第96話 私と戦いなさい
「
羅刹という聞き覚えのない言葉に、真一は問い返す。
「羅刹? なんですかそれは?
「羅刹とは、悪鬼になってしまった人間のことよ」
「人間が……悪鬼に?」
真一は、大智と戦った後のミノリとの会話を思い出す。「悪鬼にでもなって、みんなに殺されるのか?」真一がそう言うと、ミノリは「……そうならない、とは、言えない状況になってるの……」と返した。この会話が、いよいよ現実味を帯びてきたように感じて、真一は恐ろしかった。
「自分の中の強い感情。憎悪、怒り、悲しみ……。それらが
「感情に呑まれたとき……」
『素直になればいいのサ』真一の脳裏に浮かぶ
御月はさらに言葉を続ける。
「悪鬼は人を襲うことによって強い心を食らう。でも羅刹は違う。自分自身の強い心を食らい続け、理性の崩壊と引き換えに膨大な力を得ることができる。そうなってしまえば、もう人間には戻れないわ」
理性の崩壊、人間には戻れない。衝撃的な事実を前に、真一は恐る恐る口を開き、疑問をぶつける。
「もしも、僕が完全に羅刹になっていたら……?」
「……」
真一の問いに、御月は答えなかった。
「真一くん。羅刹は誰でもなり得るのよ?」
「誰でも……?」
「えぇ。あなたが大智との戦いの最中で感じた『孤独』をきっかけにした、『どうしても勝ちたい』という感情。それ自体は別に悪い思いじゃないでしょう?」
「えっ?」
「戦いの最中に相手に勝ちたいと強く思うことなんで、普通のことじゃない」
「それはそうですが……」
「問題は、その心に呑まれてしまったこと。感情自体は、何も悪くないわ」
感情は悪くない。ただそれに呑まれたことが問題。真一はその言葉を自分なりに整理し、考えた。一見すると、自分の全てを肯定してくれたようにも感じる。しかし、いまだに納得しきれない感情が胸の中で渦巻いていた。真一はしばらく無言で考え、自分の中の疑念を言語化していった。
「でも……」
そうしてゆっくりと口を開き、疑念を口にする。
「でも、僕は実際に感情に呑まれました。このままSOLAにい続けたら、僕の中の劣等感が爆発して、今度こそ本当に羅刹になってしまうかもしれません。僕が羅刹にならないためには、やはりSOLAを辞めるしかないんでしょうか?」
「SOLAを辞めれば、あなたは劣等感から解放されるの?」
「多分……SOLAでの記憶を失えば、きっと……」
「そうね。SOLAに関する劣等感は、克服できるかもしれないわね」
「……どういうことですか?」
含みのある言い方をする御月に、真一は問い返す。
「SOLAとは関係ない劣等感は、克服できないってことよ」
「……!」
その通りだ。自分のやっていることはその場しのぎ。問題の本質には向き合っていない。そのことを見事に指摘されてしまった。
「真一くん。あなたは確かに優秀よ。でも、これから一生、あなたの劣等感を刺激するような出来事。例えば、あなたよりも優秀な存在が目の前に現れることはないと。そう言い切れるの?」
「それは……」
「あなたが今SOLAを辞めても、あなた自身が変わらない限り、いつかは劣等感に呑まれてしまうわ」
「回りくどいですね……結局あなたは何が言いたいんですか!」
真一は怒りをあらわにして声を荒らげる。しかし、御月は冷静だった。
「あなたはSOLAにいようが辞めようが、いつかは羅刹になるってことよ」
自分がいつかは羅刹になる。そうなれば、人間には戻れず、理性は崩壊し、最悪の場合、SOLAによって殺されてしまう。そんな事実を突きつけられ、真一は不安と恐怖に渦巻く感情のまま、叫び散らした。
「あぁぁぁぁ! じゃぁどうしろって言うんだ! このまま羅刹になるのを指を
真一は立ち上がり、机を両手でドンと
「私と戦いなさい」
「……はっ?」
御月の予想外の発言に、真一は言葉を詰まらせる。
「元々そのつもりだったもの。羅刹になりかけていた人間に、言葉による説得は意味がないわ。戦いの中で、あなた自身が答えを見つけなさい」
そう言う御月の表情に以前のような優しさはない。戦いにのみ喜びを
「大丈夫。殺しはしないわ」
御月がそう言うと、病室の壁が扉のように開き、中から人一人が入れるほどの、機械のポットが現れた。それも一つではない。ポットは全部で四つあった。
「これは……?」
「見覚えがあるでしょう? これは総天祭でも使っているシミュレーター。これで私と戦いなさい」
御月はSOLAの隊長。『天才』と言われた最強の戦士だ。果たして勝てるだろうか……?
「どうしたの? まさか、S級隊員をも倒したあなたが、こんな入院中の女相手に
そう言って御月はふふっと笑った。こうまで言われたら、真一は引き下がれない。全力で
「上等だこのおっぱい女! そんな邪魔くさい肉をぶら下げて俺に勝てると思うなよ!」
「あら、私のことをそんな風に見てたなんて意外ね。お子様には刺激が強過ぎたかしら?」
二人は静かに睨み合い、無音の病室の中、ただ空調の音だけが響く。そして、コップに入った氷が溶け、カランと音を立てた。
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