第8話 推しと入浴?

 夕飯は朝ごはんに続き、清氷さんの手料理だった。

 ディアボラ風チキンソテー、ルッコラと生ハムのサラダ、アンチョビのピザ、ミラノ風ドリア。


「こんなに贅沢じゃなくてもいいんだよ」

「ううん、食材は意外と安いから」

「安いのに豪華って、企業努力って感じがする」

「うん、某イタリアンチェーンを意識してるの」

「……たしかに、そんな感じの料理だね」


 食べてみる。


「おいしい」


 食に関心のない僕としては、おいしい以外の言葉が出てこなかった。

 ただ、ひとつだけわかる。ピザもドリアも出来合いのものではない。


「作るの大変だったでしょ?」

「料理は嫌いじゃないし、せっかくの記念日だから」

「記念日?」

「あたしたちの初夜」

「初夜って……」


 思わず絶句する。


(いつ僕は推しと結婚したんでしょう?)


 しかも、清氷さんは顔色ひとつ変えていない。

 本気じゃなくて、僕をからかっただけだと思う。


「あたしたちが同居した初夜でしょ?」

「えっ、ああ、そういう意味だよね。あははは」


 単純に事実を述べていたらしい。

 天然なのかもしれない。


 食事を終えると、ティラミスとエスプレッソが出てくる。


「ほんとにレストランみたい」

「以上でご注文はお揃いでしょうか?」

「ひよりちゃんボイスで店員さんの真似は助かる。スパチャ送るね」

「ドリームフラワー翔さん、ありがとおぉ」

「スパチャ読みまでサービスしてもらえるなんて」


 僕は天国に来たらしい。


「お風呂でもサービスしちゃうよ」

「ぶはぁっ!」


 エスプレッソを噴き出しかけた。

 その一言で思い出した。一緒にお風呂に入らないかと言われていたことを。

 あまりに突拍子もなさすぎて、僕の中では冗談にしていたのに。


「本気なの?」

「小3の時に親友だった美紀ちゃんに誓って、本気」

「わかんねぇよ⁉」


 つい突っ込んでしまった。


「あたしを助けてくれるんでしょ?」

「もちろんだ」

「知ってる? お風呂が危険な場所ってこと?」

「そうなのか?」

「滑って転びやすいし、溺死する事故も起きているわ」

「それって高齢者の話じゃないのか?」

「ちっ、バレたか」


 舌打ちしたよ。


「あたし、リスカしちゃうかもよ」


 いまの会話だけを考えると、するとは思えない。

 けれど、昨日、自殺未遂をしたばかりの子で、簡単に否定できない。


「どうして、そこまでこだわるんだ?」

「久しぶりだから」

「えっ?」

「この家に人が来るの」


 清氷さんは捨てられた子犬のような目をしていた。


「あたし、両親が生きていた頃は、家族みんなでお風呂に入ってたんだよ」

「そうなんだ」

「でも、親が亡くなって、ひとりで入るようになって、ずっと寂しかったの」


 淡い銀髪が彼女のはかなさを引き立てる。


「とくに、この家で住んでると両親を思い出しちゃって」


 僕の胸が苦しくなる。

 家族と一緒に入浴。清氷さんにとっては良い思い出でも、僕にとっては後悔しかない。


 でも、僕の事情は彼女に関係なくて。

 僕は彼女を助けると決めたから。


「だから、あたしに背中を流させてくれない?」

「……」

「ダメかな?」

「いいよ」


 僕は清氷さんの大胆な提案を受け入れた。


「けど、条件がある」

「なにかな?」

「水着で入るならいいよ」


 僕の水着は持ってきていない。タオルで隠せばいいだろう。

 というわけで、推しと入浴することに。


(昨日の僕に言っても、信じてもらえないだろうな)


