第12話 推しと下校デート

 金曜日放課後の教室は弛緩した空気に包まれていた。


「夢るん、あーし、美少女アイドルを育成すっから先に帰るぞ」


 隣の席の明日花が荷物をカバンにしまいながら言う。


「『推し娘』のイベント、今日からだっけ?」

「あれ、夢るんが忘れてるなんて、珍しいんやな」

「わ、忘れてたわけじゃないぞ」


 ウソだ。ここ数日、同居生活のバタバタでソシャゲをやる余裕がなかった。ログインボーナスすらもらえてない状況なので、イベントの日程なんて言わずもがな。


 なお、『推し娘』はファンの立場で、推しのアイドルを育成していくゲーム。CDを買って握手会に参加してメッセージを届けたり、スパチャを送ったり。推し活を楽しめる。


(あれ、普段の僕と変わらねえんじゃね?)


「まあ、怪しいけど、男の子には秘密はあるもんやし。海賊版AVに忙しいとかさ」


 明日花は立ち上がると、僕に背を向ける。


「お、おい。海賊版には手を出してないからな⁉」


 僕の抗議を無視して、明日花は教室を出て行った。


 ――チャリン!


 僕のスマホが音を鳴らした。

 LIMEだった。雪乃さんからだ。彼女はスマホをカバンにしまうところだった。


『AVってなに?』


 今の会話が聞かれていたらしい。

 濡れ衣とはいえ、正直に答えるわけにもいかない。


『AVは、アイドルビデオのこと』


 ウソだ。アイドル《Idle》ビデオなら、IVでないといけない。


『りょ』


(マジで……?)


 雪乃さんも所属するVTuberグループ、ドリーミーカントリーはアイドル的な売り方をしている。バーチャルアイドルが、アイドルのスペルも知らないとは。

 勉強大丈夫なんだろうか?


 いや、待てよ。


 うちの学校、生徒の多様性を尊重するとかでAO入試をやっている。AO入試なら何かに秀でていれば、学力はそこまで問わないらしい。そのシステムのおかげか、女優やモデルもいると聞く。


