第9話 推しとの夜
異常に疲れる入浴の後。
寝床の準備を終えた僕は、ベッドに座り、まったりしていた。
(ご両親の寝室を借りてよかったのかなぁ)
話を聞いたかぎり、清氷さんにとって両親との思い出はとてつもなく重要で。
そこに、ただのクラスメイトが割り込むんだ。
やっぱ、今からでもリビングのソファを使わせてもらおうか。
部屋を出ようと、ドアノブに手をかけようとする。
そのとき、向こうからドアが押された。
ぶつかりそうになり、慌てて上半身を後ろにそらす。
セーフだったのだが。
学年の2大美少女の麗しい顔が、30センチほど手前にあった。
顔のパーツは小さいのに整っているし、琥珀色の瞳は宝石みたい。
お風呂上がりの香りもいい。匂いフェチでなくても、興奮してしまう。
危険なので、彼女から距離を取る。
「僕になにか用かな?」
「あたし、中学のときも家族3人で一緒に寝てたんだよ」
「お、おう」
期待した返事が来ない。
清氷さん、ときどき会話のキャッチボールがおかしいことがある。陰キャオタクの僕から見ても、首をかしげてしまう。
「だから、夢咲くん、一緒に寝てくれないかな?」
「わかりました」
即答してから。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!」
叫んでしまった。
「ちょっと待って。僕と一緒に寝るって意味わかってるの?」
さすがにまずい。
男と女が一緒に寝るって、男女の仲になるとしか考えられず。
付き合ってもないのに、早すぎる。
「同じベッドに寝るだけだよ。子どもの頃みたいに」
「へっ?」
どうやら、僕の勘違いだったらしい。
「同じベッドで寝るだけだったら、いいか……って、よくない!」
添い寝もアカンでしょ。
今朝も添い寝して、事故で触ってしまったし。
そもそも、隣に推しの美少女が寝ていて、我慢するのはしんどすぎる。
「ダメなの?」
清氷さんの目が子犬になった。
(そんな顔をされたら、断れないじゃんか)
「どうしてなの?」
「子どもの頃に、この部屋で両親と一緒に寝てたから」
「う、うん」
「夢咲くんと思い出の場所で、思い出をなぞりたくなったの」
お風呂といい、添い寝といい……。
清氷さんは家族でしていた行為を僕とやりたいらしい。
「でも、僕なんかで家族の思い出を上書きしていいの?」
「『僕なんか』じゃない。夢咲くんだからいいの」
推しが反則級にかわいすぎる。
無条件に同意したくなるけど、こらえた。
「僕みたいな陰キャオタクをずいぶん評価するんだね?」
「だって、夢咲くん優しいし、あたしのために一生懸命なんだもん」
もしかして、清氷さんは僕のことが。
(いや、勘違いするな、童貞よ)
「パパみたい」
「そ、そうだよね」
(ほらな)
でも、推しと良い関係になるのは、オタクの夢でもある。夢すぎて、夢のままで終わらせた方がいいまである。
気を取り直そう。
「話を戻すけど、両親との思い出を僕で上書きしていいの?」
「思い出は上書き保存じゃないよ。名前をつけて保存なんだから」
「あれ? 男が名前をつけて保存で、女は上書き保存じゃなかったけ?」
「それは恋愛の話。それに、女はって一般化してるけど、あたしには当てはまらない」
「そうなんだ」
「だから、夢咲くんと寝ても、両親との思い出は消えるわけじゃない」
そこまでして、僕と添い寝したいんだったら、許可してもいいような気がする。
「わかった」
「やったぁぁっ!」
清氷さんはぴょんぴょん飛び跳ねる。パジャマを盛り上げる膨らみが、縦に揺れる。
教室にいるときとは別人のよう。むしろ、夏川ひよりちゃんのテンションに近い。
「喜んでるところ悪いけど、もうひとつ教えてくれないかな?」
「なに?」
「ご両親としていたことを僕としているでしょ?」
「そうね。できるだけ、夢咲くんと一緒にやりたいかな」
言葉の選び方もあって、恥ずかしくなる。
「よかったら理由を教えてくれないか? なにか手伝えるかもしれないし」
あんまり問い詰めるのもどうかと思って、聞き方を変えてみる。
「昔はあたしにも夢があったから」
「夢?」
「そう。両親を大事にして、いつまでも家族仲良くする」
「……良い夢だね」
「野心のかけらもないのに?」
チャンネル登録者数100万人以上のVTuberに言われると、複雑な気分になる。
「あたしのせいで夢は永遠に叶わなくなったけど」
苦笑いを浮かべる清氷さんがはかなくて、どうにか彼女の力になりたいとあらためて決意する。
「両親としたことを再現していけば、そのうち気づくかもしれない。あたしにも夢が見られるって」
そうだったのか。
彼女も夢を見ようと願っていたのだ。
ただ、つらい現実があって、悲観的になっているだけで。
「わかった。とことん付き合うぞ」
僕は自分の胸を叩いてみせた。
清氷さんはかすかに頬を緩ませる。
小さな笑顔に僕は見とれそうになった。
それから、僕たちは同じベッドに入った。
1時間後。僕は自分の判断を軽く後悔していた。
だって、美少女が隣で寝てるんだよ。
いい香りがして、腕も当たっている。息の音はASMRだし。
寝られるわけがない。
悶々としていたら。
「ありがとね」
清氷さんも起きていたらしい。
「ん、なにが?」
「あたしの面倒くさい頼みに付き合ってくれて」
「面倒くさくなんてないぞ。とことん君に関わるって、僕も決めたし」
「ほんとに夢咲くん、あたしの特別な人なんだから」
「清氷さん、恥ずかしいんですけど」
軽く抗議する。
「雪乃」
「えっ?」
「雪乃って呼んで」
さらに眠れなくなりそうなことを言ってきた。
「女子を名前呼びするのは……」
「天道さん、名前呼びしてなかったけ?」
「あいつは異性ってより、オタク仲間だから」
「なら、あたしたちは同居仲間だね?」
ひよりちゃんボイスはめちゃくちゃ弾んでいた。
断れない奴だ。
「ゆ、雪乃」
「なにかな、翔琉くん」
(うわっ、甘酸っぱい)
「翔琉くん、ギュッとしていいかな」
なんと、清氷さんは僕の腕に抱きついてきた。
いろんな感触がアカンのですけど。
柔らかすぎて、脳がとろけそう。
「昔、パパにこうしてたの」
「そ、そうなんだ」
そう言われたら、引きはがすわけにもいかない。
結局、彼女が寝つくまで、僕は男の本能と戦う羽目になるのだった。
寝られなかったのは言うまでもない。
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