第112話 ソフトクリーム、食べようよ

「すみません、前に会った時、お兄さんは髪の毛を結んでいたので……」

透弥とうやは申し訳なさそうに話す。

「あぁ、うん、そうだね」

真一は後ろ髪に手を回した。真理奈まりなにもらったヘアゴムは、大智だいちとの戦いの時に切れてしまい、それ以降、真一は髪を結んではいない。長い髪を垂らした後ろ姿だけを見ていたため、透弥は真一を真理奈と見間違えてしまったのだろう。

「えーっと……あのー、真理奈のお兄さんは……」

話しづらそうにしている透弥を見て、真一は慌ててフォローを入れる。

「あぁ、僕は真一。星野ほしの真一しんいちだよ」

「あっ、ありがとうございます。真一さんは、よくこのスーパーには来るんですか?」

透弥はそう言いながら、真一の隣の席に座ってきた。ほぼ初対面にもかかわらず急速に距離を詰めてきた透弥に、真一は内心ドキリとする。

「いや、そんなには来ないよ。今は、特に買いたいものもないからね」

「そ、そうなんですね……俺は、よく来るんです。今日も母さんと一緒に来てて。でも母さんの買い物はいつも長いから、よくここで時間を潰しているんですよ」

「へぇ。そうなんだ」

「はい、そうなんです」

「……」

「……」

 二人の間に気まずい沈黙が流れ、真一はしまったと思い、後悔する。

 せっかく相手が話題を振ってきているのに、それを真っ向から否定して話を終わらせてしまった。ここはうそでもよく来ると言った方がよかっただろうか。実際、何度かは来ているし、話を合わせること自体は不可能ではない。しかし、それではいつボロが出るか分からない。そもそも、会話って何が正解なんだ。年も離れた初対面の男の子相手に、僕は一体何をすればいいんだ。あぁ、こんな時、ミノリだったらもっとうまく話せるんだろうな。僕はこんなだから孤独なんだろうな。僕なんて……。

「あの……大丈夫ですか?」

「えっ?」

顔をのぞき込んでくる透弥に、真一はびくりとする。

「だって、なんか暗い顔をしていたから……」

「えっ? いや、そんなことないよ! あははははっ!」

嘘臭うそくさい作り笑いだ。ミノリだったら、例え作り笑いでも、もっとうまく笑えるのだろう。そんな自己嫌悪に陥りそうになった時。

「あっ、やっぱり真一さん、笑うと真理奈そっくりですね!」

意外な言葉をかけられた。

「えっ? 本当に?」

「はい、そうですよ! やっぱり兄妹きょうだいですね。二人とも美人だし、羨ましいなぁ」

「えっ、あぁ、うん。ありがとう。……えっと、真理奈とは、仲がいいんだね?」

共通の話題を見つける。それが雑談のコツだとどこかで読んだことがある。この場合、真理奈の存在が二人の共通の話題になると分かった真一は、苦し紛れに話題をらす。

「はい。いつも一緒に勉強してます。でも、俺の方が教えられてばっかりなんです」

「そうなんだ。真理奈、勉強得意だからね」

「はい! すごいんです。成績もいいし、昔に習ったことも忘れていないから年下の俺にも教えてくれるんです。教え方もうまいし!」

「へぇ、真理奈、教えるの上手なんだ。意外だな」

「はい! ……あ、でも真理奈から聞きましたよ。真一さんは、もっと頭がいいんですよね!」

「いや……僕は……大したことないよ」

真一は咄嗟に透弥の言葉を否定してしまう。それが適切な選択でないと分かっていても、ついそうしてしまうのだ。

「僕なんて、勉強ができるだけだよ。真理奈やきみの方が、よっぽどすごい」

真一は再び後悔する。

 いきなり重い話をするのは会話においては最悪の選択だ。これでは相手に気を遣わせてしまう。分かっている。でもやめられない。話せることが、これしかないんだ。

「えっ? でも……真理奈いつも言っていますよ。『真一は努力家だ』って」

透弥からの思わぬ返答に、真一は目を見開く。

「それ、本当?」

「はい。『真一は努力を怠らない。勉強も運動もできるけど、ただ才能があるだけじゃなくて自主的に考えて努力をしている。だからすごいんだ』って」

「……そうなんだ」

「本当ですよ。真理奈だって相当頑張っているはずなのに、真一さんを見ているからなのか、全然満足しないんです。どこまでもどこまでも、真一さんを追い続けている。真一さんは真理奈にとっての目標なんです」

