第2話 氷の女王と、夏の天使

「コーラでいいか?」


 橋の上で押し問答するのも野暮なので、とりあえず近くの我が家に清氷さんを連れてきた。

 なにも出さないわけにはいかず、聞いてみた。


「ごめんなさい。あたし、炭酸は苦手なの。紅茶をもらえる?」

「ごめん、うちには紅茶はないんだ……あっ、缶の紅茶ならあった」


 先日、自販機でコーラを買ったつもりが、紅茶が出てきた事件があった。とりあえず、持ち帰り、冷蔵庫に入れておいたのを思い出した。

 紅茶を持っていったところ。


「夜中に甘い紅茶を飲んだら、太るわ」

「……す、すいません」


 贅沢だなと言いたくなるのを堪えた。

 彼女がしようとしている行為もあって、突っ込みがしづらい。


「あっ、あたし、死ぬんだから、カロリー気にする必要ないじゃん」

「まだ、現実なんてゴミと言うのか?」

「そうよ。意味不明な因縁で炎上させてくる世の中なんてポイズン」

「ずいぶん古いネタを知ってんだな?」

「ネタはストックしておかないとね」


 清氷さん、学校では『氷の女王』と呼ばれている。

 苗字に氷がつくのに加えて、無口でつんと澄ましたクールな美少女。凛とした深窓の令嬢的な雰囲気もあって、入学早々言われ出した。


 そんな氷の女王と初めて話したのだが、イメージが違った。


「なあ、この部屋を見て気づくことはないか?」

「平凡すぎて、なにもないわ」

「平凡すぎで悪かったな……じゃなくって、この部屋のどこが平凡なんだ?」


 僕は推しの夏川ひよりちゃんの抱き枕カバーを指差して言った。洗濯しておいたものをソファにかけてある。

 その他にも我が家のリビングはオタク部屋と化していた。ひとり暮らしの特権だし。


「夢喰らいくん、この子が好きなの?」

「まあ、推しだからな……って、僕は夢咲なんですけど」

「あら、夢喰らいくんの方が中2心をくすぐられるのに」


 なんか疲れてきた。

(氷の女王のキャラ、解釈違いなんじゃね?)


「そうじゃなくって、僕の家にひよりちゃんのグッズがある件なんですけど」

「夢咲くん、豚に見えて、エッチなのね」


 清氷さん、目を泳がせている。

 いろいろ言いたいことはあるが、いったん置いておく。


(挙動不審ってことはやっぱ……?)


 橋で、清氷さんが夏川ひよりちゃんだと打ち明けた。


 しかし、僕は信じていない。

 夏川ひよりちゃんといえば、天然の明るさで楽しい配信をする子だ。ときどき、ポンコツになるけれど、陽の人間。『夏の天使』とも呼ばれていて、清氷さんとは真逆の印象である。


 声も配信で聞くのと全然違う。清氷さんの話し方は低めで、ボソボソしている。一方、ひよりちゃんは高めでテンションも高い。


 まずは、自殺をやめさせるのを最優先に、彼女が推しなのかも確かめたい。


「夢咲くん、自分がエッチなの否定しないのね」

「見逃しただけなんですけど⁉︎」

「現実なんてゴミね」


 話が戻った?


「なら、夢を見ればいい」

「夢なんてないわ。この世は煉獄」

「そんなことない。生きていれば良いことはある」

「ふーん、典型的な綺麗事ね」

「綺麗事でもいい。死んだら、おしまいだし」


 僕は身を持って知っているから。

 だから、嫌われてもいいから、彼女を説得したい。


「夢なんだけどさ」

「ん?」

「僕に夢を見せてくれた人がいるんだ」


 僕は清氷さんの琥珀色の瞳を一瞥した後、壁に貼ったひよりちゃんのポスターを見つめる。


「彼女、夏川ひよりちゃんなんだ」

「そ、そう」


 清氷さんの声がうわずった。


「実は、僕、両親を亡くしていて、落ち込んでたんだ」

「っっ!」


 清氷さんが目を見開いた。

 初めて、彼女の感情が見えた。


 僕に対して、同情ではなく。

 もっと。

 そう、親近感というか。


「そんなときに、うちのクラスにいる天道てんどうに、ひよりちゃんの配信をすすめられて、明るい挨拶に励まされた。僕は、ひよりちゃんに夢を見させてもらってるんだ」


 清氷さんは頬を緩ませると。


「こんばんは〜。ドリーミーカントリー3期生。夏担当の夏川ひよりでーす。今日も元気に暑く配信していきます。夏だけに」


 彼女の声に鳥肌が立った。


「ひ、ひよりちゃん?」

「どう? 似てたかな?」


 いまのなんだったんだ?

 清氷さんのボソボソした声に戻った。


「似てるってか、本人そのものだったよ」

「だって、本人だもんね」

「……信じたくないけど、認めるしかなさそうだ」

「死ぬ前だしノリでバラした後に、恥ずかしくなってシラを切ってたの。だって、あたしの抱き枕を使ってる人、初めて見たんだもん」

「そりゃ、僕も悪かった。けど」

「ん?」

「なんで、僕に正体を明かしたんだ?」


 急に清氷さんの態度が変わったのが気になっていた。

 氷の女王は柔らかい表情を浮かべて。


「うれしかったから」

「えっ?」


 不意打ちのかわいさだった。

 心臓がバクバクすると同時に、夜中の0時近くにふたりっきりなのを思い出して、恥ずかしくなる。


「あたし、さっきの配信でやらかしたの知ってる?」

「ああ。『ゆた坊かっこいい』と言ったら、人気VTuberのゆた坊と勘違いされて、恋愛スキャンダルにされたんだろ?」

「そう、そうなの。勘違いなの」


 清氷さんは身を乗り出してくる。

 ブラウスを持ち上げる大胆な膨らみが強調された。


「ゆた坊はゲームのキャラ。なのにさ、たまたま名前が被ってるだけで暴走しちゃって……一部の人にはホントに迷惑」


 氷の女王、今度は怒りを吐き出した。けっこう、感情が豊かな子だ。そういう意味でも、ひよりちゃんらしい。


「それに、あたし、ゆた坊さんとは挨拶する程度の関係なんだよ。コラボもしたことないし、好意なんてないのに。マジでウザい」


 やはり、根も歯もない作られた炎上だったか。


「僕はデマだと信じてたぞ」

「ありがとう。夢咲くんみたいな人ばかりだったら――」


 彼女は僕を上目遣いで見つめて。


「死のうとなんて思わなかったのに」


 繊細な一言に、下腹部の古傷はナイフで刺されたみたいに痛んだ。

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