 先に脱衣所で脱ぎ、タオルを腰に巻いて、いざ風呂へ。

 シャワーで全身にお湯をかけていたら、扉が開く音がした。

 自室で水着に着替えていた清氷さんが来たようだ。


 振り向く。


(スク水じゃないですか⁉)


「中学時代の水着しかなくて……」

「苦しくない?」

「胸がきつい」


 中学時代からだいぶ成長したのだろうか、ぱっつんぱっつんだった。

 とくに、胸。あきらかに繊維が足りてなく、上辺じょうへんが下に引っ張られている。結果として、谷間がくっきり浮かび上がる形に。

 やはり、清氷さんの胸はかなり大きかった。


 あと、お尻にもお肉が食い込んでいる。むっちりしたお尻から太もものラインが実にお見事だ。

 エロい。むしろ、水着がエロいんですけど。


(裸の方がマシじゃね?)


 呆気に取られていたら。


「夢咲くん、背中を洗うわ」


 清氷さんの言葉で我に返る。

 寂しいから僕がいるわけで、誰でもいいのだろう。

 意識しているのがバレたら、彼女を裏切る。


 目を閉じて、脳内で夏川ひよりちゃんの切り抜き動画を再生する。

 推しの明るい声を思い出し、落ち着きかけたところ。


「かゆいところないかな?」


 ひよりちゃんにご奉仕してもらってるとしか感じられず、心臓の鼓動がハンパない。

 しかも。


「ひゃうぅ」


 僕の口から変な声が出てしまった。

 だって、清氷さんの温もりが背中に当たったんだから。


「手で洗ってるの?」

「お肌は繊細だから」

「お、おう」

「それとも、もっと柔らかい場所がいいかな?」

「ぐはっ」


 むせた。


(それって、む、胸だよね?)


 そんなことされてみろ、僕の心臓が持たない。

 僕がお風呂で死ぬ羽目になる。

 やはり、お風呂は危険な場所だった。


「手でお願いします」


 手で背中を洗ってもらった。

 水場という空間にくわえて、清氷さんの感触、石けんに混じった清氷さんの芳香、彼女の吐息。それらが相まって、僕を楽園へと導く。


「後ろは終わりよ。前は……」

「じ、自分でやるから」


 さすがに無理。自分で適当に処理したあと、湯船に入る。

 清氷さんが自分の体を洗い始める。

 僕は目をつむり、激動の1日を振り返った。


(ほんとに夢みたいだったよなぁ)


 VTuberの世界に漠然とした夢を描いていて。

 推しが身近にいただけでなく、同居することになって。

 夢みたいに楽しい。


 もちろん、清氷さんは心配だけれど。


 どうやって、彼女に関わっていこうか悩んでいたら、水が落ちる音がした。膝が柔らかいものに触れる。


 目を開けると、清氷さんが僕に向き合う形で浴槽に入っていた。

 広めの浴槽とはいえ、大人ふたりだ。膝同士が当たっている。


 というか、浮いている。ふたつの山が。


(胸が水に浮くって都市伝説じゃなかったんだな)


 すごすぎて、凝視してしまう。


 清氷さんが口を開く。

 バレたかと思ったが。


「ふぅ~幸せね」


 どうやらセーフだったようだ。


「幸せ?」

「そう。また、この家で、誰かと一緒にお風呂に入れたんだから」


 邪なことを考えていたのが恥ずかしくなる。


「僕でよければ、いつでも付き合うから」

「なら、毎日ね」

「そ、それは……」


 僕の心臓が持つのか不安になる。

 約束した手前断りにくいし、明日からの対策を後で考えよう。


「それより、夢咲くん、お腹の傷は大丈夫?」

「えっ? ああ、これね」


 うっかり忘れていた。裸になったら古傷が見られてしまうことに。

 刃物で刺された痕なのだが。

 本当の理由は話せない。清氷さんにどんな影響が出るかわからないから。


「たいしたことないから」


 ウソを吐きたくなくて、愛想笑いで誤魔化した。

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