「そう……なのかなあ……?」

「そうですよ! だから俺、真理奈の話を聞いてて、ずっと真一さんに会ってみたかったんです! それがこんなところで憧れの人に会えてラッキーです!」

憧れの人という言葉に戸惑いを覚えた真一だが、彼の言葉にどこかに落ちるような感覚がした。

 さっきから透弥は初対面とは思えないテンションで真一に話しかけてくるが、これはアイドルのファンが推しに会った時のように興奮しているだけなのだ。自分が憧れの対象になっていたのは想定外だが、おそらく、透弥も本当の自分を知ったら失望するだろう。

「それでも、僕は……。君が真理奈から何を聞いたのかは知らないけど、僕は本当に大した人じゃないんだ。弱くて、愚かで、どうしようもない。真理奈から見たら、もしかしたらカッコよく見えていたのかもしれないけどさ……」

そう。真理奈が自分のことを褒めていたとしても、それは能力を褒めていたにすぎない。決して、ありのままの自分を褒めていたのではないのだ

「そんなことないと思いますけど……。でも真理奈、真一さんの悪いところも色々言ってたしな……」

「えっ?」

「あっ! ……すみません! これ言っちゃまずいやつでした! 今のナシです! ナシナシ!」

真理奈に怒られると思ったのか、それとも真一の気分を害したと思ったのか、透弥は必死に手を振って誤魔化そうとする。

「大丈夫。僕は怒ってないし、真理奈にも言わないよ。……それで、真理奈は、何て?」

「え、えーっと……」

透弥は視線を左右に向け、気まずそうに答えた。

「そうですね。例えば、『真一はファッションセンスが最悪だ。あんなダサい格好の男と兄妹だとか思われたくない!』とか」

「うっ!」

それなら実際に真理奈から言われたことがある。しかし妹から言われるのと、他人から言われるのとではダメージが違う。

「あとは『どうしようもないゲームオタクで、必要もないことをバカみたいにやり込むくせに失敗するとギャーギャー言ってる』とか」

「うぅ……」

事実だった。おそらく透弥が言っていることは、モンスターのレアドロップを狙っての周回作業のことだろう。

「それ以外だと『根暗でネガティブで厨二病ちゅうにびょうで』……」

「もういい! 分かった、もういい!」

「でも……」

真一の制止も聞かずに、透弥は言葉を続ける。

 やめてくれ、これ以上自分のダメなところを挙げ連ねないでくれ。もう分かった。自分がダメなことはわかったから。これ以上責めないでくれ!

「真理奈はそんな真一さんのことも、大切そうに話すんです。きっと真理奈は、真一さんのことが大好きなんですね」

 真理奈が、僕のことを、好き?

 透弥が言ったその言葉を受け止め、咀嚼そしゃくし、理解するまでに、真一は数秒間固まってしまった。

 真理奈は真一のダメなところを全て見ていた。しかしその上で、真一のいいところを認めてくれていたのだ。これはつまり、真理奈はありのままの真一のことを認めてくれていたということになる。

 

 真一はハッとした。

 

 真一が落ち込んだ時、真理奈は厳しい言葉を使いながらも真一を気遣ってくれていた。真一が不貞腐ふてくされそうになった時、前を向くきっかけをくれた者の一人は間違いなく真理奈だった。真理奈は口こそ悪いが、真一のことを確かに愛していたのだ。

「そして、それは俺も同じです。こうして話したのは今日が初めてですけど、俺、ずっと真一さんに憧れていたんです!」

透弥はそう言って、ニカっと笑った。


『あなたにもきっといるわ。あなたのことを、心から愛してくれる誰かが』


 御月みつきの言葉が頭によみがえる。

  

 そうか、こんなに近くにいたのか。

 真一の頬に、温かい涙が伝った。


「えっ? 真一さん? 大丈夫ですか?」

「うん! あはは、大丈夫大丈夫! あっ、ラーメン伸びちゃうね!」

真一はまた作り笑いを浮かべ、すでに伸びきってしまったラーメンをすする。

 味など分からない。しかし、少しだけいつもよりもしょっぱいような気がする。

 真一はラーメンをスープまでググッと飲み干し、どんぶりをガンッと机に下ろす。


「ありがとう、透弥くん。君のおかげて、大切なことに気がついた」

「ん? はい」

透弥は何に感謝されているのか分かっていない様子だった。だが、それでもいい。大切なことに気づかせてくれた透弥は、間違いなく真一にとっての恩人だった。

「透弥くん、まだ時間ある? よかったら一緒にソフトクリーム、食べようよ」

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