」


 だとしたら、僕は目標を達成したことになる。


 そのとき、ふと思った。


 雪乃さんが夢を見られるようになったら、僕が同居する意味もなくなると。


 あの日以来、雪乃さんは自分を傷つける素振りを見せていない。

 日常的な不満は僕が受け止めている。桜羽さんのような友だちもいる。


(なら、同居を解消した方がいいよな)


 と思いつつ。


(ちょっと待て)


 油断した頃が危ないとも聞く。

 いかにもメンタルを病んでる人が、自殺を決行するイメージがある。

 ところが、普通にしていた人がある日突然というケースもあって。


 過去、僕が取り返しのつかない失敗をしたのも、まさか大丈夫だろうと軽く考えていたから。


「残念ながら」


 雪乃さんの言葉で意識を切り替える。

 いまは雪乃さんの話を聞かないと。


「人をダメにする夢を見て、夢を信じたくなくなった」

「ごめん、僕が変なところに連れていって」

「ううん、翔琉くんのおかげで思い出せたから」


 雪乃さんは胸に手を添え。


「あたし、両親が亡くなったときの夢だったの」


 消え入りそうな声でつぶやく。


「前に旅行中の事故が起きたと言ったわよね」

「ああ」

「さっき見たのは、事故が起きずに無事に家に帰った夢だった」


 僕の夢と似ている。


「夢から覚めたとき、自分の罪を実感させられたの」


 前に聞いたときも、自分のせいで親が亡くなったと言っている。


「僕でよかったら、話を聞くよ」


 雪乃さんは僕の方に身を寄せる。互いの肩が触れ合う。


「旅行の帰り道。高速道路に乗っていたの。数年ぶりの家族旅行。あたしは大はしゃぎ。他の車を追い抜いていく車を見て、面白いと思った」

「うん」

「安全運転をする父に、あたしは言った。『ねえ、もっとスピード出さないの?』って」


 雪乃さんの顔に皺ができた。


「父は答えた。『捕まらない程度ならいっか』ってね。そして、父はとある車を抜いた」


 雪乃さんはうつむいたかと思うと、顔を上げた。


「それが失敗だったの」

「失敗?」

「あたしたちに抜かれた車はキレた。腹いせに、あおり運転をしてきた」


 嫌な予感しかない。


「そう。後方にピタッと寄せられて……」


 雪乃さんが言い淀んだ。よほどつらいのだろう。


「言わなくていいぞ」

「……あたしのせいなの」


 琥珀色の瞳から涙がこぼれる。

 僕はハンカチで彼女の頬をぬぐった。


「あたしがバカなことを言わなければ、事故は起きなかった。あたしがパパとママを殺したようなもの」

「ちがうぞ」


 思わず言っていた。

 基本的には雪乃さんの言葉を否定しないつもりだったのに。


「あおり運転をした方が悪い」

「でも、原因を作ったのは、あたし」

「かもしれないけど、追い抜いただけだろ?」

「え、ええ」


「雪乃さんが危ない運転をさせて、キレられたならまだわかるけど……追い抜きなんて普通にするじゃん」


「そうね」

「なら、雪乃さんに罪はない」

「そうなの?」

「ああ。僕が断言する」


 正直、法律も運転も知らない高校生が言うセリフではない。

 が、雪乃さんを安心させるには堂々と振る舞った方がいい。


「っていうか、警察は捜査したのか?」

「うん。犯人は捕まった」


 なら、まだ救いはあるか。


「その犯人。銀行かどこかで働いているエリートの人だったんだけど、仕事で嫌なことがあって、むしゃくしゃしていたんだって」

「そんな理由で」


 言葉を失う。


「そういえば、その人、別の事件でも捕まったような」

「えっ?」


 犯人の見当がついてしまった。


(そいつのせいで、僕も……)


 胸の古傷がギスギスと痛む。


「翔琉くん、大丈夫?」

「ううん、なんでもない。胸くそ悪かっただけ」


 どうにか誤魔化すが、正直、動揺していた。

 僕は深呼吸をして、心を落ち着かせる。


 同時に、心に誓った。

 雪乃さんに精神的なショックを与えないよう、僕の事情は黙っていようと。


「雪乃さんは悪くないから。悪くないぞ」


 彼女へのしょく罪の気持ちもあって、繰り返した。


「あと、もうひとつ愚痴っていい」

「もちろん」

「あたしを引き取った伯母に、『あんたのせいで、かわいい妹が死んだんだからね』って、責められて」

「そんなひどいことを……」


 絶句してしまった。


「伯母はあたしに冷たかった。あたしは伯母から離れたくて」


 雪乃さんは笑顔になる。無理やり作ったのか、引きつっている。


「ドリーミーカントリーのオーディションを受けたの」

「そ、そうなのか?」

「経済的に自立したいから」


 雪乃さんは苦笑を浮かべる。


「ごめんね。翔琉くんの推しが自分勝手な動機で活動していて」

「いや、動機は人それぞれだ。VTuberが好きな人もいれば、お金が欲しい人もいる。べつに、面白ければ、なんでもいい」

「ありがとう」


 推しの笑顔に癒やされる。


「きっかけは自分勝手な理由だったけど、いまは仕事が好き」


 今日1日、雪乃さんは気づいたことをメモしていた。活動に熱心なのは伝わってくる。


「だから、少しでもみんなに楽しんでもらえるようがんばる」

「僕も全力で推すから」

「ありがと。ドリームフラワー翔さん」


 推しが僕の胸に顔をスリスリしてきた。

 僕は彼女の背中に手を回し、さする。

 ほっそりした体はか弱くて、柔らかくて、温かくて。


 僕が守っていこう。

 あらためて、決意を固める。


「カップルさん、いい夢を見られましたか?」


 いつのまにか、観覧車が到着していたらしい。

 猫のコスプレをした女性係員に笑顔で迎えられた。


 雪乃さんを抱き寄せて、ふたりで観覧車を降りた。

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