 夏川ひよりちゃん、チャンネル登録者数は100万人を超えているし、さまざまな案件やライブも行っている。顔出ししてなくてもAO入試枠もありうる。


『裏門を出たところで待ち合わせしよ』


 なんと、お誘いが来た。

 まさか、推しと下校デートができるなんて。


 これが正門だったら周りの目を気にするんだが、裏門は人通りが少ない。歩いている人は地元の人か、配達の人ぐらい。知り合いに見つかる可能性は低いし、大丈夫だろう。


『雪乃さんが教室を出てから追いかけるよ』


 僕たちが同居していることは学校に報告していないし、クラスメイトにも言っていない。

 僕は明日花しか友だちいないし、雪乃さんもボッチ。そもそも、相手がいないけど。


 それでも、万が一、バレたら噂になる。

 僕はともかく、雪乃さんに余計な刺激を与えたくない。


 ここ数日、雪乃さんのメンタルは安定している。

 僕が一緒に入浴したり、添い寝したり、愚痴を聞いたり。

 それらの反応を見た、表面的な印象だけど。


 本人の内面では無理している可能性もあるわけで。

 なにがきっかけで、大それた行動に出るかわからない。


 僕の過去の経験が油断をするなと警告を発している。なので、念には念を入れて、同居がバレないようにしようと思っている。


 雪乃さんが教室を出ていくのを確認。すぐ後に、桜羽さんたち陽キャグループの面々も続いていく。


 僕はのんびりと立ち上がる。

 校舎を出た後は早歩きで、待ち合わせ場所へ。


「ごめん」


 当たり前だけど、雪乃さんは先に着いていた。


 これがラブコメでデートだったら。

『ごめん、待った?』

『いま来たところ』

 をやりたいのだが、相手は推しのVTuberだ。


「少々お待ちを」


 僕が振ったら。


「しょしょまつ」


 雪乃さんは乗ってくれた。


 ひよりちゃんが配信中に席を外すときに、『少々お待ちを』と言うときがある。そんなときに、『しょしょまつ』とコメント欄で返すのが定番になっていた。


「普段とは逆パターンだけど、やり取りできて助かった」

「せっかくだし、ファンサービスしないとね」

「ひよりちゃんを好きになって良かったぁ」


 感極まって泣きそうになってしまった。


「よしよし、いい子でちゅねぇ」


 ついには頭を撫でられる。


(ASMRなんですけど⁉)


 最高すぎるが、人通りが少ない裏路地とはいえ外は外。


「外だし見られたら……」

「あたし、小学生のときにパパが学校に迎えに来て、よしよししてくれたの。だから、翔琉くんにもしてほしいの?」


 推しに上目遣いでねだられたら断れない。


「雪乃さん、今日も勉強して、エラい、エラい」


 僕は雪乃さんの髪に触れる。5月の陽を浴びて輝く銀髪はさらさらしていて、スッキリした匂いもしていて。えも言われぬ幸福な気分になる。


(マジで夢みたい)


「翔琉くん、昼休みのことなんだけど」

「ん?」

「ひよりと結婚したいの?」

「したいけど、夢物語だと思ってくれていいよ」

「夢物語?」

「非現実的だけど、実現したらいいなぁってオタクの妄想」

「べ、べつに、翔琉くんだったらいいよ」

「えっ?」

「えっ?」


 自分の耳を疑った僕と、僕の反応に戸惑った雪乃さんが顔を見合わせる。

 雪乃さん、冗談を言ったんだろうが、本気だった場合を想像してみた。


 僕は夏川ひよりちゃんを推している。結婚したいぐらいに。

 夏川ひよりは二次元の体を持って、魂は清氷雪乃が演じている。あくまでも、架空バーチャルの存在だ。

 作られた人格なわけで。


 仮に、清氷雪乃と結婚しても、夏川ひより《キャラ》と結婚できるわけではない。


 リアルのアイドルだったら、『アイドル○○と結婚しました』になるのに。


(推しのVTuberと結ばれるのは、不可能なんだよなぁ)


 それでも、ひよりちゃんからにじみ出る性格も好きだから、演者とも結婚したかっただろう。


 少なくとも先週の僕だったら。

 いまは推しの正体を知ってしまって、なんとも言えない気分でいる。


 別に雪乃さんは嫌いじゃない。教室のクールなキャラとちがって、家ではかわいいしかないし。

 V豚としては複雑すぎる。


「翔琉くん、あたしじゃダメなの?」


 泣きそうな目をされた。


「そんなことないよ。雪乃さん、僕にもったいなさすぎる子だし」

「よかったぁ。なら、頭を撫でて」

「はい」


 再び、僕は雪乃さんの銀髪を触る。

 前から歩いてきたおばさんが生温かい目を向けてきた。


(知り合いじゃなければ、見られてもいいやぁ)


 多幸感に流されかけたが――。


「なんか殺気を感じない?」

「……翔琉くん、どうしたの?」

「誰かに睨まれているような気がして」


 辺りを見回すが、例のおばさんしか人はいなかった。


「気のせいじゃないの?」

「そうだよな。裏門を使ってるし、知り合いには見られてないはず」


 僕だけだったら勘違いで終わらせただろう。

 が、雪乃さんは学年の2大美少女。ストーカーされる危険もゼロではない。


「念のために聞くけど、これまで誰かにつけられたとかない?」

「ううん、ないわ」

「なら、大丈夫かな」


 僕たちは歩き始める。


「あっ、そうだ!」

「雪乃さん、どうしたの?」

「翔琉くん、あたしの家で暮らすのに必要なものない?」

「最低限の物しか持ってこなかったしなぁ」

「なら、いまから買いに行こうよ」


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