第95話 僕にはもう、分からないんです
「にしても……暑いな」
季節は夏の盛りの八月。木々に日差しが遮られているとはいえ、雑木林の中は湿気が多く、とても蒸し暑い。おまけにブンブンとうるさい羽虫まで寄ってきて、真一はすぐさま走り出し、表の通りまで出た。
「うっ……!」
太陽の
妙な気分だった。真一は夏休みの始めに
「いらっしゃい。真一くん」
病室に入ると、御月はそう言って真一を迎えてくれた。そこに入るのは二度目だが、相変わらず高級ホテルの一室のような病室だった。御月はその中で異質とも言える、明らかに病院のそれと分かるベッドのそばに立ち、真一に
「途中、迷わずに来られた?」
「はい。受付の人に御月さんに会いたいと言ったら、すぐに案内されました」
以前はもっと警戒が厳重だった気がするため、真一は驚いたが、おそらく御月が事前に手引きしたためスムーズに事が進んだのだろう。
「そう、ならよかったわ。さ、ここに座って」
御月は、ベッドの横に用意された椅子をぽんぽんと
「はい。では、失礼します」
そうは言ったものの、真一は目の前の御月が腰を下ろすのを待ってから席についた。
しばらくの沈黙が流れる。
真一は緊張していた。何を言われるのか、何を聞かれるのか、そしてこれから先自分に何が起こるのか、不安でたまらなかったのだ。緊張の理由はそれだけではない。病院の一室とはいえ、一つの部屋に女性と二人きりという状況に気がつき、変に意識し始めていたのだ。御月の服の上からでも分かる見事なプロポーションは真一の目を泳がせ、顔を見ようにも、ミノリの面影が重なるため、真一はまっすぐに御月を見ることができなかった。
「今日は暑いわね」
先に沈黙を破ったのは御月だった。彼女は窓の外を見て、落ち着いた口調で話す。
「今日は、今年の最高気温を更新したんですって」
「そうなんですね」
「ここに来るまでも相当暑かったんじゃないかしら?」
「えぇ、まぁ……確かに」
「あっ、よく見たら真一くん、汗びっしょりじゃない」
「えっ?」
真一は慌ててハンカチで汗を拭う。
「大変、熱中症になるかもしれないわ。待っててね、今よく冷えたお茶を持ってくるから」
「あっ、はい……」
席を立った御月を見て、真一は少しの間
「あぁ、えっと、お茶は僕がやります!」
「えっ? でも、ここに招いたのは私だし……お客さんにやらせるわけには……」
「いえ、僕にやらせてください!」
「……さては真一くん、私がお茶もまともにつげない女だと思っているでしょ?」
御月は目を細め、頬を膨らませながら真一を睨む。
「えっ? いや、そんなことは……」
「ふふっ、大丈夫。前に真一くんが来た時から、しっかり練習してきたんだから!」
「は、はぁ……」
お茶を入れるのに練習などいるのだろうか。冷蔵庫の中のポットからコップにつぐだけのことに練習が必要というのは、やはり彼女の体がかなり衰えているからなのだろうか。
そんなことを考えている間に、御月はたどたどしい手つきで、お盆にのせたコップを二つ持ってきた。大きな氷の入った、よく冷えた麦茶だ。
「ありがとうございます」
コップからお茶はこぼれてはいなかったが、相変わらずコップには倒れないように器具が取り付けられていた。それを手に取ると、皮膚を通して伝わるお茶の冷たさに、真一は自分の喉の乾きを思い出した。
「いただきます……」
そう言って、ゴクリと一口飲んだ。
おいしい。
冷たさが喉を通って全身を潤していくのを感じる。真一は気がついたら、コップ一杯に注いであったお茶を全て飲み干してしまっていた。
「少しは落ち着いた?」
「……はい」
飲み物の冷たさによって、緊張もおさまってきた。今なら、御月の顔を見て話すことができそうだ。
真一は顔を上げ、御月の目を見た。彼女は優しく微笑みながら真一を見ていた。ミノリの姉なだけあり、御月の顔はミノリととてもよく似ている。しかし、よく見ると全然違う。別人だ。
彼女になら、自分のことを話してもいいと、真一は思えた。
「あの、御月さん」
「何?」
「ミノリから聞いているかもしれませんが、僕、SOLAを辞めようかと考えていたんです」
それから真一は静かに語り始めた。七志との会話、
全て話し終えた後、真一は泣き出しそうになっていた。自分の弱さ、愚かさ、罪悪感を、全て吐き出してしまったのだから。
「話してくれてありがとう、真一くん。そんなふうに思っていたのね」
真一の話を聞いた後も、御月は特に取り乱すこともない。
「あの、御月さん……!」
真一は泣きそうになりながら御月に問いかける。
「僕は、どうしたらいいですか? SOLAを、辞めた方がいいですか? それとも、続けるべきですか? 僕にはもう、分からないんです」
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