第7話 推しの憧れ

 清氷さんはリビングの隅に置かれた仏壇に行き、何かを持ってテーブルに戻ってくる。

 写真だった。朗らかな夫婦と、小学校高学年ぐらいの女の子が笑顔で写っている。


「あたしの両親よ」


 か弱い声に、悲しさと悔しさと儚さと、さまざまなマイナスの感情がにじんでいた。


 なんと言っていいかわからなかっただろう。

 僕も両親の死に直面し、絶望と後悔を経験していなければ。


「僕は愚痴聞き役だし、僕も両親を亡くしている。話ぐらい聞くよ」

「ありがとう。他人に話したことないから気持ちの整理がついてないの」

「わかった。なら、気が向いたときでいいから」


 人には詮索されたくない事情はある。

 腹の古傷をさすりながら、僕は清氷さんの言葉に同意する。


「でも、夢咲くんには、少しだけでも聞いてほしいかな」

「お、おう」


 上目遣いの破壊力が高すぎて、深刻な話をしているのにドキドキする。


「うち、小さな書店を経営していて、土日も夏休みもなし。だから、家族旅行なんて、ほとんど行ってない」

「そりゃ、寂しかったよな」


 彼女の顔色から気持ちを汲み取って、伝えてみる。

 すると、氷の女王は、「そうなのよ〜」と言わんばかりに大きくうなずいた。


「でも、中2の夏に懸賞で旅行券が当たって、せっかくだし、お店を閉めて旅行に出かけたの」


 良かったなと言おうとして、慌てて言葉を飲み込む。


 清氷さんは両親の死をテーマに話している。

 旅行が両親の死に関係しているかもしれない。万が一、予想が当たったときに、彼女を傷つける恐れがあるからだ。

 心情的には、旅行が楽しかったで終わってほしいのだが。


「お城に行ったり、温泉に入ったり、美味しい魚を食べたり。旅行は楽しかった。昔のあたしは明るかったし、すっごくはしゃいだわ」

「写真の清氷さんを見てると、ひよりちゃんみたいに陽の空気が漂ってるね」

「……いまのあたしが陰キャだと言いたいのね?」

「清氷さんの場合は陰キャの次元を超えてるんだけど⁉︎」


 学校ではほとんどしゃべらないけど、美少女すぎて高嶺の花のイメージが強い。

 本人を前に美少女とは言いにくいから触れないけど。


「あたしが美少女すぎって、恥ずかしいじゃない」


 下着を見られても堂々としていた子が頬を赤く染めている。基準がわからない。


「話を戻すわ」


 彼女の声が急に湿っぽくなる。


「旅行の帰り道。あたしの……せいで」

「し、清氷さん?」

「あたしがはしゃぎすぎて、高速道路を運転をしていたお父さんに迷惑をかけたから――」


 琥珀色の瞳に透明の液体が浮かぶ。


「事故が起きて……両親は亡くなり、あたしだけが助かったの」


 テーブルに落ちる涙に、悔恨が混じっていた。


「な、なんでなのかな?」

「えっ?」

「なんで、お父さんとお母さんだったのかな?」


 な彼女は泣きながらも、話そうとする。

 僕は彼女の気持ちを汲み取って、全力で言葉を受け止めようとする。


「なんで、あたしみたいな悪い子じゃなくて……誰にたいしても優しくて、お客さんにも地域の人にも慕われていた両親が死んじゃったのかな」

「……」

「親が亡くなったから」

「えっ?」


 とにかく聞こうと思っていたが、つい聞き返してしまった。

 会話の流れがつながっていなかったのにくわえて、昨日と同じ顔をしていたから。橋から飛び降りようとしていたときと。


「あたし、死に憧れているの」


 涙が浮く瞳は、あまりにもまっすぐで。ただひたすらに、純粋で。


「だって、死ねば、両親のところに行けるから。あっちで、謝れるから」


 彼女が放つ魅力に引きずり込まれそうになる。

 昨日は清氷さんの抱えている事情を知らなかった。意味不明な炎上で燃やされたことを苦にしてだと思っていたが。

 そもそもの背景として、両親の死があって、昨日の件があったのだろう。


 多少でも彼女に触れた今、彼女が救われるなら――。


(いや、待てよ、僕。僕だって死を見てるじゃねえか!)


 彼女の世界に同調しかけたが、引き戻す。


「君が死に憧れているのはわかった。君の立場だったら、僕も同じように思ったかもしれない」

「夢咲くん、わかってくれるのね?」

「ああ。僕も両親を亡くしているから、その部分の気持ちは共感できる。けどな

「けど」


 今さらだが、僕はハンカチを清氷さんに渡すと。


「両親が死んで、死に憧れて、死にたい? そこはわからないね」


 悪いと思いつつも、自分の意見を言う。

 ここで同意してしまったら、なし崩し的に彼女に手を貸してしまうかもしれない。

最悪、彼女の自殺を僕がほう助する可能性もある。同情の先にあるのは、不幸の道だ。

 嫌われてもいいから譲れない。


「わからない?」

「だって、僕は清氷雪乃じゃない。ある程度の気持ちはわかるけど、完全にはわからない」


 突き放すような言い方にならないよう、子どもをあやす口調で告げる。


「それに、僕も両親の死を経験してるけど、正反対の考えなんだ」

「正反対?」

「そう。僕は、僕は……両親を亡くしてから、人の死を絶対に見たくないと思っている」

「そ、そうなんだ」


 失望するような反応だった。


「現実はつらいから、マンガやドラマでも人が死ぬような作品からは避けてるし。あっ、異世界転生系のラノベは別ね。あれは、ノンストレスだから」


 あんまり彼女を責める雰囲気にならないよう、おどけてみせる。


「とにかく、君が両親が好きなのと、亡くなったことに責任を感じていることはわかった」


 言いながら、古傷がうずく。思えば、この傷がついたのは、中2の夏休み。彼女の両親が亡くなったのと同じ時期だ。


 誰よりも、両親の死に際し、自分を追い込んだ僕だからこそ。


「僕が死なせない」

「えっ?」

「僕と暮らすうちに、君は生に憧れるようになる」

「生に憧れる?」

「ああ。そうなるように、僕が君に夢を見せるから楽しみにしてなよ」


 勢いで啖呵を切ったが、後悔はしていない。


「それは楽しみね」

「僕に怒ってないのか?」

「なにを怒るというの?」

「君の考えに反対したから」

「別に、赤の他人なんだし、考え方ぐらい違うでしょ」


 割り切りのいい子で助かった。


「でも、お互いのことは知っていた方がいいわね」

「そうだな」

「なら、今日は一緒にお風呂に入りましょうか」

「…………………………えっ?」


 空耳でしょうか?




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